音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
「その着物…」
ある日の朝食の時間での出来事。
二人分の食事を運んできた桜に、黒稜はぽつりと呟いた。
この前黒稜と街に出た時に買ってもらった桜柄の着物。
特に何があるわけでもない平凡な日ではあるが、なんとなく着てみたくなったのだ。
せっかく買ってもらったというのに、しまいっぱなしというのももったいない。
ちょうど黒稜の顔を見ていた桜は、黒稜の呟いた言葉に、慌てて鉛筆を取った。
【この前買っていただいたお着物です。いかが、】
まで言葉を和紙に綴って、桜は筆を止めた。
(似合うかどうかなんて、訊いても仕方がない、よね。黒稜様もそんなことを訊かれても困るだろうし…)
しかしそこまでの文章を、黒稜が隣からひょいと覗き込む。
桜は慌てながらも、途中まで書いた和紙を見せた。
すると黒稜は桜の着る薄ピンク色の着物をまじまじと見つめた。
相変わらず表情に乏しい黒稜ではあるが、淡々と言葉を紡ぐ。
「似合っている。お前が気に入ったのならよかった」
まさか褒められるとは思っていなかった桜は、頬に熱が籠るのを感じた。
「あ、ありがとう、ございます…」
こんな何気ない会話を、きっと幼い頃はいつもしていたというのに、なんだか酷く久しぶりで、それだけで桜の心は解されていく。
桜のために気を遣ってわざわざ褒めるようなことをする黒稜ではないと思うから、桜はその言葉を信じ大切に胸に閉まった。