契約結婚はご遠慮いたします ドクターと私の誤解から始まる恋の話


退院が決まった祖母は、拓翔のマンションに住むことになった。

帰宅していつも通りにドアを開けると、玄関まで出迎えてくれた女性がいた。

「お帰りなさいませ」

そんな言葉をかけられたのはいつ以来だろう。

前日は高速道路で起こったバス事故のケガ人が何人も運ばれてきたり、高熱で受診した子どもが熱性けいれんをおこしたりと気が休まることがなかった。
その疲れが顔に出ていたのか、祖母から心配されてしまったようだ。

「こんな時こそ、少し食べてからひと休みしなさい」と言われて、ひとり暮らしならシャワーを浴びて寝てしまうところだったなと苦笑してしまった。

カウンターに座ると、目の前で香耶は手際よく食事の用意をしてくれる。
あっという間に、のりを巻いたおにぎりと湯気のたつ味噌汁が並ぶ。

とても簡素な食事なのに、拓翔は美味しいと感じてしまった。
ふんわりと握られたご飯の甘味、丁寧な出汁の味がする素朴な味噌汁。
たったそれだけなのに、香耶はどんな魔法を使ったのだろう。

拓翔は久しぶりに別れた婚約者のことを思い出した。
いつだったかここで迎えた朝に彼女が作ってくれたのは、トーストとコーヒーだった。
カウンターを拭きもせずカップを置いたから、少しうんざりしたのを覚えている。













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