『世界一の物語』 ~夢犬・フランソワの大冒険~
 一方、軽子を間一髪救った呂嗚流は、彼女が無事なことを確認したあと、ジョギングウェアに着替えて走り始めた。

「待って~」
 一瞬遅れて椙子が追走した。
「気持ちいいね」
 二人は笑顔で並走した。
 
 世界一のロックスターと世界一の美女が並んでのジョギング、もしその姿を誰かに目撃されたら世間は放っておかない。
 パパラッチの餌食(えじき)になるのは火を見るよりも明らかだった。
 しかし、二人にその心配はなかった。
 何故なら、彼らが走っているのは美家の敷地内にあるジョギングコースだからだ。
 誰の目も気にする必要がないのだ。
 二人は1時間ほど走ってシャワーを浴び、ダイニングルームに向かった。
 
「おはようございます」
 プールの水を飲んで性格が変わったのか、軽子が明るい声で二人を迎えた。
 嫉妬深く意地悪だった昔の面影は跡形もなく消えていた。
「バッハのコンチェルトでよろしかったですか」
 軽子の問いかけに椙子は微笑みを返した。
 ダイニングには、『オーボエ・ダモーレ・イン・Aメジャー』の軽快なバイオリンの調べが流れていた。
 そして、愛のオーボエと呼ばれるオーボエ・ダモーレの豊かな低音の旋律が始まった。
 
「この曲、大好きなの」
 椙子が笑みを浮かべた。
「俺も好きだよ」
 クラシックへの造詣(ぞうけい)が深い呂嗚流が頷いた。
 それを合図にするように二人は見つめ合い、顔を近づけた。
 しかし、唇が触れようとした瞬間、「お食事のご用意が整っております」とシェフが(うやうや)しく頭を下げた。
「またあとでね」
 椙子のウインクに、呂嗚流もウインクで返した。
 
 
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