音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました

 初めて会った時よりも、黒稜の雰囲気や空気感が柔らかくなったように思う。
 今日だって、はしゃぐ桜に何も言わず、ただひたすらについて来てくれていた。
 疲れた桜を気遣って、風呂も優先させてくれたのだ。

(何か、私も返せるものがあれば…)

 不器用ながらもなんだかんだ大事にしてくれている黒稜に、桜ができることなどあるのだろうか。
 桜はお湯を掬い上げながら、自身の手を見つめた。

(あの温かな光は、結局なんだったのかしら…?)

 黒稜が怪我をし、回復を祈った時、桜の手が優しい温かな光に包まれた。
 しかしそのことは本当にそれきりで、以来そんな不思議なことは起こっていなかった。

(見間違い、だったのかな…)

 気が動転していたこともある、もしかしらた見間違いだったのかもしれない。

(あ、長湯しすぎたかも……)

 考え事をしていたせいで、大分長い時間湯に浸かってしまった。
 頭が少しぼーっとしてきて、桜は慌てて露天風呂から上がった。


 着替えて部屋に戻った桜は、おぼつかない足取りで黒稜の横に座った。

「お風呂、お先に、いただきました……」
 やはり少しのぼせてしまったようで、桜の頭がぐらぐらと揺れる。

『おい、大丈夫か?』
 それを見た黒稜が心配そうに桜に声を掛けてくる。

「は、い。少し、のぼせてしまったようで…」
 桜はそこまで言葉を紡いで、そのまま黒稜の胸に身を預けた。

(だめよ…このままでは黒稜様に迷惑を掛けてしまう…)

 そうは思っているのに、どうにも頭が上手く回らない。
 暑さと眩暈で、桜は意識を失った。
『桜』
 遠くで黒稜が呼ぶ声が聴こえたような気がした。

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