音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
五章 来訪者


 それは伊豆から帰ってきて、少し経った日のある晩のことだった。
 その日の夜も、黒稜はあやかし退治の任に出ていて、桜一人で夜を過ごしていた。
 この前と同じように、早くに戸締りをするよう言われていた桜は、日が暮れ始めてすぐに各部屋の戸締りを行っていた。

 最後に玄関の戸締りをしようとしたところ、玄関先に人影があり、桜は顔を上げた。

『御免ください』

 声が聴こえたような気がして驚いた桜だったが、続く言葉はやはり桜の耳には届かなかった。

「ここは、御影の家で間違いございませんか?」

 目の前の小さな男性の口が、そう動いた。
 桜は頷く。

「はい、そうです」

 桜の返事に嬉しそうに頷く男性。

「そうですかそうですか。で、ご当主様はいらっしゃいますかな?是非ともお話したいのですが」
「今は、出ておりまして。帰りは、いつになるか、分からないのです」
 桜がそうゆっくりと説明すると、男性はにこやかにうんうん頷きながら、「そうですかそうですか」とまた繰り返した。

「御用でしたら、また明日…」
 と桜が口を開くと、男性は顔の前で手をひらひらと振った。

「いやいや、それには及びません」
「え?」
「私が用があるのは、貴方なのですから」

 先程までにこやかだったはずの男性が、急に冷たい空気を纏った気がした。
咄嗟に危険だと判断した桜は、さっと後方に飛び退いた。

するとそこにすかさず、札が飛んできて、地面に突き刺さり燃えて消えた。あやかし退治の際に陰陽師が使う、祓いの力を込めた札だ。

桜は足元で燻る火を見つめ、ごくりと唾を呑み込んだ。

(避けていなかったら、私、燃やされていた…?)
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