政略結婚が、恋になるまで

15.五月の祝祭


 “これは、あなたの瞳の色ですから。”
 
 ドレッサーに飾った巻貝の形の魔石を見れば、ルーファス様の言葉を思い出す。それはまるで恋人に言う台詞。
 
「奥様、いかがでしょうか?」
 鏡の中のキャシーが私を見ている。
「いいわ、ありがとう。」
 キャシーは髪をまとめるのが上手。ちょうど良く結い上げてくれる。

 今日はミルトンの街で行われる祝祭の日。
 いつもより少し華やかな色合いのドレスを着て、リボンとコサージュの飾りのついた帽子をかぶる。房飾りのついた小さな手提げ袋も持たされて。
 ドレスも帽子もバッグも、エーメリーが選んだ。祝祭だからこれくらいはと。私は、こういうもの苦手なのだけど。

 支度が終わったので、階段に向かう。
 階下には、すでに準備の整ったルーファス様の姿。フロックコートに、いつもより華やかなタイとベスト。そんなルーファス様が私を見上げる。ただまっすぐに私だけを見る。どきっとする。

 階段を降りていく。その最後の3段目、ルーファス様が私に手を差し出してくれる。その手を取り降りれば、ルーファス様が目を細めるようにしてこう言った。
「シェリル、綺麗です。」

 それはやはり、恋人にいう台詞ではないかしら。妻にも言うものかしら、政略結婚の妻でも。 

 
 ミルトンの街に入ってしばらく行った所で馬車を降りる。ルーファス様が私の手を腕にかけさせる。私はルーファス様に寄り添うように立ち、ただその光景に驚いた。
 メインストリートに立ち並ぶ露店、どこを歩けばいいのかと思うほど着飾った人たちが行き交い、そのなかを子どもたちが駆け抜ける。
 初めてだわ、こんなのは。私は物珍しさと人の多さに立ち尽くしてしまった。

 ルーファス様が苦笑している。
「シェリル、戸惑いますか。戸惑うばかりなら、戻りましょうか?」
 ルーファス様が聞いてくれるけれど。戸惑うというよりは苦手。夜会もそうだけど、人が多いのは。
 でも、ここは夜会とは違う。それとは違った活気がある。戸惑うけれど、嫌かどうかはわからない。
 それに、私はあの噴水を見てみたい。キャシーが教えてくれたから、祝祭の日には噴水の特別な仕掛けが見られるのだと。

「噴水を見てみたいので。」
 見上げれば、ルーファス様が小さく笑った。
「わかりました。」
「でも、あの、ここをどう通り抜ければいいのか……。」
 ルーファス様が自信たっぷりに大きくうなずいた。
「まかせてください。」 

 ルーファス様の腕に手をかけ、ルーファス様に身を寄せるようにして、ゆっくりとメインストリートを歩く。私がちょっとよろけても、ルーファス様がしっかりと支えてくれるから、安心。
 振り返れば、アントニーとキャシーが後ろからついて来ていた、何の問題もないみたいに。驚いているのは私ばかり。でもあまりの人の多さに、私はルーファス様の腕にきゅっとつかまってしまった。
 
「聖魔法の奥様だ!」
 指さした子供が走っていく。子どもは正直だわ。確かに、ほんの少しだろうと聖魔法が使える奥様には違いない。
 私を見てちょっと頭を下げる街の人がいる。手を振る子供たちがいる。人込みで私は何かを返すどころではないけれど、私を好意的に迎える人がいることはわかる。
 それ以上に感じたのは、ルーファス様に向けれられる信頼。道行く人に次々に声をかけられたり、頭を下げられたり。私はルーファス様のついでね。ついででも、ルーファス様のおかげで私が受け入れられているのは確かだわ。

 少し人波に慣れてきたら、露店が気になった。これも物珍しくてちらちら見ていたら、気になる店を見つけて足が止まってしまった。
「シェリル?」
「あれを見ても良いでしょうか。」
 指させば、
「ああ、あそこならフォレット商会が出している店です。」
との答え。けれど、ルーファス様が憂慮する面持ちになる。
「ただ、それでも、子爵令嬢のあなたに合うものがあるかどうか。」
 ……そう?
 
