病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける


「泉澄様……私……私」

 ベンチで抱き締められながら淳は泉澄にゆっくりと話す。

「私、志紅様が婚約者ということを知っておりました。彼女の姿彼女の存在に自分は何て不釣り合いだろうと自信を持てずにいました。私なんかより志紅様の方がお似合いではないかと考えて……」
「もう、喋るな!」
「お願い聞いて下さい。私、屋敷でも沢山の嫌がらせを受けてきました。でも私……何もしてない。夜蜘蛛だからと諦めておりましたが、泉澄様だけには信じて欲しかった」
「…………」
「何故私なんかが本物という恐れ多い立場に選ばれたのかは分かりません。そして本物だから、私が何をしても何をされても本来の私自身を見てくれないのだと思っておりました。」


 涙がボロボロと零れ、髪も乱れてきっと私は醜い顔をしているだろう。普通の人なら私なんかの泣き顔なんて不快以外何物でもない。私が本物じゃなかったら泉澄様だってこんな姿、嫌悪感に包まれるかもしれない。だけど……

「心から貴方を愛しております」


 身体中の水分全てが涙で流れてしまいそうだった。泣かないと決め、我慢していた幼少期からの涙全てが流れているくらい、淳の目からボロボロと透明で純粋な涙が止まらずにいた。
 抱き締めてくれる力よりも、淳の方が力強く泉澄の背中に手を回す。


「……俺が間違えてたんだな」

 泉澄が小さく淳の耳元で呟く。その言葉に淳は、自分を愛してしまったことが誤りだったと言われる気がして不安になる。
 最初に出会った時からその覚悟を持って彼と過ごしていた。いつ自分が捨てられても良いように、期待しないように。心の何処かでブレーキをかけ、そのグレーの瞳と血行が良い唇から「お前は要らない」と言われても傷つかないように。

 もうそれは出来ない。
 きっと私は今彼に捨てられてたら今までで一番傷つき、立ち直れない程に愛してしまった。

 しかし自分には権限も無い。捨てられたら終わり。泣いて縋ることなど出来る筈も無い。

「……淳」
「……はい」

 自分を抱き締めてくれた両手が離れ、淳もその手を離す。これから言われる言葉にせめて淳は彼の瞳から逃げないように心を決める。

「淳、俺が間違えてた。お前が生まれてから今の今までの暮らしを調査していたのは耳にしているな?お前が世間からされていた心が痛む事に、俺は何があってもお前を受け止めると決めていた」
「……はい」
「お前に渡した衣類や現金、使用人達への暴言や身勝手。それもこれも否定され続けてきたお前がそんな行動を招いても仕方ないと目を瞑っていた。……馬鹿だな、普通に考えたら分かることだよな」
「……」

 良かれと思ってしていた泉澄の行動に、逆に淳が傷つき苦しい想いをさせていたと後悔の念に駆られた表情をしている。

「そんな小賢しい行動するわけない。だがお前が望む全てを許容することが正しいと思い込んでいた。冷静に考えたら分かることなのに」
「……でも母に会いたいという望みは叶えてくれなかった」

 淳は泉澄に初めて自分の不満を伝えた。淳が望む悪行を働いていたと思われ、それらを許すと言われても母に会いたいという望みは絶たれた違和感。

「それは誤解だ。お前の身体を考えたら母親との面会は屋敷で行うつもりだった。あの時は言葉足らずだった」
「……志紅さんは」
「……そうだな、初めから説明をするべきだった。すまない」

