契約結婚はご遠慮いたします ドクターと私の誤解から始まる恋の話
エレベーターの扉が閉まると、佐原が真っ赤な顔をして震えている。
「どうしたの。佐原君」
プハッと息を吐きだして、佐原がようやく口を開いた。
「すごいね、古泉さん」
「なにが」
「僕、ここに勤めて五年目だけど、森谷先生が笑っているの初めて見たよ」
尊敬しているドクターだから、佐原は少しでも親しくなりたくて自分から話しかけるようにしているらしい。
だが救命救急科の看護師たちからは、拓翔は「クール」だとか「切れすぎるナイフ」だとか呼ばれているという。
「さっきは、いつもとは別人だったよ」
「そうかな」
言われてみれば、拓翔は病院内なのに香耶に対して親し気に振舞っていた。
仕事場での接触はお互いに控えようと話していたのに、どうしたのかと思ったくらいだ。
あいまいに答える香耶に、佐原が意味ありげな視線を向けてくる。
「さては……」
佐原はニマニマと香耶を見る。
「もしかして、付き合ってるの」
「ご、誤解しないで。私と森谷先生とじゃ釣りあわないから」
慌てて香耶が否定しても、佐原は信じない。
「関係ないよ、そんなの」
「え」
「だって、好きな人から好きって言われるだけでとっても幸せじゃない」
佐原は誰かと恋愛中なのか、その相手を思い浮かべながら話しているようだ。
「釣りあうとか釣りあわないじゃなくて、恋愛ってそういうものでしょ」
香耶はその言葉が胸にストンと落ちてきた。
(好きな人から好きって言われるだけで幸せ)
それが恋だとしたら、好きな人から「付き合ってくれ」といわれた香耶は幸せ者だ。
拓翔のことが好きなのに、自信がないから遠回りしていた自分がとても恥ずかしくなってきた。
「佐原君、ありがとう」
「え、なにが」
「とにかくありがとう。答えが見つかったの」
佐原は首をかしげていたが、香耶の心は決まった。
あとのことを頼んで、すぐにエレベーターを最寄りの階で止める。
それから階段を使って、拓翔がいるはずの医局まで走った。