契約結婚はご遠慮いたします ドクターと私の誤解から始まる恋の話
「もうすぐ回診がありますので、少しお待ちくださいね」
香耶はなるべく穏やかに話しかけたつもりだが、母親の顔色が変わった。
「あなたはっ」
香耶のことを指差すのだが、誰だかわからない。
素顔らしく、ベリーショートの髪はあちこち飛び跳ねている。
服装も救急車で病院に来たからか、スウェットのセットアップとサンダル履きのままだ。
「私のこと忘れたの? 太田沙織よっ」
怒鳴るように言うと、ナースコールを何度も何度も押しだした。
驚いた佐原が止めようとしたが、ナースステーションにいた主任が飛んでくる。
「なにかありましたか」
「この看護師がいる病院は嫌よ。すぐに転院するわ」
「まだお子さんの熱がありますし、検査が終わっていませんよ」
主任が優しく話しかけるが、沙織は無視している。
「こんなところにいられないわよ! この女、うちの子になにするかわかったもんじゃない」
香耶は立たまま、言葉が出なかった。なんとかしようにも体が動かなかったのだ。
目の前で騒いでいるのは、別人のようにやつれているが洸太郎の恋人だった沙織だ。
裕福な太田家の嫁になったはずなのに、初めて離れで会った日の、あの若さ溢れるおしゃれな女性と同一人物だとは想像もできなかった。