病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける

「余の夫もいつも人の心配ばかりしていたのを思い出す」

 おばばは淳の頭を撫でながら昔話を子守唄のような安らぐ音の高低で話を始めた。淳はその心地よい空気に、まるで子供に返った時のような錯覚をする。

「お前と同じだ。立場も身分も低く、いつも自信が無い奴だった。だがそんな夫を、余はいつも愛おしかった」
「……」
「余も本物と出会えた幸運の持ち主だ。しかし、相手にしてみたら迷惑な話しかもしれぬな」
「え……」

 泉澄も知らないおばばの昔の話。その内容は自分と重なるような、なんだか切ない恋の話。

「余の母は天狐と呼ばれる狐の中では最上位のあやかしだった。しかし親が天狐だからと言って、必ずしも子が天狐になれるとは限らぬ。人間だった父は今で言う領主の立場だった故にお互いの地位の強さから夫婦になったと聞かされた」

 おばばは変わらず淳の頭を撫でながら話を続ける。

「政略結婚の両親な故、愛が欠けた結果天狐では無い余が産まれた。余を見る母の見下した目は今でも忘れられぬ」
「……」
「今思えば(いびつ)な親子関係だった。力では母に到底敵わぬと身をもって実感し、異能ではなく知識をつける事に専念したのだ。医学を学んでいた時にそれは訪れた」

 おばばはその時の瞬間を思い出しているのか、その表情はまるで少女のようだった。

「おばば様の旦那様ですか?」
「……身も心も奪われるのを初めて体験した。名も知らぬ夫に強く惹きつけられたのだ。直ぐに分かった。この男が余の本物だと」

 泉澄が淳を見つけた時もこんな事を話していたのを思い出す。


 俺の本能が全身全霊、お前に対して心がどうしようもなく惹きつけられているんだ


「……本能で分かるのですか?」
「……分かる。異能の力が強い程猛烈に感じるのだと思う」

 自分が泉澄に惹かれるのにさほど時間はかからなかったが、泉澄が自分の本物と呼べるかと言ったらそこまで感じることが出来ない。

「お前と同じく野狐の夫も余に対して強く感じることが出来なかった。だからこそ不安や疑心に襲われるのだと思う。しかし余は、その夫の不安に気付いてやることが出来なかった」
「……野狐だったのですか?」
「狐のあやかしは差別が強い故、夫は随分と苦しい人生を歩んでいたな」

 重なる境遇、会ったことも無いおばば様の夫の気持ちが痛い程想像出来た。

「ただ愛しいだけだった。奴の為なら命すら捧げても構わない。本音を言えば今もそれは変わらぬ」
「……」
「しかし本物を見つけたとて野狐を婿にするなど母が許す筈も無かった。だから逃げた、遥か彼方の遠く離れたこの地まで」

 駆け落ち……今で言えばこの言葉がしっくりくるだろうか。おばば様と旦那様が死に物狂いで天狐から逃げるなんて、想像を絶するいくつもの前途多難な道のりがあっただろう。

「夫は母や父、その他の刺客に命すらも危ぶまれていたが、余は気付かなかった。言い訳に聞こえるかもしれぬが周りが見えなくなるのだ。白鬼も余と同じだ」
「……はい」
「悪気は無いのだ。中身に容姿、放つ声に本物から湧き出るその空気全てが愛しくなり、自我が失われたかのように判断が少し狂うのだ」

 困ったように笑うおばば様のその言葉に偽りは感じられない。おばば様の表情にきっと泉澄様の悪気の無い行動が想像出来ているのか、そして自分の過去と重ねているのか。

「すまぬな、苦しい想いをさせて。余の夫もきっとこんな風に悩んでいたのかと思うと歳をとっても胸が張り裂けそうになる。そして心に秘めてくれ、白鬼も知らぬ話だ」
「あの……旦那様は……」
「亡くなる寸前に気弱で内気な夫からようやく聞けた。お前を心から愛していると」

