政略結婚が、恋になるまで
11.真夜中に
目が、覚めた。
暗闇の中に見慣れたものがある。ここは私の部屋。いつの間に寝ていたの。
ゆっくりと体を起こす。
「奥様、お目覚めですか!?」
その声は、ドアを半分開け灯りを手にこちらをうかがっているキャシーだった。キャシーって本当にタイミング良いのね、すごいわ。
「旦那様にお伝えしてきます!」
灯りを置いたキャシーがドアの向こうに引っ込むと同時に、ルーファス様が駆け込んできた。
私の知っているルーファス様はいつも穏やか、もしくは冷静なのに、ぼんやりとした灯りのなか見えたものは。こんなに取り乱した表情、初めてだわ。
ベッドのそばに立つルーファス様が、私の頬に手を伸ばす、何か怖れるように。その手が私の頬を包む。温かい手、その手に私はどきどきする。
ルーファス様が大きく息をついた。
「生きて、いますね。」
……ごめんなさい。私、そんなに心配させてしまったの。
ああそうだった。私、倒れてしまったのよね。そんな予定はなかったのに。
ルーファス様が椅子を引き寄せ、ベッドのそばに座った。
「良かった、本当に。
ああ、そんな顔をしないでください。責めているわけではありません。
皆に話を聞きました。あなたがこの領地のことを考えてくださったのは、分かりますから。」
それは、そうなんだけど。
私は、私の願いを叶えたかっただけの気もするけれど。
ルーファス様が私の手をそっと握った。
「魔法医の話では、単なる魔力の使い過ぎだと。魔力制御装置のリングが、あなたに合わなくなっていたようですね。それでもリングを付けている以上、制御は働くので、命が危険にさらされることはないそうですが、僕は……。」
ルーファス様の手が、やはりそっと離れた。
「のどが乾いていませんか?エーメリーが何か用意していたはずですが。」
「飲みたい、です。」
ルーファス様が水差しから注いでくれたのは、柑橘の香る冷たい水。グラスを受け取り、一口飲み込む。美味しい。そんな私を見ているルーファス様の視線は、本当に大丈夫かと心配するものだけど。
思い出した、この方に真っ先に伝えたい言葉があったこと。
「お帰りなさいなさいませ、ルーファス様。」
ふっと、ルーファス様の目元がやわらいだ。
「ただいま、シェリル。」
……この会話、何か普通の夫婦みたい。
「もう夜中を過ぎています。シェリル、あなたはとにかく休んでください。」
そう言ってルーファス様が立ち上がる。けれど、何か迷うようにそのままで。
もしかしたら、もしかしたら。
「あの、私、お腹はすいてないので大丈夫です。」
ルーファス様がはっとした様子で私を見て、苦笑した。
「そう、それも聞かねばと思っていたのです。あなたを見たら、すっかり忘れてしまった。」
では、何かしら?
首をかしげれば、ルーファス様がもう一度私の頬に手を伸ばす。
私は大丈夫だから、そんな気持ちをこめてルーファス様を見上げる。
けれどルーファス様は身をかがめ、私の頬に何か触れた感触。
「おやすみ、シェリル。」
ルーファス様の表情は眼鏡に隠れてよく見えない。ただ私をそっとベッドに寝かせて。
灯りが消える。
ドアが開いて、そして閉まった。
……今の、何だったのかしら。なぜ、頬にキスを。まるで愛情のこもった口づけみたいなものを。なぜ。
ふと横を見れば、サイドテーブルにひびの入った金のリングが置かれていた。
もう眩暈はなく、魔力が回復してきているのもわかるけれど。手足が重い。さきほど水を飲んだときに気づいた。体が熱を持っている。
魔力の使い過ぎ、魔力枯渇。学園で魔法士の資格を取るために、訓練した時のことを思い出す。何度かこの状態になったことがあるから、私には驚くほどのことではないけれど。
貴族の生活になじめず、貴族の娘として不出来な私。
そんな私が唯一できること、聖魔法。
だから、それを何とかして活かせないかと、そう思っていた。そう願っていた。
魔力量の少ない私ができることなど、なかったとしても。
誰も、私が聖魔法を使うことなど望んでなくても。
ゆっくりと金のリングに手を伸ばす。触れる。
それでも私は、何かをしてみた。
あのとき最後に見えたもの、きれいに晴れた空の青。
その色がまだ、胸に残っているみたい。