政略結婚が、恋になるまで
10.浄化の試み
街に着けば適当なところで馬車を降り、メインストリートを中央広場に向かって歩く。
前回来た時より人通りが少ない。子どもたちの姿もない。どこか不安そうな顔をした人たちが、道のすみで小声で話し合っている。
そのなかを私が外出用のドレスで侍女と護衛を引き連れて行けば、次々と向けられる視線。
皆、キャシーを知っているのね。それで私が奥様とわかるみたいね。だから、こんな声も聞こえてくる。
「ああ、あれが若奥さんの、」
「駆け落ちして逃げたから、残された、」
「だから、甥っ子の坊ちゃんが結婚したという、」
確かに事実よ。この前はルーファス様と一緒だったからこんな声は聞こえてこなかった。街の人たちは容赦ないわ、悪意もないけど。大半は好奇心、おもしろい噂話のネタね。
「まあ、甥っ子の坊ちゃんが逃げたのでなくて良かった、」
「領主様には悪いが、逃げた坊ちゃんはどうも頼りない、」
そんな声も聞こえてきた。すごいわ、ルーファス様は頼りにされているのね。
何よりお義父様、領主が信頼されているわ。不安なあまり騒ぎを起こしそうな気配はないもの。
良かった。まずは街の人たちが落ち着いていないと、浄化どころではなくなるから。
領主様が何とかしてくれると、街の住人は信頼している。それに比べ私は。
前と後ろの護衛二人は、一人は心配そうに、一人は不審かつ不信な目で私を見ている。それも当然かしらね、こんな奥様が出しゃばっているのだもの。そう考えれば、バセットは私を少し信頼してくれたのかもしれない。こうやって準備をしてくれたのだから。
中央広場には誰もいなかった。ただ噴水が水盤に幾筋もの水を落としている。そのそばに護衛が二人立っていた。その護衛が私を見て驚いた顔をする。そうよね、日傘をさした奥様がわざわざ来るのだものね。
「ご苦労様、バセットは知っているから安心してね。」
そう声をかければ、とりあえず二人は一礼してくれる。
「それから、これ、知っていると思うけれど魔法士資格、聖属性よ。」
そう言って、手首の金のリングを見せる。
「だから、ちょっと現場を見せてね。」
二人の護衛が顔を見合わせ、場所を開けてくれた。その後ろにあったものは。
「良かった。まだ小さいわ。」
日傘をくるりと回す。
石畳から立ち上る影のような、ゆらゆらとした靄。結界が張られている街中なのに、高さは小柄な私の背丈を超えるほど。
近づけば、肌が泡立つような、びりびりと痺れるような感覚が強くなる。
それを聖水壜6本を使った結界が抑えている。あら、ずいぶんと綺麗に張られた結界。見事だわ。
「奥様、危ないですよ!」
後ろからキャシーの声がする。私の身を案じてくれるのね。私が怪我をしたり、危ない目に合わないようにと。日傘をくるりと回して振り返れば、護衛の後ろからキャシーが恐る恐るこちらをうかがっている。
「キャシー、ここまでついてきてくれてありがとう。日傘を持っていてくれる?」
そう言って渡せば、受け取った日傘をぎゅっとキャシーが抱きしめた。
私は見張りの護衛に尋ねる。
「この結界を張ったのは?」
「冒険者ギルドの職員です。元冒険者だそうで。」
「瘴気の危険度レベルについては何と?」
「Cを想定したほうがいいと言っていました。」
私は今ここにいる護衛4人を見回す。
「Cレベルの瘴気に対応したことは?」
顔を見合わせ合った護衛のうち一人が、代表して答えた。
「俺たちができるのはDまでです。Cが可能な護衛は、領主様について王都に行っているんで。」
さあ、どうしようかしらと首をかしげたところで、護衛達の視線がじっと私に集まった。
「期待させてごめんなさい。私は聖属性を持っているけれど、魔力が少ないの。
浄化はできるけれど、レベルCともなるとたぶん三回以上、一日一回として三日以上かかるわ。
それでも、今ちょうど冒険者が出払っているそうだから、何もしないよりマシだと思うの。」
不信と不審の視線をぶつけてくる護衛が口を開く。
「奥様、影虫はご存知ですかね?」
私はにっこりと笑って答える。
「ええ、もちろんよ。」
影虫、浄化の最中に靄から出てくる瘴気の塊。形も動きも虫のように見えることからそう呼ばれている。これが出現すれば、浄化だけでは難しくなる。
瘴気なら、ゆらゆらしているだけだから、魔法士は浄化だけすればいい。けれど、影虫はこちらを攻撃してくる。聖魔法士が浄化と同時に攻撃魔法を使うか、もしくは誰かをサポートとしてそれに対処してもらう必要がある。
不機嫌そうな護衛が再び口を開く。
「奥様にやる気があるなら、ギルド職員がサポートに入ってくれるかどうか、頼んでみますが。」
私も再びにっこり笑って答える。
「ありがとう、お願いするわ。」
