契約結婚はご遠慮いたします ドクターと私の誤解から始まる恋の話
それからすぐに、東京を離れた。
どこへ行こうか迷ったが、母が生きていた頃によく出かけていた長野で働くことにした。
恵子からのお金と自分が前から持っていたお金で、アパートを借りたり必要なものを買ったりした。
新しい暮らしを始める準備が整うと、比較的大きな病院で看護師として働き始めた。
だが、始めはなかなか周囲になじめなかった。
二年のブランクはあるし、ずっと恵子とふたりだけで暮らしてきたせいか口下手になっていた。
どんなに仕事を頑張っても、お高くとまっているだの暗いだのと噂される。
それだけでも精神的に厳しいのに、香耶が離婚経験者だと知った男性からの視線もうっとおしい。
太田家での暮らしと洸太郎の仕打ちは、香耶の心に深い傷を残していたのだ。
そんな時に勤め先の病院で出会ったのが、池辺佐和だった。
夫と死別してから色々あったようで、別荘から外に出るのは通院のときだけだという。
偶然にも、香耶の祖母と佐和が親友だったことがわかった。
香耶はすっかり忘れていたが、幼い頃には祖母や母と一緒に佐和と会っていたようだ。
心に傷を負ったもの同士、慰めあい労わりあううちにどんどん親しくなっていった。
つい自分の結婚と離婚の事情を話したら、佐和の方が怒りに震えていたぐらいだ。
そんないきさつもあって、佐和から個人的に看護師の仕事をしてほしいと請われたとき香耶はすぐに引き受けた。
そして、拓翔と出会った。
彼の視線からは洸太郎とは比べようもないくらい、祖母への愛情を感じられた。
拓翔なりに佐和を守ろうとしているのだろう。