政略結婚が、恋になるまで
30.手紙と真相と
ドアを開ければ、ルーファス様がこの前貸した本を手に立っていた。
「シェリル、本を返しにきました。」
「もう、読まれたんですか?」
「ええ、なかなか興味深かったです。もしよければ、別の本を貸してもらえませんか?」
「はい。でも、そんなに持っていないですけれど。ええと、旅行記が良いですか、それとも推理小説とか?」
すると、
「シェリルのおすすめは?」
と逆に聞き返されてしまった。
「ええと。」
すぐには思いつかない。どうしよう。
「あの、ルーファス様、部屋に入られませんか。直接本を見ながら、おすすめしたいと思って。」
「……良いのですか?」
「はい。ただ、デスクの上が散らかっていますけど。その、どうぞ。」
ルーファス様が部屋に入る。部屋を横切って、二人で窓際のデスクに向かう。
「探し物でもしていましたか?」
「いえ、本の置き場所がなくなってきて、どうしようかと。」
「それなら、この部屋に合う本棚を注文しましょうか。」
そんなつもりで言ったわけではないけれど、嬉しくなってしまった。
「本当に、お願いしてもいいですか。」
「もちろんですよ。」
ルーファス様が微笑む。
私は本当に嬉しくなって、張り切っておすすめしようと、机の前で一冊を手に取る。
「これはフランシスの書いた推理小説なんですけれど、本格派で。」
ルーファス様の手が机の上に伸びた。ほかに気になる本があったのかと、その先を見れば。
けれど、それは本ではなかった。ルーファス様の手がつかんだものは、白い便せん。
「これはユースタスの筆跡ですね。」
それは苛立ちを抑えた口調。
「あなたはこれを、大事に持っていたということか。」
ルーファス様の手の中で紙がくしゃりとつぶれる。
「あなたはまだ、あんな男のことを想っていると。」
ルーファス様が苛立ちを抑えきれないように、声を荒げる。
「冗談でも、人買いに売ろうといった男のことを!?
事故に見せかけて殺すなどといった男のことを!?
魔獣に襲わせるといった男のことを!?
確かにあなたは結婚式の日、花婿の駆け落ちをきいて震えていた。
僕は少しばかり罪悪感にかられましたが。
まさか、あの男のことをそんなに想っていたからなのですか!?」
……話が見えない。それに。
「人買いに売るとか、殺すとか、どうしてご存知なの?」
思わずそう聞けば、はっとしたルーファス様が明らかに動揺して私を見返し、そしてうつむけた顔をそらした。眼鏡に隠れて表情が見えなくなる。
あんな言葉、私に言うのではなかったということ?今更、どうでもよいけれど。
つまり、あの人は酒場だけでなく、ほかの場所でも吹聴していたというわけね。ああそうだった、侍女たちが噂するくらいだもの。
「そうだったんですね。ルーファス様はあの言葉をご存知だったんですね。
もしかして、だから教会での求婚のとき、私のことを大切にすると言ってくださったのですか?」
ルーファス様が顔を上げる。ただ真摯に私に告げる。
「それは僕の本心です。本気で言いました。
ですが、あなたは分かっていない。それが何を意味するのか。
あなたには隠し通すつもりだった。それこそ一生涯。
それができると考えた僕は、浅はかでしたね。あなたを前にすると僕は、隠すことができない。
それに今はぐらかしても、僕がこれだけ動揺するのを見せてしまったら、あなたはいずれ不審に思うでしょう。あの場に僕がいて、なぜ何もしなかったのかと。」
……やはり話が見えない。
「あの?」
怖いほど真剣な表情をしたルーファス様が、苦しそうに私の左手をつかみ力を込める。
「最初に言っておきます。それでもあなたは僕の妻だ。僕はあなたを手放さない。」
けれど、そっとルーファス様の手は離れ、仕事の手紙を読んでいる時のような淡々とした様子に変わった。
「あなたに初めて会ったのは結婚式の日ではありません。あの酒場に、僕もいたんですよ、ユースタスを探しに。」
……そう、だったの。
「式と花嫁を迎える準備を放り出したあいつを探しに来て、婚約者に対する暴言を聞くことになった。
この領地の利益を考えるなら、あなたとの結婚は重要だ。それをこうまで蔑ろにするなら、もうあいつには任せてはおけなくなった。だから決めました、次期領主の座を奪うと。
ユースタスに駆け落ちをさせたのは、僕です。僕が仕組んだんです。」
……意味がよく分からなかった。私は呆然とルーファス様を見返す。
「僕にとってレイウォルズは大切なものです。僕はこの領地を守りたい。
しかし、あなたと婚約してからのユースタスの素行は、いつの間にかひどくなっていた。あいつはそれでも伯父上に隠し、周りに気づかれないようにしていましたが。だから僕も気づかなかった。
あなたとの相性がどうしても合わず結婚が難しいなら、もっと早くに対策をとるべきだった。早ければ、領地の利益が減ったとしてもやりようはあったのですよ。ですが、あいつはそれを選ばなかった。
僕が知ったのは式の一か月前、アントニーを王都のあいつの所へ使いにやらせたんです。その時アントニーが気づいて僕に知らせてくれました。婚約者であるあなたと会っていないようだと。それだけでなく、大学にも行かず遊びまわっているようだと。
僕は急遽王都に向かい問いただしました。あいつはあなたとは結婚する、伯父上には言うなと答えたものの、それ以上の話し合いには応じませんでした。あいつもこの領地に愛着があるのは分かっていた。だから静観することにしました。領地のことを思うならば、あなたとの結婚は重要だ。あなたと領地を大事にしてくれればと、僕は願っていた。
ですが結局、ユースタスはあなたに、妻になる令嬢に向ける言葉とはとても考えられないような言動をしました。それも結婚式数日前という時になって。
だから、ユースタスをそそのかし駆け落ち騒動を起させることにした。そしてあいつが前から行きたがっていた隣国方面に抜けるよう、策を講じたわけです。」
……すごい。
他人の駆け落ち計画を立てて、それを完遂させるなんて。
確かに、あの状況で確実に次期領主になるためには、それを周りに納得させるには、ただ花婿が領地を出て行っただけでは駄目だもの。花婿が私と結婚の意思なく出て行った、かつ隣国でもう結婚しているかもしれない。それくらいの状況でなければ、連れ戻せという話になるだけだから。
ルーファス様の淡々とした視線が私を見下ろす。
「もう一つ、この領地ために、僕はあなたを利用することにしました。
あなたはあいつの言葉を聞いて、真っ青になって震えていた。だから、あれと結婚するより僕の方がマシだろうと考えた。少なくとも僕なら必ずあなたを大切にする。それなら政略結婚の相手が僕に変わっても問題ないだろうと。
しかし、その考えは僕の思い上がりだった。」
ルーファス様が握り締めたこぶしをぐっと机に押しつける。
「結婚式の日、新郎の準備が遅れると聞いたあなたは不安気な様子になった。」
ええと、ちょっと違う。
「あいつの駆け落ちの知らせを聞いたとき、耐えられないように手で顔を覆い、」
それは違う。
「衝撃のあまり倒れそうになり、」
それも違う。
「手を握り締め、ただ震えていた。」
ええと、どこから訂正すれば!?
