病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける
神社で志紅の電話が鳴る三十分前のこと
淳は五龍神田の屋敷を最後の力を振り絞り、急いで神社に向かっていた。身体も足も何もかもが重い。息を吸うだけでも胸が痛く、そして吐くと苦しい。
歩く一歩が淳の残り少ない命が削られていくのはもう気付いている。
だけど泉澄に会いたくて堪らない
死ぬのなら、彼の前で看取られたい。お願い、どうか間に合って……私の命なんて無くなっても構わないからお願い。どうか泉澄様の所まで持ちこたえて。
後ろからトモヨ達が何か叫んでいるのが聞こえているが、話す時間も振り向く時間も淳には残されていない。
ここから車で三分もかからない程の距離だが、泉の今の体力では三十分以上かかってしまうだろう。それでも良い、それでも良いから彼の元へ行きたかった。
発作はいつ起こるか分からない、また意識も失うかもしれない。そしてもう二度と目を醒まさないかもしれない。だけどジッとしていられない。
──泉澄様、会いたい
ただ一つの願いだった。淳が心の底から願う強い想い。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
胸が苦しく段々と足が動かなくなってしまい、とうとうその場で倒れ込む淳。神社へと続く道は舗装されておらず、アスファルトでは無い地面のせいか服や顔に土がつく。
やっぱりもう駄目かもしれない
地面に倒れ込んだまま、またしても淳に発作が訪れて全身動かなくなる。意識もゆっくりと薄れていく中聞き覚えのある声が耳元で叫んでいる。
「淳!淳!起きなって!まだ死ぬな!!」
しかしその声かけに反応はもう出来ず、目を瞑ってそのまま意識を失う。
「……急がなきゃ」
声をかけた人物は淳を背負い、泉澄達がいる神社へと歩き出す。いくら体重が軽い淳でも意識消失している人の身体はだらりと力が無いため、背負っている人物には物凄く重く感じてしまうが構ってられない。
その人物もまた、淳と同じく身体は細く、力も無いが娘の為に力を振り絞る。
背負っているのは淳の母親だった。
「……淳あのね、お母さんね、友達出来たんだよ。ビックリでしょ?淳が頑張ってたあのビルの清掃、お母さんもそこで働いてるんだけど、夜蜘蛛の私でも全然気にしない同僚がいたの。女の人でお母さんより若いんだけど、そんな人世の中にいるんだってお母さんビックリしちゃった」
「…………」
「お母さん見ても嫌な気分にならないし、夜蜘蛛の匂いもしないって。むしろ作業着の方が臭いよって笑ってくれたの」
「…………」
「私達、産まれてきて駄目かと思ってたけどそんなこと無かったよ。私達生きても良いんだよ、幸せになっても良いんだよ、だからさ淳……
まだ死なないでよ……!!」
淳の母親が涙を流しながら淳を背負って歩き続ける。
何故母親がここに現れたのか。
先ほど屋敷で倒れ、昏睡となった淳にトモヨが泉澄から聞いていた淳の母親の連絡先に電話を入れていた。
「子の死に目に会えない母親がどれだけ辛く悲しいか」
仕事中に淳の命が危ういと聞いた母親は、なけなしのお金ではタクシーに乗れず困っていた所、母親と仲良くなった同僚が「行きなさい」とお金を渡してくれた。そしてそのまま屋敷に到着するが淳の姿が見当たらなく、慌てた母親はトモヨからの説明で淳を追いかけていき、道端で倒れている淳を発見する。
「淳……頑張れ!淳……頑張れ!」
母親が淳に声をかけながら歩き続ける。
背中に揺られ、意識の無い淳は自分が赤子だった頃の夢を見ていた。その背中は温かく、大好きな母の匂い。
お母さん
淳大好きよ。世界で一番大好きよ
若き母の姿と赤子の自分が過ごした、少ない幸せだった頃の思い出の欠片。
「……淳、頑張れ!!淳!」
「……お母さん」
「淳!?良かった!目を覚ましたの!?大丈夫よ!お母さんが五龍神田様の所まで連れていってあげるからね」
背負う腕は痺れ、歩く一歩が遅くなっていくが母親はその腕を下ろすことは無かった。
これが娘にしてあげられる、最後の愛情かもしれないから。と、その時に道の横で生い茂っている林から泰生が現れる。
「淳様!!」
隠れた所で自分の怪我を異能で治し、先ほどの暴行で携帯を粉砕されたせいで連絡手段が無く、急いで屋敷に応援を呼ぶ所で淳の親子を発見する。
「淳様、今はあちらには行けません!宝生様が何をするかっ……!」
「……行かせて」
「しかしっ……」
母親に背負われながら淳は懇願する。その瞳に決意は固まっていた。
「……私が代わりに背負いましょう。その方が早い」
「分かりました、お願いします」
母親が背負っていた淳を今度は泰生が代わりに背負い、泉澄の元へ急いで向かう。その後ろで母親も置いていかれないように必死に走る。
間に合って
間に合って
間に合って!!
お願い、心臓止まらないで!!
泰生の背中で必死に祈る淳と同じく、母親も泰生も同じ気持ちで天に祈っていた。
そして見えてきた赤く聳える神社の姿。泰生達は全力で石階段をかけ登り、見えてきたのは拝殿前で男達にうつ伏せにされている泉澄と着物姿の志紅の姿。
「泉澄様ぁぁーーー!!!」
泰生の背中から無理やり降りた淳は泉澄達の元へ急いで向かう。
「淳!!」
うつ伏せにされながら大きな声で名前を叫ぶ泉澄の姿に、志紅には入り込める隙等最初から無かったと観念し、男達の洗脳を解く。
解放された泉澄が急いで起き上がり駆け寄る淳を強く抱き締める。
「……泉澄様!良かった、会えて良かった!!」
「……淳」
目が覚めて良かった、会えて良かった、淳にかける言葉が何れも当てはまるが、最後の命を削って自分を追ってきてくれたことに本当に伝えたい言葉はただ一つ。
「……愛してる淳」
淳の小さな身体を抱き締め、山ほどある言葉の中から選ぶとしたらこの言葉一択だった。
「私もです泉澄様……愛してます」
泰生も淳の母親も、奇跡とも呼ばれる本物の二人が結ばれる光景は、心が揺さぶられる程美しいものだった。
「……志紅様。あの……」
淳が項垂れている志紅に話しかける。突然声をかけられたことに驚く志紅。
「……どうか認めて下さい。泉澄様との結婚を。泉澄様を想う気持ちは誰にも負けません」
「……っっ」
細くて貧弱な身体に血色の悪い顔色。美人とはお世辞にも言えない顔に、ましてや病魔に蝕まれている末期の命。同情してしまいそうな姿だが、志紅の高すぎるプライドが邪魔をしてしまう。
「貴方が病魔に蝕まれていなかったとしても、夜蜘蛛という立場では例え五龍神田様と夫婦になったとて、人々から嫌われ不幸な人生を歩むのには変わりないでしょう?」
「宝生様!!」
泰生が思わず叫ぶ。ここでまた二人が対立をしてしまったら、残されたごく僅かな命の淳との時間を惜しむことが出来なくなる。
「……それは違う」
それに反応したのは泉澄でも淳でもなく、淳の母親だった。
「夜蜘蛛は見ただけで不幸になるって迷信で私達は傷ついてきた。その言葉を信じて私達の祖先は殺されて来た。……でも!私は出会ったよ!そんな迷信信じない、夜に蜘蛛が出たくらいで不幸になるわけないって笑い飛ばす人が!!」
母親が叫んでいた。