小さな恋のトライアングル
「明日から、会社はどうなるんでしょうか?」
「とりあえず無理に出社する必要はない。非常事態だからな。まずは自分と家族の命、それから生活が最優先だ」
「はい」
懐中電灯の明かりの中、二人でポツポツと話を続ける。
「がっくんも、しばらくはそばで様子を見守った方がいいと思います」
「そうだな。心のケアが必要だろう。俺もそうするつもりだ」
「課長、お姉さんとは連絡取れましたか?」
「うん。なぜだか海外からかかってきた電話はすんなり繋がった。保育園にいる時にかかってきて、岳は無事だって伝えたよ」
「そうですか。心配されたでしょうね」
「ああ。すぐにでも帰国するっていうから、今帰って来ても交通網が混乱して身動きが取れないってやめさせた。それに数日帰国してまたいなくなったら、岳が困惑するしな」
「そうですね、確かに。がっくんが起きたらテレビ電話で話せるといいですね」
真美の言葉に頷いたあと、潤はうつむいてじっと何かを考え始めた。
「課長?どうかされましたか?」
「あ、うん。その……」
言い淀んでから、潤は思い切ったように顔を上げる。
「望月」
「はい」
「ごめん、情けないこと言う。俺を助けてくれないか?」
え?と真美は首を傾げた。
「助けるって、何をでしょう?」
「本来なら俺が一人で岳を守るべきだし、そのつもりだった。だけど単純に、岳が無事ならそれでいいって訳ではないと気づいたんだ。身体だけでなく、岳の心も守らなければ。それには俺の力だけでは足りない。岳の気持ちに誰よりも寄り添って、心を大切に守ってくれる望月が必要なんだ。頼む、望月。岳のそばにいて欲しい」
課長……と、真美は言葉もなく潤を見つめる。
「迷惑なのは分かっている。図々しいことをお願いして申し訳ない。せめて母親が帰国するまで、岳と一緒に暮らして欲しい」
「それは、私がこの部屋でがっくんを預かるということでしょうか?」
「いや、そんな丸投げはしない。望月が俺のマンションに来て、しばらく一緒に生活してくれないか?通いで来てくれるのでも構わない。ごめん、無茶なお願いだとは思うけど、考えてみて欲しい」
真美はしばし視線を逸らして考えてから頷いた。
「分かりました。そうします」
え!と潤が驚いて目を見開く。
「ほんとに?そんなにあっさり決めて大丈夫?」
「はい、大丈夫です。私もがっくんの為にそうしたいです。課長は伊藤くんの件もありますから、いつまでも出社しない訳にはいかないでしょう?だけどがっくんを保育園に戻すのは、慎重に様子をうかがいながらの方がいいと思うんです。最初は午前中だけとかにして、お友達と遊ぶ方が楽しいと思えるまでは様子見で。私は有給休暇がたくさん溜まってますから、この機会に消化して、がっくんと毎日一緒にいようと思います」
「そ、そんな。そこまでしてくれなくても」
「いえ、私がそうしたいので。ご迷惑ですか?」
「いや、とんでもない。すごくありがたいよ。でも望月は身内でもないのに、そこまでお願いするのは……」
「課長。血の繋がりなんて関係ないって、前にもお話しましたよね?がっくんは私の大切な子です」
潤は言葉を失う。
胸の奥がジンと痺れ、涙が込み上げそうになった。
先程真美から聞いた、岳のセリフを思い出す。
『こころがぎゅーってなって、ぽかぽかして、なみだがじわーってなった』
まさにこれだ。
潤はそう思った。
「ありがとう、望月。頼らせてもらってもいいかな?」
「もちろんです。そうさせてください」
「ありがとう、本当に……」
今、部屋が暗くて良かったと潤は思う。
きっと涙を堪えた情けない表情をしているから。
その時、あれ?と真美が不思議そうな声を出した。
「どうした?」
必死で真顔に戻し、潤は顔を上げる。
「外が明るいです。街灯が点いてる」
「え?本当だ」
ということは……と、二人で顔を見合わせてから、真美は立ち上がってキッチンの電気を点けてみた。
パッと明るくなって、おお!と二人は喜ぶ。
「停電、復旧しましたね。今エアコンつけます。あ、電気ケトルで温かいコーヒー淹れますね」
「俺が淹れるよ」
コーヒーを淹れると二人でローテーブルに戻って口をつけ、温かさにホッとした。
「電気と水道さえ大丈夫なら、生活もなんとかなるな。あ、俺のマンション、オール電化なんだ」
「そうなんですね!それならお料理も問題ないですね。たくさん作ります」
「はは!ありがとう。明日電車が動くようだったら、俺、少し出社してみるわ」
「分かりました。あー、ホッとしたら眠くなってきちゃった」
「少し休んでろ。体調崩したら大変だ」
「そうですね。じゃあ、ちょっとだけ」
真美はバスルームで洗顔と歯磨きをして、部屋着に着替えてからベッドに入った。
「うふふ、がっくん可愛い。くっついて寝ちゃお」
小さく呟くと、ぴたりと岳に寄り添い、スーッと眠りに落ちていく。
岳と真美、二人の寝顔を見守っていた潤は、そのうちに真っ赤になって目を逸らした。
(やべ、まただ。なんだこれ?望月が彼氏に見せる顔を見ちゃった、みたいな……)
ドキドキしながら、またチラリと視線を向けてしまう。
無防備であどけない真美の寝顔に、隣で寝ている岳に嫉妬までしてしまった。
(岳と俺が入れ替わったら?こんなに可愛い顔を間近で見られるのかな)
想像して、更に真っ赤になる。
(いかん!またしても部下に対してなんてことを……。見てはならん。目を閉じるんだ)
