なぜか私を大切にしてくれる人と、政略結婚することになりました ~恋する妻の幸せな願い~
18.対話の行く先
……誰?
エーメリーやキャシーはもう休んでいる。ほかの使用人もそのはず。緊急の要件かしら。例えばカーライルから、とか。
私はベッドから出るとガウンをしっかりを羽織り、そしてドアを少し開けた。
「え、ルーファス様?」
そこに立っていたのは、今帰ったばかりという風情の、上着もタイもそのままの、少し疲れた様子のルーファス様だった。
「すみません、部屋の明かりがもれていたので、これだけ伝えようと。」
そう言ったルーファス様はいつも通りに見えた。朝のそっけなさが嘘だったかのように。
「あなたがお茶に誘ってくれたと、カーライルがメモに残していましたので。
今日は間に合いませんでしたが、明日ならば。
ではおやすみ、シェリル。」
そう言ってドアを閉めようとしたルーファス様は、いつもとは違って見えた。何か距離を取られている気がして。それが広がっていくような気がして。とっさに閉まるドアを止める。
「あの、申し訳ありません、朝の、私の聞いたことで、ルーファス様をご不快にさせてしまったでしょうか?」
……言ってしまった。ドアをぎゅっとつかんで、ルーファス様の言葉を待つ。けれど。
ルーファス様は顔を背けてしまった。
「その話は、また、明日以降にしませんか。」
「あ、はい。」
それは確かにその通りで。ルーファス様は疲れていらっしゃるし。もう夜中だし。
「おやすみなさいませ。」
何とかそう言って、何とか少し笑顔を作ってドアを閉めようとしたら、逆にそれが止められた。ルーファス様の手によって。
「先延ばしにしても、意味はないか。」
ルーファス様がつぶやくのが聞こえた。
もしかしたらと、思った。ルーファス様も話しにくいのかもしれない。私に言いにくいのかもしれない。私が聞きにくいように。
視線をそらしたルーファス様が抑揚のない声で問う。
「朝の話ですが、あなたは僕ではなく、あいつが良いと思ったから、あのように尋ねたのでは?」
……、逆。それはない。天地がひっくり返ってもありえない!
私は慌てて口を開く。
「違います、全然、聞きたかったのは、違うんです。」
そんな私をルーファス様が怪訝そうに見ている。
私はなんとか説明したくて、言葉を重ねる。
「その、私が確かめたかったことは。
もしユースタス様が戻ってこられた場合、やはりユースタス様と私の結婚が必要とか、そんなことになって、ルーファス様と離婚しなければならなくなったら、それは絶対に嫌なので、だから不安になって聞いてしまったんです。ユースタス様が戻ってくるかどうかを。」
一生懸命話したけれど、これでは不安の理由が伝わっていないような気がした。もっと説明しなくてはと口を開いたところで。
ルーファス様が大きく息をついて、片手で顔を覆った。
「すみません。僕がちゃんと話さなかったことで、かえってあなたを不安にさせてしまったのか。
あいつの、ユースタスの話は、あなたを不快にさせるだけだろうと、僕が勝手に決めつけてしまった。」
不快というよりは、私の望む幸せを脅かさないでいてくれれば、あとはどうでもいいのだけど。
ルーファス様が私を見る、いつもの穏やかな眼差しで。
「ユースタスのことについて話します。あなたの不安がなくなるように。
ひとまず居間に行きましょうか。」
「ええ!?」
ルーファス様が不思議そうに私を見返した。
「あの、私、こんな寝衣にガウンを羽織っただけなので、私室から出るのは恥ずかしいというか。」
恥ずかしいでしょ、当然。
ルーファス様がなぜか気まずそうに話す。
「それは申し訳ない。夜も遅く、僕以外の男は誰も見ないと考えたのですが。」
当たり前でしょ。ルーファス様ならまだいいけれど、ルーファス様でも恥ずかしいのだから。
「しかし僕の部屋に行くよりは、居間のほうがまだマシかと思ったのですが。
シェリル、あなたの部屋で話しても良いと?」
ルーファス様がなぜか気まずそうに話す。
部屋を出るよりはマシだと思うの……いえ、わからなくなった。
こんな夜中にルーファス様と私室で二人きり。何か、こう、恥ずかしすぎる。
「申し訳ありません。居間に行きます。」
結局そう伝えれば、ルーファス様はほっとしたようにうなずいた。
暗い廊下を進み、いつも居間として使っている部屋に入る。
ルーファス様がランプに手を触れれば、光石がふんわりとした灯りを作り出した。
ルーファス様が私を振り返る。どきっとする。
「シェリル、寒くはありませんか?」
「あ、はい、少し。」
五月になったとはいえ、まだ夜は冷える。
「これを。」
と椅子に置いてあったひざ掛けを手渡された。ルーファス様の気遣いに嬉しくなる。
うながされて一人用ソファに座れば、ルーファス様は隣のソファに座った。
「まず、結論から言いましょうか。
叔父上と僕はユースタスの動向を把握しています。」
ルーファス様が一度言葉を切って私を見る、続けても大丈夫かというように。私は少し驚いた。でも考えてみれば当然ね。大領主の跡取りだった人だもの。放置というわけにもいかないわよね。
それなら、聞いてみるしかない。
「では、ユースタス様はご結婚されたのですよね?」
ルーファス様が苦笑する。
「あなたがいろいろご不快にならなければ良いのですが。
ユースタスは結婚していません。ですが、かなり親しい冒険者の女性がいるようです。」
……駆け落ちしておいて、なぜ結婚しないの?小説でも現実でも駆け落ちというのは難易度が高いと決まっているのよ、それを成功させたのに?わざわざ隣国に行ったのは、この国とは法律が違って比較的容易に結婚できるからではないの?もしかして、資金面で結婚が難しいとか?隣国での生活が落ち着くまでは結婚しにくいとか?……ん?駆け落ちした女性と、今親しい冒険者の女性は違う、という可能性だってあるかも!?そもそも、今あの方は隣国にいるのよね?
