音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
『祈りの巫女という存在は、突然現れる。この時代では桜、それがお前だったのだ』
「わ、私は、どうしたら、良いのでしょうか…?」
陰陽師としての力を失い、役立たずとなった自分が、祈りの巫女という強大な力を得てしまった。これから先桜はどうしたらいいのか分からなかった。
そんな狼狽する桜に、黒稜は淡々と答えた。
『特に何をすることもないだろう』
「え……?」
『祈りの巫女だと知られれば、その力を欲しがる輩が寄ってくる。知られないよう、ひっそりと暮らしていれば良いのだ』
「そ、それで良いのですか…?」
黒稜の拍子抜けする返答に桜は目を丸くした。
『それでいい。祈りの巫女となった者は、代々そうして隠して生きてきたはずだ。だから我々はずっと、お伽噺だと思っていたのだ。私は書斎の文献から、祈りの巫女についても知っていたが、本当にいるかどうかは半信半疑だった』
『まさかそれが、桜だとはな』と言いながら、黒稜は苦笑した。
『桜のことは必ず私が守るが、このことはなるべく他言しないでくれ。北白河の家など、すぐに桜を連れ戻そうとするだろうからな。そうすればまた利用され、桜が傷付くだけだろう』
「分かり、ました…」
信じられないような話ばかりではあるが、黒稜が言ってくれた「守る」と言う言葉が、桜にとってはそれこそお守りのようになった。
(大丈夫、何かあってもきっと、黒稜様が私を守ってくれる)
『今の桜は、祈りの巫女として完全に覚醒したわけではないと思う。しかしそのうち、好きな時に過去や未来を視ることも出来るようになるだろう。もちろん治癒の術も使えるようになるはずだ』
『すっかり話し込んでしまったな。夕飯にしよう』と黒稜はこの話を締めくくった。
黒稜は前々から桜の力について不思議に思っていたせいか、実に淡々としていて、桜としてはそのいつもと変わらない黒稜の姿に、少し心が和らいだ。
『今日は私も手伝うとしよう』
お台所へと向かう黒稜の後を、ぱたぱたと追う桜。
「黒稜様、料理、お得意なのですか?」
『得意というわけではないが、桜が来る前は適当に作って食べていた。その程度だ』
その晩、桜と黒稜は並んでお台所で夕餉を作った。
桜と黒稜にとってはその何気ない一時が、大変な幸福であるように感じられた。
(こんな風に、穏やかな時間を過ごせる時が来るなんてな…)
黒稜は少し天を仰ぎながら、自嘲気味に笑った。