病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける
「黒猫が前を横切ったら不吉?夜に口笛を吹いたら蛇が出る?北枕で寝てはいけない!?全部全部迷信だよ!!夜蜘蛛の私達を傷つけていい理由になんてならないよ」
母親が涙を流しながら悲痛の声を叫んでいる。今まで夜蜘蛛というあやかしのせいで、どれだけ彼女達が苦しい思いをしてきたのか。
「……だ、だって」
志紅が思わずたじろぎ、言葉を詰まらせる。
「……そういえば神社で神前式を行う時、稀に日にちが仏滅だろうと気にしない男女がいるな」
泉澄が今までの五龍神田の神社の歴史で大安吉日を選んでお祝い事をする人々が多いなか、不成就日だろうと気にしない人達が居たのを思い出す。
淳はその言葉に思わず口を挟む。
「……私達、夜蜘蛛の存在を気にしない人達も世の中にはいるのですね」
「きっとその者達は、迷信等捕らわれずに己の信念を貫いているかもしれない」
確かに思い返せば自身も無意識に迷信を信じて生きてきた。
おみくじで大吉が出たら喜び、大凶が出たら落ち込む。茶柱が立つと嬉しくなり、霊柩車を見ると親指を隠していた。
例えるなら大凶のあやかしが存在したら?夜蜘蛛と同じく嫌われ、差別化され、私達と同じ苦しみを味わっていたのかな?それか私も同じく悪いことが起きると、大凶の存在のせいにしてしまう可能性だってある。
「結局運命を切り開けるのは自分自身の力だ。大安で神前式を行っても離婚する奴らはごまんといるし、御守りを買っても不合格になる奴らは山ほどいる」
「それを神主さんが言っていいのですか?」
「俺が祈祷するのは祈願した者達の背中を押す役目だけだ」
フフっと淳が笑うと同時に何だか心が晴れたような気がした。それは母親にも同じだった。母親は運良く迷信等一切信じない同僚に出会い、そのお陰で初めて自分の存在を受け入れられた気がした。
気にしなくていいよって
幸せになっちゃいけない事は無いって
穏やかな空気の中志紅は、自分が場違いな気がして静かにその場から離れる。志紅はこれから困難に立ち向かわなければならない。泉澄の異能によって壊されてしまった宝生の地位。
宝生を信じて何万人と働いていた従業員達の命は?
何れもこれも自分の罪深い嫉妬から招いた結果。
「志紅様!!」
泉澄に抱えられていた淳が志紅に声をかける。その名前を呼んだことに、泉澄も泰生も母親も驚愕する。
「……何ですの。申し訳ありませんが私に同情はお止め下さい」
「ち、違うんです!あの……」
淳はどうしても志紅に伝えたいことがあった。
「私……勉強が好きで宝生の歴史も調べていたんです。ある本では宝生が成り上がるまでの血も涙も無い手段とか」
「……私を侮辱しておりますの?」
「ご、ごめんなさい!違うんです!でもある本には、宝生が貧困の人達の為に作った会社もあったりとか」
「……祖父がしていたことですわ」
周りは二人のやり取りを静かに見守っているが、それでもいつ志紅が取り乱しても良いように、泉澄と泰生はいつでも動けるように身構える。
「歴史の本って凄いんです。この本には記載されても、この本には別の事が書かれたりして諸説や皆の知らない真実だって沢山あるんです」
「……それで何を」
「五龍神田が一度経営で傾いた時も宝生だけが手を差し伸べ、軌道を回復させたことだって……」
「……ありましたね、そんな事」
「経営のけの字も知らなく莫大な借金を抱えた時だ」
心当たりのある男二人が小さく話す。
「沢山の犠牲を払い、沢山の恨みも買ったのも事実かもしれませんが、宝生のお陰で助かった者達がいることも本に書いてました」
「…………」
「夜蜘蛛のことも、殆どの本には私達祖先を悪く書いてあるものばかりでしたが、一冊だけ夜蜘蛛の特性を別の観点で書いてある物を見つけたんです。
【夜蜘蛛の匂いを使って人間を誘き寄せたのではなく、本物を誘き寄せる為の手段かもしれない。その頃の人間は寿命が短命だった故にたまたま夜蜘蛛が殺めたと誤解する】」
「……そうだとしたら、貴方達夜蜘蛛は何も悪いことはしておりませんわね」
「そうかもしれませんし、本当に悪い事をしていたのかもしれません。本や歴史ってとても面白いんです。私は……叶うなら学校の先生になりたかった」
初めて明かされる淳の夢。泉澄は勿論、母親だって知らない夢を志紅に打ち明ける。
「学校の先生になって沢山の事を生徒達に教えたかった。私のように悩んで困っている生徒を平等に救ってあげたかった。でも、それはもう叶わな……」
志紅の前に立っていた淳が力尽きた様にゆっくりと倒れ、皆が心配そうに慌てて駆け寄るシーンは淳にはスローモーションのように見えた。
淳の命があと数分で終わりを告げる。
「────っ!!!」
一番先に淳にたどり着いたのは泉澄であった。地面に横たわる淳を抱き締め、大きな声で名前を呼ぶ。
「淳!淳!聞こえるか!?」
「…………」
「淳頼む!返事をしてくれ!」
「淳!お母さんの声聞こえる!?ねぇ!五龍神田様!何とかしてよ!」
泣かないで、泉澄様
泣かないで、お母さん
泰生が必死に自分が持つ治癒の異能で淳の止まりかけている心臓に手を充てるが、何も効果は得られない。
泰生さん大丈夫、貴方が疲れるだけ
「今救急車を呼びますわ!」
志紅様、綺麗なお着物が汚れます
「頼む淳……逝かないでくれ」
泉澄様?泣いているの?私なんかの為に?
その透き通るようなグレーの瞳からは透明な滴がポロポロと零れている。あぁ誰か、彼の涙を拭いてあげて……私の手はもう動かないから……お願い
「淳……頼む、頼むから置いていかないでくれ……」
「……とう」
「淳!?」
淳は小さく、消えそうな声で泉澄の耳元である言葉を伝える。
泉澄様 ありがとう
淳は静かに目を閉じ、そのまま目を覚ますことは無かった。
細蟹淳 享年十八歳
夜蜘蛛として産まれた辛く悲しい人生であった。人から嫌われ、避けされ、身体を痛めつけられ、時には母親にでさえ存在を否定された。
そんな淳でも周りを憎んだり恨んだりすることもせず、ただただ耐えて過ごす毎日。しかし最後に五龍神田泉澄に出逢い、病魔に蝕まれた淳でも彼の「本物」として過ごせた期間は全ての心の傷を消してしまうくらいに救われた。
その死に顔は安らかであり、そして泉澄に最期の言葉通り感謝をしているようでもあった。
「うわぁぁぁぁあああ!!!」
白鬼の哀しみが天に届いたのか、世界中全ての国で雨が激しく降り注いだ。
この境内でも激しく雨が降り注ぎ、泉澄と母親は淳の亡骸に雨に打たれながら身を寄せて泣き叫んでいる。
「何故だ!何故淳なんだ!何でだ!!あぁぁぁ!!」
悲鳴に近い白鬼の嘆きが周りの心に深く刺さる。
母親も同じく冷たくなっていく淳の手を握って離さない。あの時心が病んでいたとは言え、どれだけ実の娘に酷い言葉を言ってしまったのか。後悔しか残らない。しかし謝っても淳は目を覚まさない。
そんな時だった。降りしきる雨の中、志紅が口を開く。
「宝生の家宝と五龍神田の本殿に祀る御神体を使えば……可能性はありますわ」