『世界一の物語』 ~夢犬・フランソワの大冒険~
「この絵は?」
 安全保障理事会議場前に飾られた大きな絵の前で、椙子は口に手を当てた。
 人間や動物がデフォルメされて描かれた奇妙な絵だった。
「ゲルニカだよ」
 ピカソが描いた絵のタペストリー(つづれ織り)だと呂嗚流が説明した。
 それは戦争の悲惨さを訴えた有名な絵であり、30年以上も前からここに飾られて、平和と安全を世界に訴えているのだという。
「1937年の4月、当時内戦状態にあったスペインで反政府軍を支援するナチス・ドイツ軍がバスク地方にあるゲルニカという小さな町に侵攻して、無差別爆撃を行い、市民のほとんどを虐殺した。それを知ったピカソはそのことに強い衝撃を受け、このことを知らしめなければいけないとカンヴァスに向き合った。しかし、直接的な戦闘場面は描かなかった。その代わり、女性や子供や動物たちが恐怖に(おのの)き、悲しみに震え、絶望の中で絶叫する姿を描いた。その方が強烈なパワーとなって見るものを釘づけにすることがわかっていたからだ。戦争の惨さをこれほど如実に表している絵は他には見当たらない」
 言い終わった呂嗚流は、固まったようにその絵を見続けた。
 その目には深い悲しみが宿っているように見えた。
 こんな表情は一度も見たことがなかった。
 
 どれくらい時間が経っただろうか、絵の前で頭を下げたあと、顔を上げた呂嗚流が椙子に向き合った。
「本物の絵はマドリードのソフィア王妃芸術センターに飾られているんだけど、撮影はどうしてもここでしたかったんだ。この歌の使命を果たすためには、国連の安全保障理事会議場前でなければならないと強く思ったんだ」
 椙子を見つめる目には強い覚悟がみなぎっており、全身を震わすほどの波動となって伝わってきた。
 それは、使命の重要さを真剣に考えてくれている証だった。
「ありがとう」
 やっとそれだけ絞り出した椙子は、呂嗚流の胸に体を預けた。


< 90 / 117 >

この作品をシェア

pagetop