政略結婚が、恋になるまで

24.瘴気に当たれば(後編)


 朝、目が覚めた。
 腕を見る。痛みが引いている。激痛が、うずくような痛みにまでおさまった。
 ふと思い出した。ルーファス様はこの腕を華奢と言った。そうね、良く言えば華奢ね、貧相では悪口になるものね。ルーファス様は言葉の選び方が上手いわ。

 そんなルーファス様は夜、何度も腕の湿布を取り替えてくれた。わざわざ私の部屋まできて、湿布に高濃度の聖水を染み込ませ、私の腕に巻いて固定してくれて。私は蝕みからくる熱で何をする気力もなく、ぼーっとそれを見ていた。
 使用人に任せても良かったのに、そう思いながら。でもルーファス様にそばにいてほしい、そう思いながら。

 ルーファス様はわざわざ自分で私の世話をしてくれた。それはまるで愛情のような。
 そう感じるのは私の錯覚?私の勘違い?私に都合のいい思い込み?それとも……。
 
「奥様、お医者様が来られています。すぐに診ていただきましょうか?」
と不安そうにドアを開けたのはキャシーだった。
「そうね、お願いしたいわ。軽く身支度を整えるから手伝ってね。」

 魔力枯渇の時にも来てくれた魔法医は、私の左腕を診ると極めて楽観的に宣告した。
「一週間!
 たまにあるとはいえ当たった瘴気が濃かったね。湿布には高濃度聖水を使うんだよ。蝕みが進行したら痛いうえに面倒なことになるだけだから。
 奥様は嫁いで何か月だっけ。ちょうど疲れが出る頃だ。慣れないところで頑張ってるんだからね。一度休養しておくのにちょうどいい頃合いさ。ちょっとばかり痛いが、それを理由に全部休むのがおすすめだよ。」
 ……それはどうかしら。奥様業も何もかも全部休むというのは。
 魔法医が上品そうに微笑んだ。
「一週間ぐうたらしていたらいいのさ。医者の言うことは聞いておくものだよ。そうだ、次期領主の坊ちゃんにも言っておこうかね。一週間は痛みが続くし、ここで体調を崩すと蝕みが悪化するから、余計なことはさせないようにとね。」
 そして魔法医は、とっておきらしいリラックスブレンドのハーブティーを置いて帰っていった。


 ひとまず、いつもの部屋で朝食を取っていると、お義父様が来られた。そのお見舞いは温かな心のこもったものだった。
 ちなみにキャシーやエーメリー、ヘレンは、私のことを心配した。バセットもカーライルもアントニーも、料理長や庭師に護衛の皆にまで、私は心配された。よって私は魔法医の助言通り、休まざるを得なくなってしまった。エーメリーとバセットが今日の私の予定をすべてオフにしてしまったから。
 昨日からの激痛も昨夜の熱も落ち着いた私は、何もしないほうが落ち着かない気分だけど。

 食後の紅茶をいただいていると、カーライルがやって来た。
 ルーファス様は急な仕事が入って外出中だということ。加えてルーファス様からの伝言だと、魔法医の診察を受けちゃんと指示に従うこと、蝕みを悪化させないよう身体を休めることを言い渡された。

 昨夜のお礼と、おかげで痛みが引いたと伝えたいのに、ルーファス様はいない。
 左腕を見る。激痛は引いても、うずくような痛みは残っている。時おり刺すように痛む。
 これくらいなら、たいしたことはない。分かっている。でも、何だか心細い。誰かに、そばにいてほしくなる。ルーファス様に、そばにいてほしくなる。
 
 そういえば、ルーファス様はいつ瘴気に当たったのかしら。子どもの頃なら、痛いわ。酷く痛いわ。
 そしてもう一つ思い出す。仮登録の見習い冒険者として浄化をしたときのことを。

 小さな子どもが泣いている。大声で泣いている。その子より少し大きいもう一人は泣かなかった。その代わり、歯を食いしばって必死に痛みに耐えていた。急な瘴気の発生で、運悪く当たってしまった子どもたち。でも、聖水が届けられるまでの間、子どもたちのそんな顔は見ているこちらが苦しかった。
 聖魔法の浄化では、瘴気が当たった蝕みの治癒はできない。浄化は人の体には作用が激しすぎるから。だから蝕みには聖水を使う、浄化の魔法を溶かした治療用の聖水を。
 聞くところによると、常時瘴気が湧くような場所では、住人は聖水を携帯しているという話だった。レイウォルズではそこまで必要ないにしても、何らかの備えはあったほうがいい。
 聖水や湿布にもランクがあり、効果が違う。もし高濃度の薬用聖水が村々に常備してあったら、痛みに泣くような子どもが一人でも減るかもしれない。そうなるといい。

「奥様。」
と、ヘレンが部屋に入ってきた。
「旦那様がお帰りになられました。奥様のお加減はいかがかと。」
「ルーファス様、もうお帰りになられたの?今、どちらに?」
 速足でドアに向かえば、ヘレンが目を見張った。そうね、お加減の悪い奥様が元気よく歩いたら、驚くわよね。
 ヘレンの眼差しは大丈夫なのかと問いたそうだったけど、ただこう答えた。
「旦那様は書斎に。」

