病魔に蝕まれた私があやかしの白鬼に花を手向ける
第二章
──だれ?
優しいトーンで話す男性の声。しゃがみこんでる淳と同じ目線にしてくれているのか、男性も同じく腰を落とし、片膝を立てている。
カジュアルスーツを身に纏い、細身に見えるが逞しい胸元。アッシュとブラックが混ざりあった髪色に、色白で透明感のある肌色だが健康に満ち溢れた血色。切れ長の二重の瞳の色も、まるでカラコンを入れているかのような美しいグレーの色。小さい鼻がコンプレックスの淳とは真逆で鼻筋が高く、シャープな形。さっき病院で診察をしてもらった医師も端正な顔立ちだった筈なのに、比べ物にならない程の整った顔立ちに淳は、もしかしたら天からお迎えが来たのではないかと錯覚をしてしまう程だった。
「……凄い、これが本物か。聞いていた通り、こんなにも心奪われるものなのか」
十代にも二十代にも三十代にも見える年齢不詳の男性が、疲弊している淳を見ながら高揚している様子に戸惑ってしまう。しかし戸惑いながらも道の真ん中でしゃがみこんでいた自分が、通行の邪魔になっていたんだといつもの様に謝罪をしてしまう。
「す、すいません。今避けます。すいません」
泣き腫らした顔を隠す暇もなく急いで立ち上がり、今すぐこの場から立ち去るようにまた歩き始める。
いつもこのようにしないと唾を吐かれ、通り過ぎざまに蹴られる行為も経験している淳は、今まで見たことが無いあんなにも眉目秀麗な男性の言葉を考える余裕が無かった。
「待ってくれ!違う!お前を迎えに来たんだ」
明らかに焦っている台詞に淳は思わず振り向いてしまい「お迎え」の言葉にやっぱりこの男性は天からの使者なのだと覚悟を決める淳。
「……私はもう、心臓が止まっているのですか?」
何かを諦めた淳の放った言葉のあとに、突如風がふわりと通り過ぎていった。
淳の長くて細い黒髪が一瞬なびいて宙を舞い、淳の表情を一瞬隠してしまう。ゆっくりと風が去ったと思った瞬間、まるで時間が停まったと思うほどの静けさに包まれた。
「どういうことだ?」
男性が口を開き、そして気付いた。生気の無い淳の表情、今にも倒れそうな痩せ細った青白い身体。
「どういうことって……。だって私……死んだのですよね?」
ジョークにしてはタチが悪いが、目の前に立っている淳がこんな状況で冗談を言えるような性格には到底思えない。淳と同じく男性も困惑してしまう。と、背の高い男性の背後から、更に長身なスーツを着た黒髪の男性が何処からか現れた。
「泉澄様、こんなに衰弱された女性が本物ですか?しかもこの女性の匂い……」
「あぁ、夜蜘蛛だな。ただそれがどうした?お前、いつの間に俺に意見を言える様になったんだ?……それとも何だ?文句が有ると、そう言っているのか?」
時間が停まっていたかのような静けさが、空がまるで嵐が襲来したかのような曇天に突然強風が吹き荒れ、この周辺にだけ雷が落ちるような雷雲も現れる。
「泉澄様、お止め下さい。貴方の怒りはこの世界の滅亡に繋がります。どうかご無礼をお許し下さい。」
「……次は無いぞ」
男性達の会話の後、辺り一面夜と勘違いしてしまう程の不気味な薄暗さに、確かにあった雷雲が嘘のように消えていく。
全く理解出来ない、一体この人達は誰だと言うの?私は一体何と勘違いされているの?
