小さな恋のトライアングル
そのあとはカフェオレを飲みながら、岳が起きるのを待った。

「おゆうぎ会の動画、がっくんのママに送ってあげたんですか?」
「ああ。多分、夜になったら電話がかかってくると思う」
「そうですか。がっくん、喜ぶだろうな」
「姉貴も。動画かじりついて見ると思う」
「そうですね。帰国はいつ頃なんですか?」
「クリスマスの辺りなんだ。あと1か月ちょっとか。そう思うとなんか寂しいな」
「私もです」

二人でベッドで眠る岳に目をやる。

「俺さ、ほんとのこと言うと、最初は生活が乱れて結構大変だったんだ。子育てってすごいことなんだなって。なんとかなると思ってたけど、果たして3か月もやっていけるだろうかって、不安になってた。けど望月のおかげで、一気に気が楽になったよ。あの言葉に救われた」

あの言葉?と真美は首を傾げた。

「ほら、岳のやつ、望月のこと呼び捨てにしたり、生意気な口をきくだろ?それをどうやってやめさせようか悩んでたんだ。そしたら望月が言ってくれた。岳はすごくがんばってるいい子だ。小さな身体で、毎日を一生懸命に生きてる。叱ることなんて、何一つないって」
「ああ、あの時の……。だって本当にそう思いますから」
「うん。そんなふうに言ってくれるのは、多分望月だからだ。他の人には、やっぱり生意気な子だなって思われるかもしれない。だけどそれでもいいって思えた。俺は望月のあの言葉をずっと心に留めて、岳と接していこうと決めたんだ」
「そうだったんですか」

真美は両手に持ったマグカップに目を落とす。

「課長。私の方こそがっくんに救われたんです。私、ずっと昔からコンプレックスがあって。人づき合いに自信が持てなかったんです」

え……、と言葉を呑み込んで、潤は真美の表情をうかがった。

「会社では、一生懸命気を張っています。紗絵さんや若菜ちゃんとおしゃべりするのは楽しいし、課長を初め、皆さんいい方ばかりです。とても恵まれた環境なのに、それでもどこか必死でがんばっている自分に疲れていました」

そんなことはまったく知らなかったと、潤は上司として気づけなかったことにショックを受ける。

「私って、人見知りで引っ込み思案なところがあって、子どもの頃から友達がなかなか出来ませんでした。社会人になってからは大人として誠実に振る舞おうとしてきましたけど、やっぱり近寄りがたいって思われているみたいで……。それでもいい、と思いつつ、どこか寂しくて。そんな時、がっくんが私の絵を描いてくれたんです。にっこり笑った明るい表情の女の子。がっくんは私に対して、何も垣根を作らずに接してくれるんです。それがどんなに嬉しかったか。私はがっくんにどれほど心が救われたか分かりません」

潤は黙って真美の言葉を噛みしめていた。

(あの時、あの絵を渡した時に涙をこぼしていたのはそういう訳だったのか。知らなかった。会社では誰に対しても丁寧に接しているし、気遣いの出来る子だって周りからも信頼されてたから。けど望月は、どこかで無理をしていたんだ。課長の俺が気づくべきだった)

後悔の念に駆られる。
だが今日打ち明けてもらえて良かったと思った。

「望月」
「はい」
「これからはどんなことでもいい、俺に相談してくれないか?愚痴をこぼすとか、不満をもらすだけでもいい。一人で抱え込むな。無理に気持ちを抑え込むな。俺になら何を話してくれてもいい。俺は絶対的に望月の味方だから」
「課長……」

ぽろぽろと真美の目から涙がこぼれ落ちる。
こんなにも自分の懐深くに飛び込んで言葉をくれる人は初めてだった。

潤は、必死で涙を堪えようとする真美の頭に手を置いて、その瞳を覗き込む。

「いいか?望月。決して忘れるな。お前は一人じゃない。俺がいつも近くにいる」

分かったか?と更に顔を覗き込まれて、真美は、はいと頷く。
よし、と潤が真美の頭をクシャッとなでた時だった。

うーん……、と目ぼけた声がしたかと思うと、あー!と岳が大声を上げて起き上がった。

「まみ!なんでないてんの?じゅんがなかせたのか?」
「違う、がっくん違うのよ」

慌てて涙を拭うと、岳はベッドからぴょんと飛び降りて駆け寄って来た。

「どうしたんだよ?おれがいってやるから。じゅん!おんなのこなかせるなんて、おとことしてやっちゃいけないことだぞ」

はあ……、と潤はため息をついた。

「岳、あのな。これには訳が……。いや、でもそうだな。今まで気づけなかった俺が悪いんだ。すまない、望月」
「そんな!課長は何も悪くありません。がっくん、違うの。私が勝手に泣いて、課長はなぐさめてくれただけなのよ」

必死で訴えるが、岳は納得いかないようで憮然としている。

「まみがなくなんて、おれまでかなしくなる」

グッと唇を噛みしめて涙を堪える岳を、たまらず真美は抱きしめた。

「ごめんね、もう泣かないよ。だからがっくんも笑って?ね?」
「まみもわらう?」
「うん!がっくんが大好き」
「おれも。まみがだいすき」

ふふっと二人で微笑み合う。

「良かった。じゃあ少し早いけど晩ごはん作ろうか。がっくん、手伝ってくれる?」
「うん!」

手を繋いでキッチンへ向かう二人の姿に、潤もホッとして頬を緩めた。
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