「ルーファス様?」
と書斎のドアを開ければ、上着を脱いでカーライルと話していたルーファス様が振り向いた。
「シェリル、大丈夫なのですか!?」
 カーライルがすっと一礼して、部屋を出ていく。私はルーファス様にうながされ、あっという間にソファに座らされた。
「熱は?」
と隣に座ったルーファス様が私の額に手を伸ばす。その手に触れられて、私はくすぐったいような気分になる。
「熱は下がりましたし、痛みもかなり引きました。
 ありがとうございます。ルーファス様が夜の間、何度も湿布を変えてくださったおかげです。」

 ルーファス様の表情がほっとしたような、切ないようなものに変わる。
 額に触れていた手が私の背中に降りる。そして。
 初め、何が起こったのかよく分からなかった。
 でも、ルーファス様の腕が私を包み込むようにしているのは分かった。そっと、壊れものを扱うように抱きしめられているのだと。

 ルーファス様の体温が伝わってくる。
 ほっとして。どきどきして。ずっとこのままでいたいような、でも恥ずかしくてたまらないないような、私はそんな気持ちでいっぱいになり。
「あの、」
と小さく声を出せば、すっとルーファス様が離れた。恥ずかしさはなくなったけれど、代わりに何だかさみしくなった。

「すみません、シェリル。……嫌、でしたか?それとも、痛みますか?」
 痛くはないし、嫌でもないけれど。そう答えるのはすごく恥ずかしい気がしてしまった。だって、もっと抱きしめてくださいって意味になりそうで。それは恥ずかしいでしょ。
 ルーファス様が真剣に私を見ている。スカートをぎゅっと握り、視線をさまよわせ、私は結局小さく首をふった。
 とりあえず話題を変えたいと思う。

「あの、お話したいことがあって。
 ルーファス様はもう何らかの対策を取られているとは思いますけれど。」
 そう前置きの上、高濃度聖水を常備する話をした。私の魔法を使って聖水を作れば、費用も抑えられるからと。

 ルーファス様は遮ることなく、最後まで私の話を聞いてくださったけれど、考え込むような難しいお顔。もしかして、それは無理って言いづらいのもかもしれない。私から何か言ったほうがいいのかもしれない。
「その、思いついたことを、お話しただけなので、現実的ではない部分もあると思いますが。」

 ルーファス様が苦笑する。
「そうではありませんよ、シェリル。
 通常ランクの聖水なら村々にも常備しています。高濃度となると、ランクに関わらずそこまでの用意はできません。そもそも聖水は貴重で高価ですからね。それも高濃度となるとミルトンのギルトで売っているか、医者が持っているかくらいでしょう。
 いや、それだけでなく、僕にその発想が持てなかった。瘴気に当たった場合は、湿布と通常の聖水で何とかするべきだと、痛みは我慢するべきだと思い込んでいた。実際それで何とかなります、この辺りの薄い瘴気なら。
 それでも、もし高濃度の聖水があれば、あなたがそれを作れるというなら、それを含めた対策が立てられます。」

 ルーファス様の言い方、大げさなことになっているような。対策の一環になるほどには提供できない気がするのだけど。
「あの、でも、私、あれは作り方がややこししいのと当然魔力を食うので、一日に一本も作れないのですが。ええと、浄化に行くための魔力を残したうえで作製するとたぶん、二週間に一本かも。提案しておいて、申し訳ないのですが……。」
 ルーファス様の手が私の髪に触れる、一度撫でるように。

「それでも、あなたの聖属性は貴重なのです。あなたの負担にならないのであれば、僕はそれが欲しいと言わざるを得ない。
 何より、蝕みの痛みが軽減できるのは間違いない。例え薄い瘴気でもあれは痛む。激痛ですからね。
高濃度の聖水なら痛みがかなりやわらぐ。
 といっても、治療用の聖水として作るなら、専用の薬用水に専用の壜も必要でしょう。あなたの負担が少なくなるようスケジュールも調整し直します。そのあたりは僕に任せてもらえますか?」

 頼もしいルーファス様に見惚れていたら、返事が遅れてしまった。
「ええと、その、はい、よろしくお願いしますね。」
 ルーファス様がにっこりと笑った。
「ところでシェリル、一週間、休養してください。」
「あの、それは、三日ぐらいで大丈夫ではないかと。」
 ルーファス様が再度にっこりと笑った。
「シェリル、一週間、休養してください。」
 ……問答無用だった。


 そして私は一週間、ぐたっとしたり、ぼーっとしたりして過ごすことになった。ルーファス様が贈ってくれた、チョコレートをつまみながら。

 でも、魔法医のいっていたことは当たっていた。一週間が過ぎて休養期間が終わり、私はそう思う。
 ため込んでいたつもりはないけれど、疲れていたのかもしれない。
 だって、身体が軽くなって、気持ちも軽くなって。私の中に満ちているものがあるような。
 また少しずつ奥様業をやっていこう、顔を上げてそう言いたいような気分になっているから。



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