音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
「桜、もういいか?」
「あ、はい。あ、いえ最後に…!」
桜は持って来ていた手提げ袋から、お饅頭を取り出した。それを墓前へと供える。寺への道中の饅頭屋で購入したものだ。
「なんだ、桜が食べるために買ったのかと思っていた」
「ち、違いますっ!黒稜様の、ご両親に食べていただきたくてっ…」
黒稜はふっと笑う。
「勘違いして悪かった。しかし、墓前に饅頭を供えていると、その辺の低級のあやかしに食われるだけだぞ」
「それはそれで、いいのです。腐ってしまうよりかは、食べてもらった方が、よいです」
黒稜は穏やかな笑みを浮かべて歩き出した。
「少し、街に寄って帰るか?」
「はい!」
黒稜の提案に、桜は元気よく頷いた。
街へとやって来ると、普段とは比べものにならない程の人出だった。
こんなにも多くの人が街に集まっているところを、桜も黒稜も見たことがなかった。
「何か、あるのでしょうか…?」
桜の声も、黒稜に届いているのか分からない。かと言って、どの程度の大きさの声で話したら黒稜に伝わるのかさえ、桜には分からなかった。
普段はただの通り道となっているそこかしこに、たくさんの出店のような屋台が出ていた。ソース類の香ばしい匂いが辺りに漂う。
着物の袖をちょいちょいと引っ張られ、桜はそちらを振り返った。黒稜がとあるポスターを指差し、「これだ」と口を動かした。
桜もああ!なるほど!と手を合わせた。
今日はどうやら秋祭りの日であるらしかった。
祭りは地方によって開催の季節が異なるが、この街では秋の終わりに収穫の祭りをするようだった。
黒稜はあまりの人の多さに少しうんざりとしていたが、「寄って行くか?」と桜に尋ねてくれた。
(黒稜様はきっとこういう場は好きではないし、本当は帰った方が良いと思うのだけれど、せっかくだから黒稜様と一緒にお祭りを散策したい)
桜は申し訳なく思いつつも、誘惑に勝てずこくんと大きく頷いた。
黒稜はやれやれと言った様子で、桜の手を握った。
急に手を握られた桜はびっくりして黒稜を見上げる。
「はぐれるなよ」
「はい…」
照れくささと嬉しさを感じながらも、桜はその温かな大きな手を握り返した。