契約結婚はご遠慮いたします ドクターと私の誤解から始まる恋の話
祖母といるときの柔らかな表情ではない。
これまで拓翔に見せたことのない、張りつめた顔だ。
都心の夜景を見ているのか、もっと遠くを見ているのかわからない。
もしかしたらその目にはなにも映していないのかもしれない。
そのまましばらく見ていたら、香耶がマシンを止めた。
タオルを持ってクルリと振り返ったので、視線があってしまった。
少しだけ眉をしかめた気がしたが、何事もなかったようにこちらへ向かって歩いてくる。
「お疲れさまでした」
そう言って横を通り過ぎようとするが、拓翔は思わず香耶の腕をつかんでいた。
えっという顔をして、香耶が拓翔を見上げる。
拓翔の背は百八十あるから、それよりは二十センチくらいは低そうだ。
祖母から離れたことをとがめられると思ったのか、申し訳なさそうにわびてくる。
「佐和様はお休みになっております。許可をいただいて、こちらに来ていました」
「君は、なにを見ていたんだ」
さっきの視線が気になっていた拓翔は、香耶に尋ねた。
その問いを聞いて、香耶は大きく目を見開いて固まってしまった。
「見ていたというより、闘っていたんです」
ひと呼吸あいてから、香耶がポツリと答えた。
「なにと?」
拓翔の問いかけに、香耶は困った顔をしている。
「闘う」という言葉を選んだことを後悔しているように見える。
「自分と、でしょうか」
その言葉を残して、軽く礼をして拓翔から離れていった。
どういう意味だろう。どうしてあんな顔をして自分と闘っているのだろう。
拓翔はスッキリしなかったが、考えても答えは出ない。
仕方なく、汗を流そうとマシンに足を向けた。