天才ピアニストは愛しい彼女を奏でたい
「す、すみません!」

慌てて顔を上げる。

私は思わず目を大きく開けて自分の目を疑った。

そこにはステージであの素晴らしい演奏を披露してくれたあの眉目秀麗な彼が私を見下ろしていたから。

そしてふと彼のスーツに目が行く。
ステージ衣装からどうやら着替えたらしいそのジャケットには私の口紅が見事についてしまっていた。

まずい。

「申し訳ありません。あの、クリーニングを…」

そう言って彼を見上げれば、眉間にしわを深く入れて、それはそれは怪訝な表情をして私を見下ろしていた。

近くで見た彼は、眉間にしわを寄せていてもそれは見事に整った顔をしていた。
作り物みたい。

すると彼はすかさずジャケットを脱いで近くにいたスタッフに渡すと流暢なドイツ語で話しかけた。

"そのスーツ捨てておいてくれ"

は?

言っちゃなんだが私はドイツ語はフランス語に並ぶくらいバッチリ話せる。


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