病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける


「さぁ、屋敷へ帰ろう」
「はい」


 甦った二つの命。二人はゆっくりと屋敷へ手を繋ぎながら歩いて行く。神社から外に出ると、気配を消しながら全てを見届けていた空狐のおばばの姿があった。

「……全く。自然の摂理を無視しおって。死を何だと思っておるんだ」

 医者であるおばばにとってはあり得ない光景だったが、その表情は穏やかでそしてしっかりと歩く二人の姿に胸を撫で下ろした気分であった。

「余もあの方法を知っていたら奴を生き返らせてしまったのかもな」

 亡き自分の夫を思い出すおばばだが、医者としての自分の信念と道理を思い出し、そしてゆっくりと姿を消していった。


 屋敷では復活した泉澄の霊気を感じ取った泰生やトモヨが涙を流して出迎えてくれた。淳の母親は純粋に娘の姿を確認して涙を流して抱き締める。同じく自宅に戻った志紅も泉澄の霊気を感じとり膝をつく程嬉しさで頬を濡らした。

 泉澄と淳は晴れて夫婦として正式に入籍し、そして淳は夢に向かって新たに歩き始める。





「教科書三十四ページを開いて下さい」

 そこは夜に授業を行われる定時制の高校。人数も疎らで年齢も様々な生徒達。眼鏡をかけ、スーツを着た淳が教壇に立っていた。

「せんせぇ、なぁんか臭いから窓開けていいっすかぁ?」
「クスクス」

 夜蜘蛛から放たれる匂いに数名の生徒達が淳に向けて見下した発言をする。
 そんな馬鹿にした態度に気にも止めず、淳は眼鏡の位置を調整して生徒達に言い返す。

「寒いわよ?他の生徒の許可を取りなさい」
「チッ」

 毎日馬鹿にしても変わらない淳の態度に苛立つ一人の男子生徒。何処かのあやかしだろうが、その身分は低いが更に低い夜蜘蛛という存在のくせに、教師という立場が無性に気に食わなかった。

「なんで夜蜘蛛が教師なんだよ、うぜぇ」

 授業を開始してもふてぶてしい彼の声が淳に聞こえ、他の生徒の影響も考え開いていた教科書を閉じて生徒達に言う。

「皆さんは迷信を信じてますか?」


 突然の淳の言葉に生徒達は驚きを隠せず何も反応出来ずにいた。

「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる、流れ星が流れてる間に三回願いを唱えると叶うなど色々ありますよね。そしてそれらの迷信を知らず知らずの内に口に出すことも沢山あると思います」
「…………」
「迷信を信じる信じないは個人の自由ですが、悪いことが起きたのは迷信、元より人のせい。自分勝手な解釈をしていませんか」

 淳は教壇に手を置き、何処の本にも教科書も書かれていないある話を生徒達に話す。

「ある女の子が人々の迷信により、苦しい思いや辛いことがあった話を皆さんに聞かせたいと思います。その話を聞いてどう捉えるかは自分次第です」

 定時制に通う理由は様々だが、淳を馬鹿にした男子生徒も身分の低いあやかしの立場のせいで苛められてきたのは確かだった。その理由で夜間の定時制を選び、自分の居場所を求めて来た筈なのに。
 淳は一応自分だとバレないように今までの人生を生徒達に話をするが、内容的には口に出さなくても生徒達は気付いているだろう。いつもは携帯をこっそり触ったり寝てしまう者がいたが、淳の話を真剣に聞いている生徒達。

「不幸になるのは北枕で寝ていたからですか?親の死に目に会えないのは霊柩車を見て親指を隠さなかったせいですか?

 夜に蜘蛛を見たから不幸になると信じていませんか?」


「…………」
「しかし恐ろしいのはそれらを信じのめり込み、それらを利用して人の心を傷つけてしまう人々がいるのは確かです。そして言霊という言葉があるように言葉にも神が宿るとされ、ただの迷信が言霊によって良くも悪くも自分に降りかかることがあると先生は思います」

