ミーコの願い事 始まりの章 「ペンタスとヒトデ」

私はもう大人です。

「相沢さん、もうすぐ学校の時間だから、帰宅する準備しなさい」

「あっはい」

 女性用の小さな更衣室に入り、紺色の作業上着をロッカーにしまうと、代わりに薄手の赤いカーディガンに袖を通しました。
 友達から教わったお化粧を確認するため、ロッカーの扉についた鏡を覗き込みます。

 大丈夫。口紅も取れていない。

 十七歳になった私は、子供のように浮かれたりはしません。
 社会人として、働いているのですから、お化粧やオシャレをして、いつも落ち着いていようと心掛けています。
 私は、取り出したポーチから口紅も出すことなく、そのままカバンにしまいました。


 中学を卒業してこの会社、橘デザインに勤め一年が過ぎました。
 当初は考えていなかった、夜間学校。
 いえ、社長に注意されるので、定時制高校と言い直します。


 そこに通っているのは、中学三年生の終わりに、面接時での社長からの提案でした。
 数年の会社だからと聞き、自分のためだと説得もさせられました。迷いながら仲の良い友人にそのことを話すと、気が付けばその子と、願書を出していました。

 まあ、一番の決め手は、学費がかからないことでしょうか。

 社長はいつも、今後のためだと理由をつけ、色々なことを私に教えてくれます。
 挨拶や文書、日頃の言葉遣い。電卓の使い方など、今では絵の描き方まで教わっています。
 四時四十五分。腕時計で時刻を確認すると、更衣室から出て、再び社長の側により挨拶をしました。

「お先に失礼します」

「お疲れ様。気をつけて行くのよ」

「はい」

 社長や、息子の守さんは、今まで出会うことのなかった、人物です。
 今まで私の容姿に顔を歪める人は多くいましたが、そのようなこともなく、家族のように接してくれます。
 美術や芸術にたずさわるのだから、個性があって良いと言ってくれます。


 必要とされる時に必要な見出しなみをすれば、それで良いとも言ってくれました。

 一体何なんでしょうか?

 気づいてもいないのに、何となく正当化していた自分を見つめ直すと、今では背伸びをしていることが、子供だと感じてしまいます。
 特にこの人の出会いが、その気持ちを強調させました。

「蘭。お疲れー」

 この方は数ヶ月前に入社した、霞京子さんでした。以前は現代アートデザイナーで、雑誌に乗るほどの有名人だったそうです。
 一度、コーヒーラベルの、アドバイスをもらったことがありますが、確かに的確というか、素人の私でも、この人は知識や経験を詰んだ、プロであることがわかるようでした。

 すごい人だとわかっているのですが、私より一回りぐらい年上なのに、いつも子供のようにふざけていて、私の調子を狂わせます。 

「お先に失礼します」

 私はもう一度社長や守さん、そして京子さんに会釈をしました。
 会社の玄関に歩き近づくと、元気良い声がかかりました。

「蘭、行ってらっしゃい。彼に安全運転でと声かけるのよ」

 心配してくれる言葉に、もう一度会釈をしようと振り向くと、満遍な笑顔の京子さんが、大きく手を振っていました。
 私はためらいながらも、小さく胸元まで手を上げてしまいました。
 
 あっ。

 年上の方に失礼だと思う気持ちと、今まで見せる事のなかった自分に、恥ずかしくなっていました。
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