混乱している淳に、泉澄と呼ばれる男性がもう一度彼女の目の前まで近づき、そして口を開く。
「自己紹介が遅れてすまない。そして、お前の前では普段通りに話す事を許容して欲しい。俺は五龍神田泉澄。お前を花嫁として迎え入れたい」
「五龍神田泉澄」
人と関わりを持たない淳でもその存在は知っている、あやかしの頂点といっても過言では無い人物。
それはまるでおとぎ話のような伝説「白鬼」のあやかし。それは千年以上も昔、赤や青、黒が主体となっていた鬼のあやかしの異能は留まることを知らず、その時代のトップに君臨していた。ところがある日鬼のあやかし達が異能を使い、好き放題暴れていた所に、白く透明に近い布を纏った白鬼が突如地上に現れた。
性別は不明、男性か女性かも分からない白鬼は不適な笑みを浮かべた次の瞬間、世界全体が揺れるほどの大地が震え、暴れた鬼達は裂けた大地に吸い込まれていった。それはまるで、地獄と通じているかのような深い奈落の底まで。
自分達が頂点と思っていた鬼達は、手も足も出せずに白鬼の前で震えながら忠誠を誓った。その出来事は現代まで神話として語り継がれ、白鬼の異能は神の怒りを買うのと同じと言われている。
そんな生きる伝説と言える白鬼のあやかしが、淳の目の前に立っているのだ。泉澄を目の前にして、ほんの少しでも流れる淳のあやかしの本能が、恐怖で震えてしまうのは当然のことだった。
「白鬼の五龍神田様が……な、何故こんな所に」
震えるのは身体だけじゃない、話す言葉まで震えてしまう。しかし、泉澄の答えは淳を益々震えさせてしまう。
「何度も言わせるな。お前は俺の妻になる。俺の本能が全身全霊、お前に対して心がどうしようもなく惹きつけられているんだ。お前は「本物」だ」
「……!?」
「本物」
あやかしの種族同士が巡り逢う運命の相手。異次元の異能を持つ、高貴なあやかし達が本物の妻や夫を迎え入れるのは容易いことではない。八十億人とも言われる人口の数から探し出すのはほぼ不可能に近い。探し出せない場合強い異能を持つあやかしか、地位のある人間と婚姻し、子孫を設けることで家系を維持をしていくことしか術は無い。
しかし、本物を見つけた場合
自身が持っている異能の力は無限に広がり、時には新たな異能も天から授けられると言われている。しかしメリットばかりでは無い。本物に魅了された者は、例え事の良し悪しが分からない罪人だとしても、心を奪われたあやかしは自我さえ失ってしまう程の力が本物にはある。
人に寄れば開けてはいけないパンドラの箱。
ある人に寄れば、幸甚の極み。
どちらの道に進めるかは、当人達しか分からない。過去に本物と巡り会えたあやかしは数がごく僅かであり、資料は極端に少ない。
病魔に蝕まれ余命幾ばくも無い淳の答えは一つしか無かった。
「五龍神田様、申し訳ありません。……妻になるという名誉なことでも、私にはお受けすることは出来ません」
気付けば目の前は小石があちこち転がり、誰かが投げ捨てたタバコの吸殻が置いてあるアスファルト。
淳は、この世界の頂点の泉澄の前で頭を深々と下げて土下座をしていた。その行動に泉澄は思わず声を荒げてしまう。
「何をしている!誰がそんな姿を見せろと要求した!」
泉澄のあまりに大きな声と態度に、淳の肩がビクッと反応してしまう。だからといってこの地面にひれ伏す体制から、顔を上げることが出来ないのは本音だ。しかし泉澄は、淳の顔を強制的にではあるもの、その力はまるで壊れないように扱う宝物のように優しく両手で顔を上げさせる。
私は……
私は……
「泉澄様、もう少しで宝生様がお見えになる時間になります。今日は諦めてまた改めてお話をするのが最善かと」
「は?馬鹿を言うな。本物を見つけたら宝生とはもう繋がる理由も無い。さっさと縁を切ると連絡しろ」
淳には二人の会話の内容が全く分からず、自分が場違い過ぎてどうして良いのか分からず、淳は未だに両膝を地面につけて正座をしている状態だった。