首をかしげると、ルーファス様が心配そうに私を見ていた。
「やはり、ご不快では?」
不快というよりは、不思議。やっぱり、私にとってあの人はよく分からない人。
ならば、聞いてみるしかない。
「では、ユースタス様はこちらに戻ってくるおつもりがあるのでしょうか?」
「それは、ありません。」
ルーファス様が意外なほどはっきりと答えた。
「あいつは今、隣国で冒険者をしています。」
冒険者!?あの人、冒険者稼業に興味がおありだったの?全然、気づかなかったけど。全然、わからなかったけど。それとも、単に生活のために冒険者をしているとか?あの、覇気とかやる気などないように見えた人が?ただ怠惰に生活を送っているだけに見えた人が?そもそも駆け落ちを成功させるだけの器量など持っていないように見えた人が?
私は首をかしげる。ルーファス様は話し続ける。
「そして叔父上は、僕を跡継ぎにと決めました。法的な手続きも済んでいます。そもそも、それを前提とした子爵令嬢のあなたと僕との結婚です。」
そう、だから不安になった。ルーファス様が跡継ぎでなくなった時、私との結婚はどうなるのかと。
「子爵家とのつながりで利益を得るため、叔父上は僕を跡継ぎにしました。それを覆すようなことがあれば、さすがに二度目は子爵家が、あなたのお父上ノートン子爵が納得なさらないでしょう。」
それはどうかしら。このつながりは子爵家にも益があることだもの。子爵家の体面と利益のどちらをとるか、父がどう判断するかは、その時の財政状態によるわ。
私は首をかしげ、ルーファス様は話し続ける。
「子爵家の不興をかうかもしれないこと、叔父上も当然それを分かっておられる。だから僕が跡継ぎから変更になることはありません。たとえユースタスが戻ってきたとしても、ユースタスが跡継ぎには戻りません。」
それを聞くことができて、私は凄くほっとした。
ルーファス様がさらに続ける。
「だから、安心してください。例えば、あなたがこの館から追い出されるようなことはありませんから。」
それは嬉しい。
「あなたがこの館の女主人の役割を奪われることもありません。」
それはどっちでもいい。
「あなたが次期領主夫人の座を追われることもありません。」
それもどっちでもいい。
重要なのはそこじゃないもの。でも、ほっとした。今のところ、離婚の要因はなさそうだから。
強張っていた身体から力が抜ける。
「ありがとうございます、話してくださって。」
伝えれば、ルーファス様が気づかう眼差しになった。
「今日は眠れそうですか?」
「はい。でも、ルーファス様のほうがお疲れではありませんか?」
「ええ、今回はやっかいでしたが、何とかなりましたよ。」
ルーファス様が穏やかに答える。仕事のこと、聞いてみようかしら。
「あの、なぜお忙しかったのですか?」
「時々あるんですよ。魔石を保管している倉庫で、石が暴れました。」
……暴れる?
「そういう暴れ石が混ざっていると、ほかの魔石もざわついて、なだめるのが大変なんです。脱走する魔石も出ました。」
……なだめる?脱走?
「いつもなら、子守唄を歌える魔法士を雇うのですが、いつも頼んでいる女性が腰痛で、代わりの女性も流行性感冒とのことで頼めず。」
……唄?
「それで今回は暴れ石が三体もあったうえに、捕獲すべき魔石が二十九体も出ました。」
……魔石の世界って、奥が深い。
「シェリルに興味があるなら、いくらでも話しますよ。あなたは僕の妻なのだから。」
不意に、ルーファス様が私の髪に手を伸ばした。
触れて。
ゆっくりとなでる。
その指が私の頬をかすめる。
どきりと、してしまった。
こんな夜中に。他に誰もいない部屋で。二人きり。見つめ合うように。
ルーファス様がぱっと手を離すと立ち上がった。
「そろそろ休みましょう。廊下に誰もいないか確認してきます。」
その後ろ姿を目で追いながら、私はなぜか物足りない気持ちになってしまった。ルーファス様の手がもう触れてないことに。そして、そんな自分に戸惑った。