病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける

最終章



「……まさか」

 その声の持ち主に息を呑んだ。数時間前には心臓が止まり、血液が流れていないその身体は青白く、目は二度と開かないものだと思っていた。
 目の前の少女は二本足で立っており、さっきまでは確かに亡骸の筈だったのに。

「淳様……あぁ……泉澄様」

 喜ばしいことなのに、奇跡の筈なのに、泰生が素直に喜べないのは仕方のないこと。

 淳が息を吹き返した
 しかしその奇跡は泉澄の命と引き換えに──

「泉澄様は?大丈夫なのですか?」
「……」

 淳が泰生に声をかけるが、泰生が何て言っていいのか分からずその問いかけに思わず黙ってしまう。そのやり取りに志紅が横から口を挟む。

「ご自身で確かめてみればいいですわ」

 見た目を気にする志紅のヘアスタイルは乱れ、赤色の着物が砂や土がついて汚れている。ただ事では無いのは瞬時で気付いた。

 長い夢を見ていたような感覚で目が覚めた。瞼を開けるとお母さんが声にならない声で自分を力強く抱き締めてきたのだが、何がなんだかさっぱり分からない。
 一つ分かるとするならば、身体が軽くて息苦しかった胸のつっかえは綺麗に取れている。ただ少し記憶がふつふつと途切れ、遡っても遡っても何だか大事な箇所を忘れている様な気がした。

 淳の最期は殆ど気力と感情で行動していた為、覚えている部分はかなり前まで時間が戻っている。通常ならば昏睡状態の所を淳は泉澄に逢いたい一心で動いていた。


 泉澄様に 逢いたい


 自分が死ぬ直前、その願いだけであの屋敷から飛び出た筈だった。目の前にいる傷だらけの目が閉じてる男性は……?

「な、なん……で?」

 泉澄の亡骸を前にして膝から崩れ落ち、この状況に理解が出来ない。

「淳様を……生き返らせる為に禁忌を行ったのです。その結果……」
「……嘘、そんな……」

 泉澄の美しい顔に震える手で恐る恐る触る淳。いつも暖かく、そして自分の心を満たしてくれていたその顔の温度は冷たく、繋いでくれていた大きな手と細く長い指先は淳が握っても反応してくれない。

「い、泉澄さま……いず、いずみさ
……」

 ねぇ起きて?私、ここにいますよ?
 泉澄様?冗談は止めましょう?お腹空いてませんか?今日も沢山食べましょう、ねぇ……泉澄様

 起きて 嫌ですよ ねぇ 起きて

「ど……どうして……」
「愛する淳様を生き返らせたい、そして淳様の夢を叶えてあげたい。そう願っておられました」
「そん……な……の」

 動揺と彼の死の実感がないのに、哀しみが溺れる程湧き上がって上手く喋れない。

 涙は勝手に流れてしまう。泉澄が死んだことは信じたくないのに。


 生き返りたいなど望んでいなかった。ましてや泉澄の命と引き換えになんておこがましいそんな願い、一度足りとも考えたことも無かった。

「あ、あの……その禁忌とやらをもう一度……今度は私が……」
「無駄ですわ。材料がありませんもの。五龍神田様から引き継いだその命、大切に扱って下さいませ」

 志紅がふらりと立ち上がり、自分が招いた過程と、淳の復活を素直に喜ばしく思えない複雑な感情のままフラフラとその場から去って行った。思わず淳を責めてしまいそうになったからだ。しかし自分に責める権利等ある筈も無いのも理解している。
 淳と同じく、志紅もまた愛する人を失ったのだ。何十年と彼の妻に成れる事を夢見て待ち続けていた。叶う事は無かった上に、泉澄が死んだ。
 例えようの無い喪失感。その深い哀しみは淳とはまた別に辛く苦しいものだった。

