契約結婚はご遠慮いたします ドクターと私の誤解から始まる恋の話
恵子からはっきりと「ひどい」という言葉が聞こえた。
妻とは名ばかりで、二年も別居した揚げ句に離婚を突き付けてくる。
今度は看護師として扱うのではなく、愛人になれと言い出した。
「恵子さん、私のことを心配してくれたのですね。ありがとうございます」
香耶がお礼を言うと、恵子はとうとうワッと泣きだした。
「わ、わたし、は、だいじょ、ぶ」
恵子はすぐにでもここから出て行くよう、玄関の外を指差している。
さっきの洸太郎の態度で、ようやく香耶にもわかった。
洸太郎が香耶に向けるのは、自分の所有物を見る視線だ。
沙織の手前、香耶に手を出さないと言いながら機会を狙っていたのだろう。
離婚しても香耶を看護師として置いておけば、太田家に雇われたことになる。
どうせ実家にも帰れないだろうから、思いのままにできると考えたのかもしれない。
(もうここにはいられない)
香耶も覚悟を決めた。
恵子の了解を得たのだから、香耶はスーツケースひとつ持ってその夜のうちに太田家を出た。
もちろん、実家の古泉家にも帰らなかった。
離婚されたことだけは父に伝えたが「そうか」のひと言で終わってしまったからだ。
慰謝料などは、もうどうでもよかった。
香耶はもうなにも感じなかった。
辛いとか悲しいとか、自分の心が血を流していても気づきもしなかった。