音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました

(温かい。春の日差しのよう…。とても気持ちが良くて、ずっとここにいたいと思ってしまう)

 桜はまた不思議な夢を見た。
 寄り添う二人の男女。けれどその二人は、以前見た二人ではなかった。
 顔はぼんやりとしていてはっきりとは見えないけれど、庭の大きな桜の木の下で、仲睦まじく寄り添っている。
 二人共、幸せそうだった。

(素敵。私ももしかしたら、こんな人生が送れていたのかしら…)

 陰陽師として仕事を順調にこなし、聴力も失われることなく、素敵な誰かと出逢えていたら。
 そんな幸せな生活が、桜にもあったのだろうか。
 桜はまた深い眠りへと落ちていった。


 何かが傍で動いた気がして、桜はゆっくりと目を開けた。

(もう少し寝ていたい…)

 辺りはまだ薄暗い。もうすぐ日の出なのだろうが、日が出るまでにはまだ時間がありそうだ。
 桜は近くにあった温かなものを抱き寄せると、そのまま眠りにつこうとして…。

『おい』
「へっ!?」

 間近で聴こえた低い声に、桜はきょとんとする。
 すると。

『どうしてお前が、私と一緒に寝ているんだ』

 目を開けた桜の目の前には、つり目ながらも整った黒稜の顔。

 桜が抱き着いていたのは、黒稜だった。
 上半身の着物ははだけ、顕になっている。
 桜はその上でぐっすりと眠ってしまっていたのだった。

 現状を理解した桜は、慌てて黒稜の胸から距離を取った。
「す、すすすすみませんっ!!黒稜様っ!」

 桜は起き抜けで働かない頭を、何とかフル稼働させる。

(ど、どうして私、黒稜様と一緒に…?)

 辺りをきょろきょろと見回すと、血だらけになった布の山、すっかり冷めたお湯の入った桶。
 桜ははっとして黒稜に詰め寄る。

「く、黒稜様…!お、お怪我、は…!」

 聴力のない桜には、自分がちゃんと言葉を紡げているのか分からない。慌てているから尚更上手く喋れていない気がして、近くに和紙と鉛筆がないか探した。

 取り乱す桜を見て、黒稜はひとつ小さく息を吐き出した。
『いいから少し落ち着け』
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