一番年かさの護衛が心配そうに私に確認する。
「本当によろしいのですか、奥様。」
「ええ。」
私はよろしいのよ。
ただ、それでもまだ迷っている。私程度の魔力で、何ができるというのかと。
私が何かする必要があるかどうかなんて、分からないのに。
何が正解で、何がベストでベターなのか、不確かな状況で。
誰も、私がすることなど必要としないかもしれないのに。
それでも、何かできるかもしれないと、私は考えてしまう。願ってしまう。
私はここで、何かできることをしたい。私ができることを。
遠巻きにこちらを見る街の人たち。
いろんな意味で不安そうな護衛達。
キャシーは日傘をぎゅっと握り締め。
私たち以外誰もいない広場には、噴水の水音だけが長閑に響いている。
「ほう、あんたが、聖属性持ちのお嬢ちゃんかい。」
凄味のある声に振り向けば、いかにも元冒険者という風情の、厳ついおじ様がいた。事務服が不自然すぎるわ。なぜ鎧を身に付け大剣を背負っていないのかと、疑ってしまうくらいに。
「次期領主の妻、シェリルと申します。」
片足を引き軽く膝を曲げ、挨拶をする。
「俺はヘイデン。嬢ちゃんのわりに、分かってるじゃねえか。」
ええ、まあ、冒険者は実力主義。貴族が冒険者を見下すのとは逆に、冒険者から見れば世襲の貴族など論外という風潮があるのは知っているから。
「引き受けていただけるのでしょうか?」
「でなきゃ、来ねえよ。」
「ではレベルCに対応していただけるのですね?」
「元だが冒険者ランクAだ。」
……もちろん私は冒険者事情には詳しくないけれど、どうしてそんな人がこんな支部にいるのかしら。謎だわ。
いえ待って、それなら、この人なら破壊も可能だったのでは?
長身の厳ついおじ様が私を見下ろす。
「だが誰でもいい。聖属性持ちがいるっていうんで、正直ほっとした。
嬢ちゃんは知ってるか?この噴水は先代の領主が作った。なかなか立派なもんだろう?魔導具を使った仕掛けもある。壊さなくて済むならその方がいい。壊せば、修復するのにかなり時間がかかる。もうすぐ祝祭もあるからな。」
この領地のこと、詳しいのね。安全が最も重要だけれど、破壊を回避できるなら確かにそのほうがいい。
ふと思い出した。ルーファス様は噴水の由来については話されなかったけど、一緒に広場に来たとき嬉しそうな誇らしそうな表情だった。
バセットやエーメリーそしてキャシーの、私に対する小さな信頼かもしれない何かと。
街の人たちの期待と不安と、あるいは願いと。
上手くできるかしら。失敗、するかしら。
たとえ失敗するかもしれなくても。私はそれでも。
ベテラン元冒険者がそばについているのだもの、失敗したらそれだけのことよ。これ以上の悪化はしないわ。
護衛達に指示をする。
「街の人たちは広場には入らせないでね。それから、一度では浄化できないことを伝えてくれる?キャシーも念のため下がっていて。」
ヘイデンさんを見上げる。
「お聞きになっていると思いますが、私は魔力が少ないのです。5カウントくらいしか持ちません。」
「サポートについては任せろ。」
ヘイデンさんが、早くしろとでもいうようにあごで指す。
確かにその通りね。
私は瘴気に向き直る。
金のリングを付けた左腕を上げる。浄化発動“ライニゲン・アクティフィーレン”。
きらきらとしたものが瘴気に降りかかり始める。術が発動して、ぐっと魔力が抜ける感覚。久しぶりの負荷。
カウント1。大丈夫、思い出した。さらに魔力が抜ける。ゆらゆらと揺れる影が小さくなる。
カウント2。少しきつい。魔力消費が早い。ゆれる影がさらに小さくなっていく。
カウント3。瘴気の中から現れる形、影虫。広場の向こうから押し殺した悲鳴が聞こえる。ヘイデンさんが動く気配がした。
カウント4。ヘイデンさんが火魔法をまとわせた剣で、影虫を一刀両断。私は更に浄化を続け。
カウント5。リングから制限がかかった。浄化の強制停止。瘴気のサイズは……。
周りから歓声が上がる。
「嬢ちゃん、無詠唱とはやるじゃねえか。魔力の質もなかなか良い。」
横から聞こえるヘイデンさんの声。
私の背丈以上あった瘴気の揺らぎが、膝下くらいまで小さくなっている。
まだ完全浄化はできていないと、街の人たちにもう一度知らせないと。
そう声を出そうとして。息が切れる。呼吸が苦しい。なぜ?
噴水が揺らいで見える。石畳が揺れる。なぜ?
腕のリングに、ひびが入っているのに気づいた。……なぜ。
自分の体がどうなったのか、よく分からなかった。
最後に目に映ったのは、きれいに晴れた空の色。
周りで騒ぐ声が聞こえる。近くでキャシーが奥様と繰り返す声。ヘイデンさんの鋭い声。魔法医とか何とか。
まだ完全浄化できていないと。
それを伝えてほしいのに。
それから……。