 人波を横切るようにしてその露店に向かえば、見ているだけで心躍るような、レース、リボン、布地がぎゅっと並べられていた。

「おや、坊ちゃんではないですか。なるほど。
 これはスランから直接仕入れた品ですよ。質もけっこう良いものです。
 奥様へのちょっとした贈り物にぴったりだ!
 このレース、なかなかでしょう、この中で一番上等なもので。
 リボンならこれがおすすめ。奥様にお似合いになりますよ……。」

 ルーファス様を知っているらしい店主が、途切れることなく話し続ける。 
 私はこういうもの初めてで、何だか楽しい気分になる。
 そんな気分のまま商品を眺めていたら、見つけた。華やかなワインレッドの幅広のリボンはお姉様に。鮮やかな赤の薄地のリボンは妹に。手紙に添えて贈るなら、ちょうど良いと思う。
 いえ、待って。
 肝心なことを忘れていた。ふだんお金など持ち歩かない私には、買い方がわからない!

「シェリル、何か気に入ったものがあれば、僕に贈らせてください。」
 ルーファス様が言ってくれる。どうしよう。といっても、正直に話すしかないのだけど。
「あの、お姉様と妹に贈りたいのですが。」
「奥様、そりゃあいいですね!どれでも明日、領主館にお届けしますよ。」
 さあ、どれにしますと言わんばかりの店主の様子に、少ししか買わないのが申し訳なくなる。そして支払いの仕方がわからない。
 
 店主の期待に満ちた視線に、とりあえず指さす。
「これとこれを、3ヨルドずつ。」
「あなたが気に入ったものは、ありませんでしたか?」
 ルーファス様がわざわざ聞いてくれる。ここぞとばかりに店主が勧めてくる。
「リボンでしたら、やっぱりこれとか、これとか、これとか。レースならこれも!」
 ど、どうしよう。とりあえず勧められたものを見てみる。その一つがなぜか気になって、手を伸ばす。触れてみれば、淡い桃色の柔らかな手触り。
「シェリル、それを贈っても良いですか?」
「ええ、はい。」
 思わずそう答えて、その答えで良かったのかと考え、考えているうちにただ嬉しくなって。
「ありがとうございます。」
 そう伝えたら、ルーファス様も何だか嬉しそうに見えた。結局、支払いがどうなったのかは謎だけど。

 再びゆっくり歩きながら中央広場に向かい、ようやく噴水の近くまでたどりついた。
 時刻はもう夕方、向こうにお義父様と街代表の姿が見える。 

 人はますます多くなり、私はルーファス様に身を寄せる。ぎゅっと腕をつかめば、耳元でルーファス様の声。
「大丈夫ですから。ほら、始まりますよ。」

 五月のこの祝祭は、豊穣を祈る祭。
 花冠をのせた真っ白なドレス姿の少女が、手に鈴を持って噴水の周りを歩く。シャラン、シャランと鈴の音が、噴水の水音と響き合う。
 夕闇のなか、舞うような白いドレスと、涼やかな音色。そして。

 噴水から光が、数えきれないほどのシャボン玉のような光が吹き出された。光の玉は、ふわふわと広場に舞い降りる。
 噴水から落ちる水と光の泡が混ざり合い、リン、シャリンと硝子が触れ合うような音を立てて、水盤に落ちていく。
 街の人たちがそれを見ている。大人も、子どもも、みんな。

 ヘイデンさんが噴水を壊したくなかったわけね。
 私の浄化は確かに少し、役に立った。例え少しであったとしても。
 それでも、胸に満ちてくるものがある。私の胸を満たしていくものがある。

 私はまた、ルーファス様の腕をきゅっとつかんでしまった。
「シェリル?」
 ルーファス様が私を覗き込むように聞いてくれる。
「とても、きれいです。」
 答えれば、耳元でルーファス様の声がした
「ええ、あなたと一緒に見ることができて良かった。」
 
 それはやはり恋人に言うべき台詞のような気がするけれど。その言葉を受け入れてしまいたい気持ちになった。私たちの関係は政略結婚で、恋人ではないけれど、でも。
 私も、ルーファス様と一緒に見ることができて良かったと思うから。

 噴水の最後の光が消えてゆく。すると、かがり火がともされ大道芸が始まった。歓声が上がる。
 人波が動き始める。ルーファス様が指さす。私もそれを見て、笑い合う。

 その時だった。
「……駆け落ちした坊ちゃんは、戻ってくるのかね?」

 そんな一言が耳に入った。
 その言葉だけがなぜか鮮明に聞こえて。
 私は思わず振り向いてしまい。
 でも言葉はもう人波に消え。
 あとには呆然とした私だけが残った。 

「シェリル、どうしました、疲れましたか?」
 それはルーファス様の声、ただ私を気遣う表情で。
 そう、ルーファス様には聞こえなかったのね。

 でも、私には聞こえてしまった。



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