病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける

 先ほどの泉澄の異能の力を見た淳も、本音を言えばクラスにいた生徒と同じく恐怖を感じた。だけど言葉通り。淳はこんな事を望んでいない。

「学校に行けるだけで……それだけで良いんです」

 気を失っていた生徒が次々に目を覚まし、何が起きたのか記憶が曖昧のようだった。

「泉澄様!何があったんですか!?」

 全力で廊下を走り、混乱する教室のドアを勢い良く開けて叫んでいるのは泰生だ。泉澄の霊気にただならぬ殺気を感じ、急いで飛んできたらしい。

「泉澄様、淳様、今日は帰りましょう」
「……」「……」

 泰生に促され、無言で教室を後にする時誰かが口を開いたその言葉を
淳は耳にしてしまう。

志紅(しぐれ)様はどうするの?あのお方、ずっと一途に五龍神田様を想っていた筈よ?」
「まさか夜蜘蛛に……」


 ──チクッ


 感じたことの無い胸に刺さった痛み。聞いた事が無い名前に淳の心が何かに引っかかった気がした。


 志紅様?


 廊下を出る時に泉澄が淳の手を繋ぐ。その姿に、残された生徒は夜蜘蛛の淳が「本物」だと確信し、教室内は益々混乱が繰り広げられていたが、淳の心の内も違う意味で同じだった。


「失礼な事を存じ上げますが、淳様の事を思うと泉澄様の今日の行動は、少し軽率な行動だったと思われます」

 車を走らせ、運転席で忠告する泰生にそれを素直に聞き入れる泉澄。当たり前だが淳には口を挟む勇気は無い。

「調査の報告が裏目に出たな」

 後部座席で淳の手を握りながら、もう片方の手で頭を掻いている泉澄は先ほどの出来事を反省している様子だった。

「理由は簡単なんだ。お前を傷つける奴らに制裁したかった。だけど……」

 当惑している淳の顔を見て泉澄はソッと呟く。

「お前はこんな事を望んでいなかった。少し考えれば分かる事なのに制御出来なかった。すまない」
「おばば様も言ってましたよ。本物を目の前にすると大事な事も抜け落ちると」

 車を走らせる車内の窓から見える景色はすっかりと陽が落ち、夜を迎えようとしていた。

「淳様の発作、起きていない事にお気付きでしたか?」
「あれ?そう言えば……」

 その言葉に淳が反応する。一日に何度も起こる発作は午前中の一回のみ。その一回は泰生に治して貰ったものの、薬も飲んでいないのに発作はあれから出ていない。

「おばば様が蠱毒虫の動きを止める異能を使ったそうです。しかし今後、再び発作が起きる時はおばば様の異能すら効かないとなると、それは」
「もういい、喋るな」

 これ以上聞かなくてもわかると泉澄は理解した。

 蠱毒虫は至るところに転移をしてはその身体を蝕んでいく。早期発見で数を減らす事は出来ても、時間と共にまた数を増やし、完全に治ることが出来ない病魔だった。あやかしの血だけを好み、人間には発症しない。生命を喰われていくあやかしは、ただ死を待つのみ。

 太古から存在する蠱毒虫は一種の呪いと言われており、いくら空狐のおばばの異能で動きを封印しても決して消えることは無い。おばばの異能が効かなくなり、発作が始まるということは。

 淳の命が残り数日という事になる。

「泰生、とにかく引き続き蠱毒虫の情報を収集してくれ」
「全力を尽くしております。あと……」
「まだ何かあるのか」

 もう聞きたくないなと、ため息を吐きながら少し苛立つ泉澄。

「今日の祈祷をお忘れなく」
「あぁ!もう!一日くらい祈らなくても神は怒らん!」

 会話の内容に淳は気まずくなる。極力聞かないようにしてはいるが、自分の身体の内容は覚悟はしていてもやはり自分は死ぬのかと実感する。これが運命なのだから抵抗はしない。

 ただ一つ、自分の余命よりも気になる内容が浮かび上がってしまった。

 志紅様って……誰だろう
 考えながら、淳は初めてこの二人に会った日の事を思い出す。あの時内容は理解していなかったが、何処か繋がるこの違和感。


「は?馬鹿を言うな。本物を見つけたら宝生とはもう繋がる理由も無い。さっさと縁を切ると連絡しろ」


 あの時確か泉澄様はこう言っていた。身分の高いあやかしは、本物を見つけられない場合、同じく身分の高いあやかしか人間と婚姻をするのがこの世界の常識。

 もしかして、泉澄様には婚約者がいたの……?

 自分の想像に胸がざわつき、横顔ですらため息が出るほど美しい、隣に座っている泉澄の顔を見てしまう。

「焦った顔をしてどうした?体調が優れないのか?」
「い、いえ……大丈夫です」

 聞けない、聞ける筈もない。
 婚約者がいたのかなんて、私と出会う前は婚約者と愛し合っていたのかなんて……



 あぁもう手遅れかもしれない。
 私、泉澄様にきっと惹かれてしまっている。

 彼の異能の力は震え上がる程怖いのは事実だが、私の為に行動を起こし、コロコロ変わる表情や仕草、直接的な愛情表現が嬉しくて、私の心が暖かい愛に満たされていくのを感じてしまった。
 しかし聞こえた志紅様の名前に、一途に想い続けていたという声。もし仮にそれが本当なら……
 実感は湧かないが、本物と呼ばれる私が突然現れたのであれば……

 様々な想像をして思わず外の景色を見るフリをしながら、泉澄から少し距離をとってしまう。



 空は完全に夜になる。

 夜蜘蛛のあやかしの淳にとって、血は薄くとも夜蜘蛛の特性はやはり夜に発揮されてしまい、泉澄の結界が思ったより早くに外れてしまった。結界が外れた事は泉澄や泰生には気付いたが、特に問題があるわけではないと再び結界を張ることはしなかった。

 淳は頭を冷やそうと車内の窓を開けた時、結界が切れた夜蜘蛛の匂いが風に吹かれて流れていく。その匂いはある所まで。



「汚れた匂い……まさか、噂は本当なの?」
「志紅様、どうかなさいました?」
「窓を閉めて下さる?不愉快な匂いが外から漏れてきておりますの。」

 北側に五龍神田の屋敷があるとするならば、南側に構える赤鬼の一族宝生家。

 窓を開けたまま広い浴場で入浴をしていた志紅が、夜蜘蛛の匂いを感知し、使用人に窓を閉めるように指示を出す。

 大きな浴槽から上がり、湯気を出しながら柔らかいタオルで拭くその身体は豊満で妖艶な容姿。
 口元の横にある小さな黒子が更に魅力的な正体は宝生志紅(ほうしょうしぐれ)
 赤鬼の一族は、自分の欲求の為ならどんな手段も選ばない。例えそれが他人を殺めることになろうとも。

 「五龍神田様とあろう者が、夜蜘蛛の餌食にかかるなんてらしくないですわね。大丈夫ですわ。夜蜘蛛ごとき、直ぐに殺して差しあげます」

  
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