音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
翌朝、黒稜は仕事のため出掛けて行った。
旅館に一人残された桜だったが、のんびりと朝食を終え、支度をすると街へと繰り出した。
黒稜にはなるべく旅館で待っているようにと言われていた。仕事も大して時間が掛からないから、そこにいるようにと。
しかし桜は、どうしても行きたいお店があり、そそくさと旅館を出発したのだった。
(黒稜様が帰ってくる前に、早く用事を済ませてしまおう)
桜は目的地へと急いだ。
伊豆の街には朝からたくさんの人が往来していて、きっと賑やかなのだろうと思う。
桜の耳には届かないが、とっても活気づいているに違いない。
(たしかこの辺に……)
桜は辺りを見回して、とあるお店を探す。
(あった…!)
飲食店の並ぶ一角に、そのお店はひっそりと建っていた。
桜が探していたのは、全国的にも有名なお茶屋さんだった。
北白河の家にいた時、よく母が使用人に買いに行かせていて、疲れが取れ、身体にいいいのだと、桜も弥生もよく飲んでいたものだった。
(黒稜様も仕事でお疲れになっているだろうし、ぜひ飲んでもらえたら。私も好きなお茶でもあるし、せっかく伊豆に来たのですもの、買って帰りたいわ)
桜は混み合う店内で目当ての茶葉を見つけ、それを購入した。
(黒稜様に怒られる前に、早く帰らなくては)
旅館への道を急ぐ桜。
そこに向かいから走ってくる男性があった。桜が気が付く前に、その男性は桜にぶつかる。