 淳はフーッと大きく深呼吸をしながら以前病魔のせいで止まった自分の心臓に手をあてて、話を続ける。

「自分の人生を変えられるのは、自分次第です」

 思うことがあったのか、男子生徒は俯いて黙っていた。一概に周りだけのせいではないが、置かれた自分の環境を恨むことは多くあった。

 親のせい世間のせい
 あやかしのせい人間のせい

 しかしその運命を動かさないのは自分のせい

「……俺も、変われますか?」

 男子生徒が小さく呟く。その言葉に淳は彼の机の前まで歩いていき、彼の過去に苦しい想いをしてきた傷だらけの手を優しく握る。

「自分を信じ、自分の為になる言霊を選び、そして実行しなさい」

 彼の目を見て真っ直ぐ答える。

 生徒達は各々自分達の環境を見つめ直し、そして夜蜘蛛でありながら教師になった淳の姿に、どれだけ努力をしたのだろうと生徒達は心が揺さぶられた。

 タイミング良く授業が終わるチャイムが教室内に響き渡り、帰宅時間になる生徒達。そんな時に教室の引き戸がガラッと音を立てた。

「淳、終わったか?帰るぞ」
「もう……教室に来てはいけないとあれほど」

 突然のあやかしの頂点、白鬼の登場にクラス中がどよめく。数人のあやかしの生徒達も白鬼の霊気に気付かず、人間の生徒達は見たこともない美しい男性の姿に動揺が隠せない。

「せ、先生。その男性って……」

 女性徒一人が手を上げて淳に質問し、周りの生徒達もまさかと思いながら淳の返答を待つ。しかしその質問に答えたのは淳ではなく、泉澄だった。

「淳は白鬼のあやかし、五龍神田泉澄の妻だ。妻に何かしたら明日の命は無いと思え」
「泉澄!」
「ん?言われた通り、ちゃんと俺の霊気を消して学校に来たんだぞ?」

 白鬼の五龍神田に向かって呼び捨てで名前を呼び、その眉目秀麗の姿は間違いようが無い。

「せ、せ、先生!先生って白鬼の奥さんなんですか!?」
「夜蜘蛛が!?白鬼と!?」
「待ってヤバい!その組み合わせが実在って希望しかない!」

 クラス中が騒いでしまい、さっきまで話した淳の内容を忘れてしまうんじゃないかと思わず突然登場した泉澄に不満をぶつける。

「もう、泉澄のせいでせっかく私が話した内容台無しじゃない」
「ん?何がだ?」
「先生!私勉強頑張る!そして素敵な旦那見つける!」
「私も!負け組かと思ってたけど先生見て心改めた」

 女子生徒達が尊敬の眼差しで淳を見つめ、キャーキャー言いながら教室を出ていった。他の生徒達も白鬼の姿を見てソワソワしながら教室を出ていった。
 
「ま、結果オーライならいいか」

 淳が静まり返った教室内を見渡すと先ほど淳に優しく手を握られた男子生徒がポツンと机に座ったまま。

「……?大丈夫?」
「……んだよ。結局先生はただの勝ち組じゃん。俺の気持ちなんて分かるわけねーじゃん」

 自分と同じ境遇だったと思っていた夜蜘蛛の教師が、白鬼の妻と聞いてなんだかガッカリした気分の男子生徒。
 所詮選ばれる、報われる枠に自分が入れる訳が無いと思ってしまった。

「おい少年。何を勘違いしてるか知らないが俺は妻に求婚を何回断られたと思ってる。言っておくが俺は自力で運命を切り開いたぞ。人のせいにしないで自力で頑張るんだな」

 男子生徒が何も言い返せず席を立つ。早く自宅に帰らないと酒に溺れた父親が弟に手を出すからだ。しかし何となく淳の顔をチラリと見る。

「……先生。また明日」
「……うん。また明日ね」

 彼が変われるのかは迷信に頼るわけでもなく自分次第。淳の話した内容はまだ十代の男の子に深く胸に刻まれた。

「淳、俺達も帰ろう」
「まだ仕事が残ってるんです」
「うぅ……」

 納得出来ない泉澄が子供のように駄々を捏ねそうになる。泉澄を無視して淳は生徒達の帰りを窓から見届ける。
 最後に帰った男子生徒が一瞬だけ上を見上げ、二階の自分の教室を見ているのに気が付く淳。

「……頑張れ」

 数年前にも似たような光景があった。ここの定時制に通っていた学生だった淳も、明日も来れるか不安でこれで最後かもしれないと、自分の教室を目に焼き付けようとした時の事を鮮明に思い出す。

 彼もあの時の私と同じ気持ち

 でも大丈夫
 私は貴方を信じてるから

「よし、今日はもう帰ろうかな」
「本当か!じゃあ久しぶりに淳の母親の所でも行くか?」

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