小さな恋のトライアングル
「突然このように押しかけまして、大変申し訳ありません。どうしてもお二人にお願いしたいことがございまして、参りました」
座布団には上がらず、手前で正座した都は両手をついて頭を下げる。
視線を落としたままなのでよく見えなかったが、正面に並んで座っている樹の両親は、6年前とは見違えるほど年を重ねて寂しげに見えた。
「ご存知かと思いますが、昨年の12月に、私は樹さんと再会しました。そして樹さんに、息子の存在を知られてしまいました。私はこれまで一切、樹さんには知られずに息子を育てて来ましたし、この先知らせるつもりもございませんでした。しかしこのように息子の存在が明らかになった今、お二人にお願いがございます。どうか、息子を私から取り上げないでください。息子が、ここ三原家の血を引く子だということは認めます。ですが、どうか私からあの子を奪わないでください。そしてもう一つ、樹さんを止めてください。樹さんは、私と息子の為に己の地位を捨てようとしています。私も息子も、そんなことは望んでいません。私のお願いはこの二つです。どうか聞き届けていただけますよう、お願いいたします」
視線を落としたまま一気に話し終え、都はまた深々と頭を下げた。
沈黙が長く続く。
やがて小さく息を吐く気配がして、低い声が響いた。
「都さん、お顔を上げてください」
「はい」
ゆっくりと顔を上げると、まるで入れ違うように樹の父親が頭を下げる。
えっ!と都は驚いて目を見開いた。
「何よりもまず、謝罪をさせてください。都さん。6年前は大変失礼なことをしました。あの時、我が三原ホールディングスは窮地に立たされ、社員とその家族の生活を守ろうと必死だった私は、なりふり構わず会社の為に樹を政略結婚させようとしました。この家に生まれた宿命だ、と樹を脅すようにして……。そしてあなたのことを、何も知ろうともせずに拒絶してしまいました。本当にすまなかった。申し訳ない」
隣で母親も深々と頭を下げる。
「あのあと樹は縁談を突っぱね、自力で経営を立て直しました。私も、当時会長だった私の父も、そこでようやく目が覚めた。あなたに酷いことをしたと、やっと気づきました。けれど遅かった。樹に聞いても、あなたの行方は分からないと言われ、年老いた父はあなたに謝罪出来ないまま、3年前に亡くなりました。父の分までお詫びします。都さん、本当に申し訳なかった」
「いえ、あの、どうかもうお顔を上げてください。私はどなたも恨んではいません。ただ、どうか、私と息子が静かに暮らしていくのをお許しください。こちらには何もご迷惑はおかけしません。ですので、どうか……。お願いいたします」
都が再び頭を下げようとすると、慌てて父親はそれを遮った。
「都さん、その点はお約束します。私達はあなたと息子さんに一切手出しはしません。ましてや、あなたから息子さんを奪おうなどとは、決してしない。約束します。これについては早急に弁護士に書類を作らせて、あなたのもとへお届けします」
「はい、ありがとうございます」
都はホッと胸をなで下ろす。
「他には何かあるかな?こちらからあなたに接触はしないとか、何メートル以内に近寄らないとか……」
都は思わず笑みをもらした。
「いえ、そんなに細かいことまでは大丈夫です」
「そうかい?でも何かあれば、いつでも教えてください」
「はい、分かりました。それから、樹さんのことなのですが……」
「樹が、なんだね?」
「はい。先程も申し上げましたが、樹さんは私と息子の為に、今は冷静な判断が出来なくなっています。そのうち本当に、三原ホールディングスを辞めてこの家を出る、と言い出すかもしれません。その時はどうか、思い留まるようにと説得していただけませんか?」
すると意外にも、うーん、と父親はそれを渋った。
「まあ、樹がそれを望むなら仕方ないのかもしれないなあ」
「ええ?!そんな、だって、会社も家も出るなんて、そんなこと」
「あいつは闇雲にそんなことを言い出すやつじゃない。きっとあなたと息子さんの為に自分がそうしたいと思ったんだろう。それなら私はそれを止める資格はないよ。だがもしあいつが会社を辞めるならそれ相応の退職金は支払うし、たとえこの家を出ても遺産相続はさせるように書面に起こしておく。都さん、どうか金銭的なことはご心配なく」
「いえ、私が申し上げているのはそんなことではなく……」
「もちろん承知していますよ。だってあなたは一度も自ら三原の家に連絡してこなかった。ご自身の手でこれまで息子さんを一人で立派に育てられ、この先もずっとそうするおつもりだったのでしょう?そんなあなたに、自分の地位も家柄も何もかもを捨てて、これからは自分がそばで支えていく、そう決めた樹は正しいと私は思います」
都は何も言葉が出て来ない。
