音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
四章 夫婦の休息
「伊豆、ですか…?」
あやかし関連の仕事で、伊豆に行く、と黒稜から告げられた。
その日、帝との会食から帰ってきた黒稜は、なんだかやたらとやつれて帰って来た。
(帝様は陽気なお方だと聴くから、また黒稜様に無茶でも仰ったのでしょうか…?)
帝からの命はその辺の陰陽師では対応できないような危険な仕事が多いと、以前黒稜も言っていた。
また黒稜が酷い怪我をして帰ってくるのではと思うと、桜は気が気でなかった。
(もうあんなお辛そうな黒稜様は見たくない…)
桜の表情から心中を察したらしい黒稜は、桜の頭の上にぽんと手を置いた。
『心配する必要はない。伊豆での任務ではあるが、危ないものではない』
「そう、なのですか…?」
『ああ。清めに行くだけだ』
桜はほっと胸を撫でおろす。
(良かった、それならきっと黒稜様は、いとも簡単にお仕事を終えられるのでしょう)
ここから伊豆へは三十里もない。二、三日で帰ってくるのだろう。
また留守番を頼む、という話なのだろうと思っていたのだが、何故か黒稜は眉間に皺を寄せて、何かを言いたそうにしては、それを止めるといった落ち着かない様子を見せた。
「?黒稜様?」
桜は不思議に思って、黒稜の顔を覗き見る。
『伊豆に行く話なのだが…』
黒稜は渋々口を開く。
『……桜も一緒に同行してほしい』
「え、わ、私も、ですか…?」
陰陽師としてはもうなんの役にも立たない桜だ。黒稜の仕事に付き添う、ということではないはずだ。
『仕事はすぐに終わるだろう。私が言いたいのは、その後のことなのだ』
「後のこと、ですか?」
桜はますます首を傾げるばかりだった。
『伊豆に行くついでに、桜とゆっくりしてこい、と言うのが帝の命でな…』
またとんでもないことを言い出したものだと、黒稜は内心で大きなため息をついた。
何を考えているか分からないお方だ、何か意味があるのかもしれないし、ただ黒稜をからかうだけの軽口だったのかもしれない。
真意はどうあれ、無下にはできない。
桜は丸い大きな瞳を、更に大きく見開いていた。