今宵も貴方は何処かへ…
それは、今から2年前まで遡る。
「鮫島さん。今夜空いてませんか?食事でもどうでしょうか?」
当時私が働いていた会社の課長に、食事の誘いを貰った。
「えっ.......」
目が点になり、微かに声が漏れた。
「急に誘ったので、無理もないかと思います。私の相談はまた後日でも大丈夫なので」
相談...?
少し筋肉質な体格で180センチ以上ある身体が、私の前に書類を持って佇んでいる。
私は慌てて、課長の鋭く光った眼鏡の奥にある切れ長の瞳を恐る恐る見上げた。
課長は相変わらず顔に表情が無く何を考えているのかが、読み取りづらい。
「いえっ!特に用事も入ってないので大丈夫です」
脇汗が尋常じゃない。
漫画で言うところの、汗マークがたくさん出ている状態だ。
相談とは何??
まさか私、仕事で何かミスした??
困惑してあたふたしている私に課長は、
「本当に大丈夫ですか?それでは、仕事が終わった後、会社の前で待ち合わせましよう」
と、何枚もある書類の束をバサっと音を立てながら私に背を向け、自分のデスクに戻って行った。
何の相談だろう...
デスク前のパソコンに向き直り、ふと視線を感じる。
私の周りに居た同僚の女子達がこちらに怪訝そうな視線を寄越しているのに気付いた。
とても気まずい...
何故なら課長早川夏樹(35)は、その端正な顔立ちとスタイルの良さ、無口でクールな所がミステリアスでたまらないと同僚の女子達からとても人気があった。
誰が一番に課長の心を掴むか勝負しようなんて、女子力の高い子達がランチタイムに盛り上がって話している様子も見た事がある。
だけど、彼はその子達からいくら誘われても断っていた。
その様子を何度も見かけた事がある。
女性に限らず、男性とも仕事以外のプライベートで他の社員と飲みに行ったり、食事に行ったりする事は一度もなかったと人伝いで聞いた事もある。
なのにそれが、こんな冴えない私に食事の誘いをしてきたのだ。
一体どういう事??
私自身も驚いている。
あの子達からしてみたら、何であんたなんかが....と恨みを買われる事は無理もない話だ。
ただ、課長は相談があると言っていた。
私はあの課長の事なので仕事中の誘いという事もあり、おそらく仕事関連の話ではないかと思った。
あの子達が思っているような誘いではないという事は確かだと思うが..。
ヒソヒソという話し声を体に感じながら、私は残りの業務に取り掛かった。