6年前にここを飛び出した時とは全く違う雰囲気。
今ここには穏やかで、温かい時間が流れていた。
座布団には上がらず、手前で正座した都は両手をついて頭を下げる。
視線を落としたままなのでよく見えなかったが、正面に並んで座っている樹の両親は、6年前とは見違えるほど年を重ねて寂しげに見えた。
「ご存知かと思いますが、昨年の12月に、私は樹さんと再会しました。そして樹さんに、息子の存在を知られてしまいました。私はこれまで一切、樹さんには知られずに息子を育てて来ましたし、この先知らせるつもりもございませんでした。しかしこのように息子の存在が明らかになった今、お二人にお願いがございます。どうか、息子を私から取り上げないでください。息子が、ここ三原家の血を引く子だということは認めます。ですが、どうか私からあの子を奪わないでください。そしてもう一つ、樹さんを止めてください。樹さんは、私と息子の為に己の地位を捨てようとしています。私も息子も、そんなことは望んでいません。私のお願いはこの二つです。どうか聞き届けていただけますよう、お願いいたします」
視線を落としたまま一気に話し終え、都はまた深々と頭を下げた。
沈黙が長く続く。
やがて小さく息を吐く気配がして、低い声が響いた。
「都さん、お顔を上げてください」
「はい」
ゆっくりと顔を上げると、まるで入れ違うように樹の父親が頭を下げる。
えっ!と都は驚いて目を見開いた。
「何よりもまず、謝罪をさせてください。都さん。6年前は大変失礼なことをしました。あの時、我が三原ホールディングスは窮地に立たされ、社員とその家族の生活を守ろうと必死だった私は、なりふり構わず会社の為に樹を政略結婚させようとしました。この家に生まれた宿命だ、と樹を脅すようにして……。そしてあなたのことを、何も知ろうともせずに拒絶してしまいました。本当にすまなかった。申し訳ない」
隣で母親も深々と頭を下げる。
「あのあと樹は縁談を突っぱね、自力で経営を立て直しました。私も、当時会長だった私の父も、そこでようやく目が覚めた。あなたに酷いことをしたと、やっと気づきました。けれど遅かった。樹に聞いても、あなたの行方は分からないと言われ、年老いた父はあなたに謝罪出来ないまま、3年前に亡くなりました。父の分までお詫びします。都さん、本当に申し訳なかった」
「いえ、あの、どうかもうお顔を上げてください。私はどなたも恨んではいません。ただ、どうか、私と息子が静かに暮らしていくのをお許しください。こちらには何もご迷惑はおかけしません。ですので、どうか……。お願いいたします」
都が再び頭を下げようとすると、慌てて父親はそれを遮った。
「都さん、その点はお約束します。私達はあなたと息子さんに一切手出しはしません。ましてや、あなたから息子さんを奪おうなどとは、決してしない。約束します。これについては早急に弁護士に書類を作らせて、あなたのもとへお届けします」
「はい、ありがとうございます」
都はホッと胸をなで下ろす。
「他には何かあるかな?こちらからあなたに接触はしないとか、何メートル以内に近寄らないとか……」
都は思わず笑みをもらした。
「いえ、そんなに細かいことまでは大丈夫です」
「そうかい?でも何かあれば、いつでも教えてください」
「はい、分かりました。それから、樹さんのことなのですが……」
「樹が、なんだね?」
「はい。先程も申し上げましたが、樹さんは私と息子の為に、今は冷静な判断が出来なくなっています。そのうち本当に、三原ホールディングスを辞めてこの家を出る、と言い出すかもしれません。その時はどうか、思い留まるようにと説得していただけませんか?」
すると意外にも、うーん、と父親はそれを渋った。
「まあ、樹がそれを望むなら仕方ないのかもしれないなあ」
「ええ?!そんな、だって、会社も家も出るなんて、そんなこと」
「あいつは闇雲にそんなことを言い出すやつじゃない。きっとあなたと息子さんの為に自分がそうしたいと思ったんだろう。それなら私はそれを止める資格はないよ。だがもしあいつが会社を辞めるならそれ相応の退職金は支払うし、たとえこの家を出ても遺産相続はさせるように書面に起こしておく。都さん、どうか金銭的なことはご心配なく」
「いえ、私が申し上げているのはそんなことではなく……」
「もちろん承知していますよ。だってあなたは一度も自ら三原の家に連絡してこなかった。ご自身の手でこれまで息子さんを一人で立派に育てられ、この先もずっとそうするおつもりだったのでしょう?そんなあなたに、自分の地位も家柄も何もかもを捨てて、これからは自分がそばで支えていく、そう決めた樹は正しいと私は思います」
都は何も言葉が出て来ない。
6年前にここを飛び出した時とは全く違う雰囲気。
今ここには穏やかで、温かい時間が流れていた。