病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける
 会計を済ませて病院前で泰生の車を待つ二人。大きく広すぎる駐車場の為に車はなかなか来ない。

「淳、気にするな。必ず何とかする」
「……」
「……淳?」

 言われた余命日数に少しずつ実感し、ボーッとしてしてしまう淳は泉澄の声かけに反応出来ずにいた。

「おばばの所に行って少しでも病魔を……「泉澄様」

 言葉を遮るように淳は話をする。

「申し訳ありませんが、今日は母の元へ行っても宜しいでしょうか。心臓が止まる前に最後に顔を見たいのです」
「……なっ!」

 縁起でも無い言葉と思ったのか、泉澄は淳の要求に反対してしまう。

「無理だ。俺と離れた時に何かあったらどうする。許可は出来ない」
「……」

 優しさなのか心配なのか、淳にはもう分からなくなっていた。母の顔を見たいという願いは我が儘なのだろうか。


「私達……どうせ結婚出来ませんし、もう私を自由にさせて下さい」


 淳はそう言い放った直後に歩き出す。慌てた泉澄は淳の手を掴む。

──細い、こんなに細かったか?

「……淳」

 名前を呼んだその相手の顔を見ると、最初と出会った時と同じように覇気の無い表情。自分を好いてくれていた筈の照れながらも愛に満ちていた笑顔は、とっくに消えていたのを今更ながら気付く。

 最後に淳の笑顔を見た日はいつだったか

 病魔のせいなのか?志紅のせいなのか?

 泉澄が思い浮かぶ理由は勿論淳には何れも当てはまる。
 しかし、笑顔が消えた一番大切な理由は泉澄にはわからなかった。

 愛している。
 それは細蟹淳だからではなく「本物」だからという自動的に動いてしまう偽物の愛情では無いのか。

 淳だからではない。
 本物としか見られない存在。

「ごめんなさい、私もう……」

 捕まれた手が一瞬軽くなり、簡単に振りほどけたお陰でそのままフラフラと歩き出す。

 泰生が泉澄の前に車を停め、淳の姿が無いことに気付き声をかける。

「あれ?淳様は?まさか、入院したのですか?」
「……いや、違う」

 泉澄の見たこともない落ち込んだ姿に付き合いの長い泰生も流石に少し焦ってしまう。理由を言わない泉澄を乗せ、一先ず屋敷に帰ることにした。

 そして淳は悪いと思いつつも持たされていたお金でタクシーを拾い、母親と住んでいたアパートに向かう。
 たまに母親に連絡を送っていたが一度も返信は来たことが無かった。

「突然帰って来たら……迷惑かな」

 不安になりながらも見慣れた景色に数週間離れただけでも懐かしく思え、あっという間に目的地に到着する。生まれ育った古いアパートの外観をぼんやりと見つめ、何も変わっていないことに少しだけ安堵し、勇気を振り絞って自宅のチャイムを押すが物音一つせずに誰も出てこない。

「お母さん……買い物かな?」

 ドアを開けると鍵がかかっていないことに気付き、そのまま玄関に入るといつも嗅いでた実家の匂い。埃くさくてあちこち老朽している古い間取り。だけど私と母親が居られる唯一の居場所だった。
 相変わらず必要な家具以外何も無い部屋。だけど以前はあちこち転がっていた空き缶や、割引シールが貼られたお弁当のパックのゴミは一つも無く、よく見ると台所にあったガスコンロは前より使っている形跡があった。

「お母さん……頑張ってるのかな」

 病んでいた母親が懸命に生きている様な気がして、胸が熱くなって涙が溢れそうになる。

 会ってはいけない、母親の邪魔をしてはいけない。そんな気がして急いで自宅のアパートを出る淳。もう自分の居場所は消えてしまったが、母親が前を向いてくれてるのであればそれで良い。そう思いこの場所から離れて、行く宛の無い道を歩き出す。

