今宵も貴方は何処かへ…
ガラ、ガラ、ガラ。
「いらっしゃいませー!」
暖簾をくぐり引き戸を開くと、店長さんらしき男性が厨房の方から威勢の良い声を響かせる。
店内には、数える程しかお客はおらず、昔ながらの暖かい雰囲気の定食屋といった感じだった。
私たちはテーブル席に腰を下ろすと、先ほどの男性がニヤニヤしながらお冷やとおしぼりを持って来てくれた。
「なっちゃんお疲れ様。あれっ?今日は一人じゃないんだね。珍しいなぁ」
このこの一と、課長の肩をぐりぐり押していた。
なっちゃんとは課長の事らしい。
いやあって、課長は少し照れ笑いをしながら50代ぐらいのその男性と親しげに会話をしていた。
男性が厨房の方に戻り、私が氷の入ったお冷を一口飲んでから、
「課長、ここのお店の常連さんなんですか?」
と聞くと、
「そうですね。結構な頻度で食べに来てます。ここの唐揚げ定食がとても大好きなんですよ。でも、どれも美味しいんですけどね。鮫島さんは何にされますか?」
おしぼりで手を拭きながら嬉しそうにメニュー表を差し出してくれた。
課長はきっと唐揚げ定食なのだろう。
メニュー表には一度も目を通さず、私を待ってくれている。
一通りメニューを見ながらどれも美味しそうだなと迷ったが、課長と一緒の唐揚げ定食にする事にした。
同じ物を食べてみたくなった。
課長は店長さんに手を上げて、やはり「唐揚げ定食二つお願いします」と頼んだ。
そう言えば...
注文したメニューを待っている間、ずばり気になっていたあの事を尋ねてみる事にした。
「あの、その...相談って、何でしょうか?」
課長の方から切り出してくれるのを待っていたのだけれど、どうしてもいてもたってもいられなかった。
そんな私の心配とは裏腹に、課長は少し恥ずかしそうに
「実は..相談というのは食事に誘う為の口実だったんです。あの場ではそういうのが一番かと思い...すみません。嘘ついちゃいましたね」
はにかみながら優しい笑顔でそう言った。
えっ.....!
ドキンと、鼓動が跳ね上がる。
予想外の発言に私は固まってしまった。
まさか、そんなことを言われるなんて思ってもいなかった。
「えっ...と....」
課長の顔を見れずに、目を左右に泳がせていると、困った様子の課長が言葉を切り出した。
「こんな30過ぎのおじさんから食事の誘いを貰うなんて困りますよね。前から鮫島さんのことは気になってたんですけど、年齢差もあるのでどう会話を持ちかけて良いか迷っていて...いや、でも、やっとこうして話す事が出来たので、とても嬉しいです」
その、あまりにも素直でまっすぐな優しい言葉が、私の胸を温かく照らしていく。
ますます、頬がかあっと赤くなっていくのが分かった。