「あなたの気持ちを勝手に推し量り、あれが駆け落ちということにしてもいいだろうと判断した僕は愚かでしたね。あの時、己の浅はかさを思い知りましたよ。」
……ど、どうしよう!?もう話すしかないよね、それしか。
私は両手を握る。
「あの、ルーファス様がそんなふうに思われていたのなら、今まで黙っていて申し訳なかったと、私の気持ちを。だから、つまり、違うんです。
私はあの酒場でユースタス様の言葉を聞いたとき、どうしたらいいかわからなくなって。いえ、ユースタス様と結婚したくないとはっきりわかったんです。
けれど、結婚式の数日前に取りやめることなど、私には手段も何もなく、ただただ、嫌だけれどどうしたらいいか分からない状態で。
そこに花婿駆け落ちの知らせが来たんです。私、とても驚いてしまって。結婚しなくてもいいかもしれないと思ったら、嬉しくて。
ほっとしたら、式までの数日間眠れなかったから、寝不足でふらふらとしてしまい。
ユースタス様との結婚も婚約も取りやめと父が言ったとき、喜びのあまり手が震えて。」
ルーファス様が、信じられないものを見ている顔になる。
私は何だか、申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい。
つまり、こちらの都合ですけれど。私が喜んでしまったら、ユースタス様の駆け落ちの原因が私になってしまって、子爵家にもたらされる利益が減るのは困ると、そう考えて。それはできるだけ見せないようにしたんです。
それに、喜んだら婚約者であったユースタス様に対し誠実ではないということになるから、そう思われるのもイヤで。何よりルーファス様にそう思われるのがイヤで。これも私の都合ですけれど。」
……言って、しまった。
ルーファス様が苦笑するように顔を歪ませる。
「あなたは、ずいぶんとお人好しですね。
僕はあなたの気持ちも考えず、利用したと言っているのに。」
私がお人好し、そうかしら?
それに、ルーファス様に利用されて、私は何か困っている?嫌な目にあっている?
「いいえ。
結婚の理由が、ルーファス様にとって都合のいいものだったから、そのために私を利用したのだとしても。私はそれで嫌な目にあってははいません。困ってもいません。
それどころか私は、幸せです。
そもそも私たちは政略結婚で、両家の誰かが結婚で結び付けばそれで良い、そんな結婚です。お互いに利用している関係ですから。」
ルーファス様が苦しそうに顔を歪ませる。
「だから、あなたはお人好しなのですよ。」
私はぎゅっと組んだ両手を握り締めて、ルーファス様を見上げる。
「いいえ。
私はあのとき、あの人と結婚したくないのに結婚せざるを得ない状態で。どうにもできなくて、どうにもならなくて、ただあの人と結婚するのは嫌だと願うだけだった。それしかできない私の状況を変えてくださったのは、ルーファス様だったのですね。
理由なんてなんでもいいんです。あのとき私は助かったんです。本当に助かったから。」
ルーファス様の視線が険しくなる。
「本当にお人好しですね。あなたは気づいていないのですか。
あいつの駆け落ちは、望まない政略結婚から逃れるチャンスだったというのに。」
私はじっとルーファス様を見上げる。
「いいえ。
あの人と婚約解消できても、お金に困った父が、母が、適当な誰かに、もしかしたら評判の悪い誰かに私を嫁がせるかもしれない。その可能性は十分ありました。
結婚式だけ助かっても、その後の状況は悪化するかもしれなかった。私にとって、あれより酷くなる未来だってあった。
そうならなかったのは、ルーファス様のおかげです。ルーファス様が私に結婚を申し出てくださったからです。
私は今幸せです。その幸せは、間違いなくルーファス様が私との結婚を望んでくださったからなんです。」
私は伝えたかった、この気持ちを。一生懸命、言葉を紡いだ、けれど。
それは届かなかったのかもしれない。
「……シェリル、本はまた今度に。」
そう言ったルーファス様は、険しい表情のまま部屋を出て行ってしまったから。