 それからほんの数分後に淳の自転車に乗った母親が戻り、何となくいつもと違う部屋の空気に気付く。

「……淳?……まさかね」

 作業着を着ていた母親は淳の働いていた清掃のビルの仕事を、病気で行けなくなった娘の代わりとして頭を下げて働かせて貰っていた。
 最低賃金を下回る時給だが、それでも母親として文句を言わずに仕事を続ける。

「白鬼様の所にいればきっと治るよね」

 いつか淳が里帰りしてきた時の為に安心させてあげたい母親の願い。だが、淳の命はあと一週間という事実を知らず。

「お母さんに会いたかったな」

 そんな事を思って歩いていた時だった。

「うわ!夜蜘蛛が歩いてやがる。どーりでうちの犬がやたらと吠えると思った」

 目の前に大きな犬を連れた中年の男性が淳に向かって大声を上げる。リードで繋がれた大きな犬は牙を剥き出し、そして威嚇するかの様に吠えている。

「ご、ごめんなさい」

 忘れていないようで忘れていた。老若男女誰もが自分を見ただけで嫌悪感にしてしまうことを。何もしていなくても謝ってしまう日常を。

 おじさんがリードをわざとに離し、大きな犬は牙を出しながら淳に向かって突進してくる。

「きゃぁぁぁ!」

 腕を噛み、そして細い淳の腕ごと噛み千切ろうとしている大きな犬は唸り声をあげて離さない。その光景におじさんは笑って止めもしない。

 これが現実だった。
 こんな仕打ちが慣れていたせいで、使用人達の嫌がらせがあまり気にならない理由でもあった。

 夜蜘蛛の世間での対象はこんなにも酷い。

「よーしよし、ジェット。夜蜘蛛の肉なんて食ったら腹壊すからそのくらいにしとけ」
「グルルル……」

 飼い主に止められても未だに唸る犬がようやく離れ、淳は怖さのあまりにへたり込んでしまう。

「ハァ……ハァ……」

 腕から多量に流れる出血を必死に押さえ込むが、泉澄が用意してくれたマスタード色のチュニックがどんどん血の色に染まっていく。

「どうしよう……どうしよう……服が」

 噛まれた痛みより服の心配をする淳。怒られるかもしれない。そもそも勝手にこの場所に帰った私の非でしか無い。

 いつの間にか泉澄と出会う前の気が弱く、物事全ては自分のせいと思う淳に戻っていた。

「もう……何処にも帰れない」

 真っ赤に染まる腕を押さえ込みながらフラフラと歩き出す。血がポタポタと垂れ、歩きながらコンクリートが血で染めていく。

「おい、そこの娘」

 遠くで聞いたことがある声が聞こえ、今にも倒れそうな状態の中ゆっくりと振り返る。

 紅葉の柄が描かれた、綺麗な着物を着ている白髪の高齢の女性が杖を持ちながら立っていた。

「貴方は……」

 そう思った瞬間、意識は何処かに飛んでいき倒れてしまう淳。



「……全く。病魔ではなく獣に命を尽きさせ、白鬼にこの世の四つ足を絶命させる気か」

 淳が目を覚ますと、空狐の膝で頭を乗せて横になっているのに気付いて急いで起き上がる。しかし体調が良くないのか、一瞬目眩がして額に手を置いて動けなくなる。
 その様子に空狐のおばばが優しくシワのある手で淳の身体を支え、再び膝枕の状態に戻す。そして乗せられた淳の頭をゆっくりと撫でる。
 下から覗くおばばの顔は沢山のシワがあり、見たこともない自分の祖母のイメージを連想させた。

「寝てろ、無理をするな」
「……でも、綺麗なお着物が……」

 血のついている自分の服のせいで、おばばの着物が汚れてしまう心配をしてしまう。

「フン。年寄りでも着物を洗うくらいの金はあるから案ずるな」
「……でも」

 おばばの精一杯の冗談を言ったつもりだが、淳はそれに気付かず本気で心配してしまう。

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