音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
夕餉を終えた桜は、湯浴みを済まし、縁側で少し風に当たっていた。
桜は黒稜に抱いている疑問を幾度となく考える。
(やはり今日も旦那様の声がはっきりと聴こえた。でもどうしてかしら…。昼間にご挨拶した時は、やっぱり聴こえなかった…)
以前夕暮れ時に緑地で会った時にはその声がはっきりと聴こえ、今日の昼間は聴こえなかった。そして先程、夕餉の支度をしている時もはっきりとその声は聴こえたのだ。
(不思議なひと…)
優秀な陰陽師の家系の人だと聴く。もしかしたら、桜にかかった呪いのことも何か知っているかもしれない。
尋ねてみたい気持ちはあるが、黒稜は書斎に籠りきりでおいそれと話し掛けられる雰囲気ではない。
桜は小さくふう、と息を漏らすと、今日はもう寝てしまおうと立ち上がった。
しかしどの部屋を使っていいのか分からない。
黒稜からは好きに過ごせ、と言われたが寝床とする部屋も勝手に桜が選んでしまってもいいものだろうか。
「………」
少し考えてから桜は庭に面した手近な部屋にお邪魔することにした。
そこは小さな和室で、綺麗に整頓された部屋だった。
(誰かが使っていたお部屋なのかしら?)
小さなふみ机に本が数冊並んでいて、押し花で作られた栞が置かれていた。
花瓶も置いてあることから、庭で咲いた花を生けていたのかもしれない。
(明日、何か生けてみようかしら…)
そんなことを思いながら、布団を敷いて、明日は布団も干さなきゃ、と夢現に考えた。
静かな夜だった。
耳の聴こえない桜にとって、もちろん音だけを言うなら以前から静かではあったのだが、ここは空気そのものが穏やかで静かなのだ。
北白河家はあやかしの気や、負の念が強く、悪さを及ぼすほどではないにしろ、空気の悪さを感じていた。
しかしここにはそれが全くない。ただただ清らかで静かなのだ。
慣れない家での一日は、桜が思っていたよりも相当負担だったらしい。
布団に潜ると、すぐに睡魔がやってきて、桜は誘われるかのように眠りに落ちた。