「淳様、一先ず泉澄様を屋敷に戻します。白鬼の死はこの世界では内密には出来ません」

 喪に服したい所だが、あやかしの頂点である白鬼の訃報を発表しなければならない。哀しみで嘆いている暇はない、泉澄に忠誠を誓った泰生の最後の仕事である。

「……公表は」
「……?」
「もう少しだけ後で……泉澄様と二人だけの時間を下さい」

 泉澄の亡骸の前で俯き、背中を丸めてこちらを見ない淳の後ろ姿を泰生は痛いほど気持ちが伝わる。

「分かりました。しかし外では突然消えた白鬼の霊気を感ずる者もおりますので、せめて結界が張ってある拝殿の中に移動しましょう」
「……すみません」
「謝る事は無いですよ。泉澄様も淳様とお話ししたいでしょう」

 泰生は息をしていない泉澄の亡骸を抱き抱え、そしてなるべく顔を見ない様にした。

 涙が出そうになるからだ

 幼少期から共に過ごし、優れた治癒の異能を開花させた泰生を泉澄が称賛し、護衛として、そして仕事や私生活の側近として共に過ごしてきた。周りから恐れられていた白鬼の泉澄にとっては泰生の前では素の自分をさらけ出せ、数少ない心を開ける相手でもあった。


 泰生、お前が味方で心強いな


 時折弱音を見せる泉澄が嘘偽り無く自分に向け、足を組みながら涼しげに笑う美しい彼の姿を急に思い出す。

 泉澄様……起きて下さい
 淳様がしっかりと歩いてますよ、見て下さい

 歩く振動で抱き抱えていた泉澄の腕がだらりと落ちる。
 泣くのは我慢していた。込み上げてくる感情に浸ってしまってはきっと涙は止まらない。

 奇跡を目の当たりにしたのに、項垂れて歩く淳の姿に志紅と同様、素直に喜べない泰生だった。

「淳!大丈夫!?良かった、ちゃんと歩いて……ご、五龍神田様?」

 母親が淳の姿を見て安堵すると同時に、泰生に抱き抱えられている泉澄の姿を見て混乱する。

「ま、まさか」
「母上様、二人きりにしてあげましょう」

 結界が強く張られた神社の拝殿に泉澄の亡骸を置き、二人は屋敷に戻っていく。屋敷の一部の使用人にも薄々気付いている者もいるだろうが、口にしてしまうと泉澄の死を受け入れてしまいそうな気がして泰生含め、動揺を隠すよう平常心で過ごす。
 トモヨも泉澄の死に気付いていたが、それと同時に淳の気配を感じて複雑な感情を抱いていた。

「……坊っちゃん」

 トモヨが神社の方角を見ながらポツリと声を出す。しかし、その亡骸を見るまではいつも通り、使用人の頭として身を引き締める事にした。

 信じたくない者は誰もが同じだ。

 拝殿に置かれた泉澄と、そしてその横に座る淳。

「……私なんかと出会ったばかりに」

 淳は目が開かない泉澄の姿を見て、自分が生まれて来た事に初めて恨みたくなった。

 私と出会わなければ
 私が本物じゃなければ
 私が病魔じゃなければ

 私が産まれて来なければ

 沢山の後悔、自分自身の存在、否定的な感情しか生まれて来ない。
 握る手は握り返してくれず、その瞼は固く閉ざされている。

「泉澄様」

 名前を呼んでも答えてくれない。様々な感情を抱かせてくれたその口元も、微動だにしてくれない。


 私もまたここで命を落とせば泉澄様に会いに行ける?

 考えてはいけない思考が頭を過る。だけど知っている。きっとそんなことをしても誰も納得はしないだろう。それは自分自身だって。

 命を掛けて自分を助けてくれた

 だけど泉澄様の居ないこの世界は虚無感に陥ってしまう。仕方ないよ、泉澄様。だって私、こんなに心が苦しいのは初めてなの。人を好きになるのも好かれるのも、信じることも振り回されるのも全てが初めてだったから……

 ねぇ泉澄様、苦しいよ
 ねぇ泉澄様、寂しくて辛いよ

 ねぇ泉澄様……返事してよ

 お願い返事してよ……泉澄様


 
 
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