音のない世界に生きる私が、あやかしの妻になりました
とっぷりと日が暮れても、人々の喧騒は止むことがなかった。昼間よりも人が多くなってきた気もする。
しかし夜だと言うのに、嫌な気配は然程感じられなかった。
夜になると出て来ようとする悪い気やあやかしも、この賑やかさに気圧されているのかもしれない。
桜はそんな風に思いながら、屋台の一角に腰を降ろして街を見ていた。
「賑やかですね」
『そうだな』
桜の隣に座る黒稜の表情は、とても穏やかに見えた。
座っている状態で迷子になろうはずもないのに、黒稜は桜の手を離そうとはしなかった。
(心配…してくださっているのでしょうか…)
黒稜が桜をどう思っているのか、桜は少なからず気になっていた。
(黒稜様は、私と出逢ったあの時よりも、私といることを楽しんでくれているでしょうか…)
「黒稜様、」と桜が声を掛けようと口を開いた時、辺りがいっそう明るくなって、黒稜の身体が一瞬びくっと震えた気がした。
桜も驚いて明るくなった方に顔を向ける。
桜は目を見開いた。
空一面に、大輪の花々が咲き乱れていた。
それは真っ暗な夜空を明るく照らし、人々を笑顔にしている。
「花火…」
小さい頃に何度か家族で見たことはあったが、久々に見る花火に桜は心を奪われた。
「綺麗…」
隣では黒稜が同じように花火を見上げている。
桜には花火の大きな音は聴こえないけれど、確かに大きな音が鳴っているような、ずどんと胸に響く心地がした。
(もしかしてさっきの黒稜様、花火の音に驚いていたのかしら?)
黒稜の可愛らしい一面を見てしまったと、桜はくすくす笑った。
それに気が付いた黒稜が、眉間に皺を寄せてむっとした顔で桜を見ていた。
『何を笑っている?』
「あ、い、いえ…」
照れくさそうな顔を見せた黒稜は、怒ったようにまた夜空を見上げた。
それを見た桜はまたくすくすと笑った。
実家では暗い表情ばかりだった桜がいつしか笑顔を取り戻し、桜と出逢ったことによって黒稜もまた穏やかな表情を浮かべるようになった。
桜が祈りの巫女であるとか、黒稜があやかしであるということは、その時はすっかり忘れて二人は夜空を彩る花々に、心癒されたのであった。