 秋風が吹きすさぶ公園のベンチで二人並び、冷たい空気を肌で感じながら泉澄は淳の肩を寄せて話を続ける。

「婚約者……といったら将来を約束されたものと捉えられてお前に誤解を与えたくなかった。異能の強いあやかしは本物が現れない場合、位に見合った相手と婚姻することが当然とされてきたから、俺も例外なく物心つく前から宝生との婚約を結ばれてた」
「そんなに早く……」
「まぁ、親父とお袋も似たようなものだから賛成も反対もしなかった。しかし、自分がどうしても宝生志紅と夫婦になる未来を想像が出来ず、婚約を結んでから何十年と経過する程その違和感が強くなった」
「……」
「きっとお前がこの世に産まれた時からこの違和感が確信に変わったんだな。俺の本物が必ず近くにいるような気がして」
「泉澄様……」
「お前を見つけるのが遅くなってすまない。本物という立場を抜きにしても、もしかしたらきっと……お前に惹かれたと思う。お前は美しく素晴らしい女だ」
「うぅ……」

 淳の肩に手を置く力が強くなり、その力の加減に言われた気がした。


 泣いてもいいよ


「本当は辛いのに、本当は泣き虫なのに……余命を告げられても気丈に振る舞うお前を俺が見放すものか」
「うわぁぁぁ!……あぁぁ!」

 泣いた、声を上げて沢山泣いた
 死にたくなかった、生きたかった

 泉澄様とずっと一緒にいたかった

「残された時間があまり無いのに手掛かりも何もなく、焦りのせいで屋敷の使用人達の戯言など気にもしなかった。だけどお前は傷ついていたな。宝生のことも話をしてきっぱりと縁を切ろう。俺の独りよがりな状況に大事なものが見えなくなっていた」

 お前を愛してる、絶対離さない

 大声で泣いている淳の耳に聞こえたのか、それとも伝わらなくても想いは届いているのか。

 泉澄と淳は今この瞬間一蓮托生(いちれんたくしょう)としてお互いの気持ちを再確認し、愛を固く結んだ。
 不安で押し潰されそうな心のわだかまりはあっという間に消滅し、泉澄への愛、信頼、尊敬、様々な暖かい感情で埋め尽くされていく。

「家に帰ろう。泰生もトモヨも心配している」

 淳は何度も頷き、泉澄に肩を抱き抱えながら停めてある車まで歩いていく。

「ところで気になったというか始めから気付いていたが」
「はい」
「お前の服に染みついてる出血の原因は、誰が何処で何をしてこうなった?」

 泉澄の髪の毛が天に向かって逆立っているのが見え、その口調からは怒りを圧し殺しているように見えるが霊気は完全に抑え切れておらず、晴天の空から突然この世の終わりのような暗黒な空に包まれている。

「泉澄様、大丈夫です。私がドジをしたんです。おっちょこちょいなんですよ、私」
「……おっちょこちょい」

 淳が言うと、この言葉の響きがやたらと可愛く聞こえるのは何故だ?と心の中で呟いたつもりだったが、あまりの可愛さにどうやら口に出していた泉澄の顔は耳まで真っ赤に染まり、その言葉を聞いた淳までもが同じく顔を赤く染める。

 悪魔が舞い降りそうな暗黒の空が一瞬にして青空に、そして雨も降っていないのに何故か大きな虹も出現している。

「泉澄様の気分次第で世界の天候をコロコロ変えないで下さい」

 車で待機していた泰生が二人の姿を見た開口一番。そんな泰生に淳は伝えたい言葉があった。

「今日はお休みの所、私なんかの為に動いて下さりありがとうございます」

 頭を深々と下げ、泰生にお礼を言う。

「……淳様、頭を上げて下さい。誤解ですよ。私は泉澄様に忠誠を誓っている身ですので、本来主の側を離れることはありません。泉澄様の命令は私にとって光栄なことですよ」
「その割には俺にグチグチ小言を言うくせにな」
「暴走しないように助言をしていると言って頂きたいですね」

 淳はそれでも申し訳なく思うのは仕方ないこと。昨日今日で性格を変えることは出来ない。

「ご迷惑かけてすみません。そしていつもありがとうございます、泰生さん」

 泰生が淳の姿を見て優しく微笑むのは、淳の人格はこんなにも優しく思いやりのある女性なんだと気付くと同時にやりきれない感情に襲われる。


 ──何故神は、彼女の命を奪おうとしているのだろうか




 
 

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