 
 朱色の縦長の瞳孔に最初は恐れ多く思っていたが、おばば様の内緒の話にほんの少し親近感が湧いた。勿論だからといって、本来なら簡単に近づいても良い存在では無い。
 なのに膝枕をしてもらい、おばばのシワのある手で私を撫でてくれる。いつの間にか傷も消え、体調も少しだけ戻った気がした。

 そして突然優しい表情から一変、いつもの知っているおばばの顔に戻って神妙そうに話をする。

「……あぁ見えて孫は医師の中では腕は悪くない。辛いかもしれぬがお前に告げた余命も残念ながら間違えておらぬ」

 おばばは今日泉澄と行った病院の院長。恐らく淳の情報を耳にしている。そんなおばばが否定しないということは淳の命は宣告された通り。

 ──残り僅か一週間

 傷が消えても今後は益々体調が悪くなっていくだろうと淳には分かる。

「孫が以前話したと思うが、全身に蠱毒虫に蝕まれているにも関わらず、痛みが無いのは今の医学では聞いたことが無い。仮説だが、虫には痛覚が備わっていないのが多数存在する」
「……痛覚が無い?でも私、さっきみたいに噛まれたり怪我をさせられた時は、いつも痛みを感じていました」
「命の危機を感じた時にだけ痛覚が消え去る、特殊な力が夜蜘蛛にだけあるのかもしれぬ」

 命の危機を感じた時……確かに昔、通り魔に刃物で襲われた時は傷が深くて入院をしていたが、その時の痛みを覚えていない。

「夜蜘蛛が昔ながらの俗説で誕生した事自体が異例なのだ。あくまで仮説だが、虫にも魚にも痛覚が無いと信じている人間達の願いを夜蜘蛛は特殊体質にしたかもな」
「……じゃあ私が死ぬ時は痛みは無さそうですね」
「お前が死んだら証言出来ぬから今後も解明される事は先ず無いな」


 そろそろ時間だな、白鬼が迎えに来る


 一瞬だけ頭の中からおばばの声が聞こえたと思ったら、いつの間にか公園のベンチで横になっている淳。
 傷は消えたが淳の血で染まった服はそのまま。夢のようで夢じゃなかったおばばとの時間。

 きっととても大切に閉まってある思い出なんだろう。

 私はおばば様の旦那様の立場の方だが、その方に聞かなくてもきっと悩むことは同じだと思う。

 何故自分なんかを

 本当の自分を愛してくれてるのか

 彼を信じるしかない。それしか方法はきっと無い。

 あと一週間……彼といれる日数のカウントダウンが始まってしまった。
 結局治す治療も薬も見つからなかったけれど、必死に探しながらも私と過ごしてくれた事。今考えれば彼の努力と愛情に私の感情が一喜一憂して、勝手に悲観的になっていたのもあった。
 彼の愛情を全て信じることが出来ず、なのに自分は信じて欲しいという身の潔白も行わずにただ一人勝手に落ち込んでいたことに気付かされる。

 死んだあやかしは骨も残らない。

 どうせ私は消えてしまうのならば、あの赤鬼の志紅に関わりたくないのも本音を言えばあった。

 逃げていた、傷つくことに
 目を背けていた、自分の運命に
 もっと話をしなきゃいけないことは沢山あった……

 夜蜘蛛の細蟹淳は、白鬼の五龍神田泉澄に愛されて幸せだと。

 幸せだったと

「淳!」

 ベンチで横になり、風で雲が流れる空を見ながら全身に喜びを感じる愛しい人の声が聞こえる。

「淳!大丈夫か!?」

 慌てて駆け寄る泉の表情は焦っていることが伝わる。その姿に……心から溢れる程に思う。


 貴方と出会い、貴方に愛されて幸せを感じられた。そして、貴方とずっとこれからも生きたかった。

 抱き締められるこの強さを、もっともっと信じたかった。



 ──死にたくない







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