潤は座禅を組む修行僧のように、じっと気持ちを落ち着かせていた。
「とりあえず無理に出社する必要はない。非常事態だからな。まずは自分と家族の命、それから生活が最優先だ」
「はい」
懐中電灯の明かりの中、二人でポツポツと話を続ける。
「がっくんも、しばらくはそばで様子を見守った方がいいと思います」
「そうだな。心のケアが必要だろう。俺もそうするつもりだ」
「課長、お姉さんとは連絡取れましたか?」
「うん。なぜだか海外からかかってきた電話はすんなり繋がった。保育園にいる時にかかってきて、岳は無事だって伝えたよ」
「そうですか。心配されたでしょうね」
「ああ。すぐにでも帰国するっていうから、今帰って来ても交通網が混乱して身動きが取れないってやめさせた。それに数日帰国してまたいなくなったら、岳が困惑するしな」
「そうですね、確かに。がっくんが起きたらテレビ電話で話せるといいですね」
真美の言葉に頷いたあと、潤はうつむいてじっと何かを考え始めた。
「課長?どうかされましたか?」
「あ、うん。その……」
言い淀んでから、潤は思い切ったように顔を上げる。
「望月」
「はい」
「ごめん、情けないこと言う。俺を助けてくれないか?」
え?と真美は首を傾げた。
「助けるって、何をでしょう?」
「本来なら俺が一人で岳を守るべきだし、そのつもりだった。だけど単純に、岳が無事ならそれでいいって訳ではないと気づいたんだ。身体だけでなく、岳の心も守らなければ。それには俺の力だけでは足りない。岳の気持ちに誰よりも寄り添って、心を大切に守ってくれる望月が必要なんだ。頼む、望月。岳のそばにいて欲しい」
課長……と、真美は言葉もなく潤を見つめる。
「迷惑なのは分かっている。図々しいことをお願いして申し訳ない。せめて母親が帰国するまで、岳と一緒に暮らして欲しい」
「それは、私がこの部屋でがっくんを預かるということでしょうか?」
「いや、そんな丸投げはしない。望月が俺のマンションに来て、しばらく一緒に生活してくれないか?通いで来てくれるのでも構わない。ごめん、無茶なお願いだとは思うけど、考えてみて欲しい」
真美はしばし視線を逸らして考えてから頷いた。
「分かりました。そうします」
え!と潤が驚いて目を見開く。
「ほんとに?そんなにあっさり決めて大丈夫?」
「はい、大丈夫です。私もがっくんの為にそうしたいです。課長は伊藤くんの件もありますから、いつまでも出社しない訳にはいかないでしょう?だけどがっくんを保育園に戻すのは、慎重に様子をうかがいながらの方がいいと思うんです。最初は午前中だけとかにして、お友達と遊ぶ方が楽しいと思えるまでは様子見で。私は有給休暇がたくさん溜まってますから、この機会に消化して、がっくんと毎日一緒にいようと思います」
「そ、そんな。そこまでしてくれなくても」
「いえ、私がそうしたいので。ご迷惑ですか?」
「いや、とんでもない。すごくありがたいよ。でも望月は身内でもないのに、そこまでお願いするのは……」
「課長。血の繋がりなんて関係ないって、前にもお話しましたよね?がっくんは私の大切な子です」
潤は言葉を失う。
胸の奥がジンと痺れ、涙が込み上げそうになった。
先程真美から聞いた、岳のセリフを思い出す。
『こころがぎゅーってなって、ぽかぽかして、なみだがじわーってなった』
まさにこれだ。
潤はそう思った。
「ありがとう、望月。頼らせてもらってもいいかな?」
「もちろんです。そうさせてください」
「ありがとう、本当に……」
今、部屋が暗くて良かったと潤は思う。
きっと涙を堪えた情けない表情をしているから。
その時、あれ?と真美が不思議そうな声を出した。
「どうした?」
必死で真顔に戻し、潤は顔を上げる。
「外が明るいです。街灯が点いてる」
「え?本当だ」
ということは……と、二人で顔を見合わせてから、真美は立ち上がってキッチンの電気を点けてみた。
パッと明るくなって、おお!と二人は喜ぶ。
「停電、復旧しましたね。今エアコンつけます。あ、電気ケトルで温かいコーヒー淹れますね」
「俺が淹れるよ」
コーヒーを淹れると二人でローテーブルに戻って口をつけ、温かさにホッとした。
「電気と水道さえ大丈夫なら、生活もなんとかなるな。あ、俺のマンション、オール電化なんだ」
「そうなんですね!それならお料理も問題ないですね。たくさん作ります」
「はは!ありがとう。明日電車が動くようだったら、俺、少し出社してみるわ」
「分かりました。あー、ホッとしたら眠くなってきちゃった」
「少し休んでろ。体調崩したら大変だ」
「そうですね。じゃあ、ちょっとだけ」
真美はバスルームで洗顔と歯磨きをして、部屋着に着替えてからベッドに入った。
「うふふ、がっくん可愛い。くっついて寝ちゃお」
小さく呟くと、ぴたりと岳に寄り添い、スーッと眠りに落ちていく。
岳と真美、二人の寝顔を見守っていた潤は、そのうちに真っ赤になって目を逸らした。
(やべ、まただ。なんだこれ?望月が彼氏に見せる顔を見ちゃった、みたいな……)
ドキドキしながら、またチラリと視線を向けてしまう。
無防備であどけない真美の寝顔に、隣で寝ている岳に嫉妬までしてしまった。
(岳と俺が入れ替わったら?こんなに可愛い顔を間近で見られるのかな)
想像して、更に真っ赤になる。
(いかん!またしても部下に対してなんてことを……。見てはならん。目を閉じるんだ)
潤は座禅を組む修行僧のように、じっと気持ちを落ち着かせていた。