政略結婚が、恋になるまで
31.すれ違い
あまり眠れないまま朝になった。
しかも、ヘレンに手伝ってもらい朝の支度をしている最中、キャシーが伝えに来た。
「旦那様は護衛の方たちと訓練されるとのことで、朝食は先にお一人ですませて欲しいとのことでした。」
私は小さく息をつく。
たまたま訓練される日だった?それとも、私は避けられている?それとも、私が気にしすぎなの?それとも?
わからない。ルーファス様が何を考えているのか、わからない。
でも、決めた。
朝食はお義父様と天気の話をしながら、朝食室でいただいた。
お義父様いわく。
「次期領主としての仕事が増えたからな。ルーファスも時々、身体を動かした方がいいだろう。」
とのことだった。
その後、二冊の本を持ってルーファス様の書斎に向かう。午前中、外出の予定はないと昨日聞いたから。
ノックをすれば、カーライルがドアを開けた。少し驚いた表情を一礼して隠す。
「奥様、旦那様は今、シャワーを浴びて着替えをされているところで。」
「そうなのね、ここで待っていてもいいかしら?」
「もちろんでございます。」
カーライルが書類や届いた手紙を整理している。私は落ち着かないままソファに座って、手に持った本をぱらぱらとめくっている。
突然ドアが開いた。
「カーライル、例の倉庫の件で、」
と言いかけたルーファス様が、驚きの目で私を見た。
「おはようございます、ルーファス様。」
と立ち上がりドアに向かう。ルーファス様の前に立つ。
「お仕事の前に、これだけお渡ししたくて。私のおすすめです。
本格派の推理小説と、軽妙なタッチのピカレスクもの。どちらもフランシスの書いたものですけれど。どうぞ。」
ルーファス様がゆっくりと本を受け取る。
「では、私はこれで。」
ルーファス様の横をすり抜け廊下に出ようとして、手首をつかまれた。
「シェリル、眠れていますか?」
「昨晩はあまり、でも今日は眠れると思います。」
廊下に出る。後ろでドアが閉まった。
両手をぎゅっと握り締める。緊張した。
私、いつものようにできていた?いつものように少しは笑えていた?
でも。
握っていた手から力が抜ける。良かった。拒絶はされなかったもの。
「あれ。」
と横からアントニーの声がした。ピッと背筋が伸びる。アントニーはたぶん勘がいい。
「奥様、部屋に入ります?」
「今、出てきたところよ。」
そう答えれば、アントニーの顔がぱっと明るくなった。
「旦那様、何か滅茶苦茶ヘコんでいたみたいだから。こんな時はやっぱ奥様ですよね!」
……主のことをそう簡単にペラペラとしゃべってはダメよ、とは言わないことにした。アントニーはわかって私に言っている。それならと、いっそ聞いてみることにした。
「ルーファス様が落ち込んでいらっしゃるなら、どんなものが効くかしら?気分が落ち着くかしら?どう思う?」
アントニーがこともなげに言った。
「奥様が一番ですよ。」
……覚えておくわ。でも今聞きたいのはそれじゃないのよ。
「それ以外ではどう?」
アントニーが首をかしげる。
「旦那様は仕事好きですし。趣味って言っても、庭の散歩に、丘陵に行ったり。仕事が煮詰まっているときは、訓練したら気分が変わるみたいです。あと甘いものも。あとは、魔石に詳しくて、しゃべらせたら止まりません。」
いろんな情報をもらってしまったわ。
「ありがとう、教えてくれて。」
心からそう言えば、アントニーが書斎のドアを指さした。
「奥様、もう一度入りません?」
「……さすがにそれは、お仕事の邪魔になってしまうわ?」
だからお願い、誤魔化されておいてね。だって今日はもう、気力が尽きたもの。
翌朝の目覚めは悪くなかった。昨日より眠れた。昨日は結局、朝より後はルーファス様に会えなかったけれど。
ヘレンに手伝ってもらい朝の支度をしている最中、キャシーが伝えに来た。
「旦那様は護衛の方たちと訓練されるとのことで、今日も朝食は先にお一人ですませて欲しいとのことでした。」
私は小さく息をついて、決めた。
たまたま訓練される日だったとしても、私が避けられているのだとしても、私が気にしすぎなのかもしれなくても、ルーファス様が何を考えているのかわからなくても。
今日もまたルーファス様の書斎で待って、少しだけ会話する。そうできるよう、少しだけ頑張る。
朝食は、お義父様と秋の祝祭の話をしながらいただいた。
その後、ルーファス様の書斎に向かう。午前中は外出の予定があると昨日確認しておいたから、その前に話す時間をと考えて。
ノックをすれば、カーライルがドアを開け一礼した。
「奥様、旦那様は今、シャワーを浴びて着替えをされているところで。」
「そうなのね、今日も待っていていいかしら?」
「もちろんでございます。」
カーライルが書類や届いた手紙を整理している。私は静かにソファに座っている。
ふと思った。ルーファス様が仕組んだという駆け落ちについて、カーライルはどのくらい知っているのだろうかと。仕事の補佐やスケジュールの調整などを行っているカーライルに内緒で策略をめぐらせるのは、簡単ではないはずだけど。それに何か行動するにしてもルーファス様が表立って動けば目立つわ。執事に指示を出したほうが……。
突然ドアが開いた。
「カーライル、頼んでおいた書類だが、」
言いかけたルーファス様が、驚きの目で私を見た。
「おはようございます、ルーファス様。」
と立ち上がり私はドアに向かう。ルーファス様の前に立つ。
「昨日、アントニーにルーファス様は魔石にお詳しいと聞いたんです。その、私も魔石について知りたいので、教えていただけませんか。もちろんルーファス様の時間の空いた時で、かまいませんから。」
「……あなたが望むなら。シェリル、眠れましたか?」
「はい。」
「……良かった。」
私が廊下に出れば、後ろでドアが閉まった。
両手を握り締める。緊張した。でも、昨日より不自然ではなかったはず。少しは笑えていたはず。
それから。
握っていた手から力が抜ける。良かった。今日も、拒絶されなかったもの。
でもルーファス様は、少し疲れていらっしゃるようだった。
……。……。……。私が鬱陶しいから、とか。いやいや、そうとも限らないはず。そうとも、限らないといいのだけど。
とりあえず、料理長にルーファス様の好きなデザートやケーキを用意してもらうよう、頼みに行こう。
翌朝の目覚めも悪くなかった。昨日も結局、朝より後はルーファス様に会えなかったけれど。
ヘレンに手伝ってもらい朝の支度をしている最中、キャシーが伝えに来た。
「旦那様は護衛の方たちと訓練されるとのことで、今日も朝食は先にお一人ですませて欲しいとのことでした。」
私は首をかしげ、そして決めた。
今日もまたルーファス様の書斎で待って、少しだけ会話する。少しだけ頑張る。
朝食は、お義父様と冬の祝祭の話をしながらいただいた。
その後、ルーファス様の書斎に向かう。カーライルによれば午前中の予定は流動的だそうなので、その前に話す時間が取れるといいけれど。
ノックをすれば、カーライルがドアを開け一礼した。
「どうぞ奥様、旦那様は今、シャワーを浴びて着替えをされているところで。」
「そうなのね、今日は本棚を見ていてもいいかしら?」
「もちろんでございます。」
カーライルが書類や届いた手紙を整理している。私は本棚を見ている。重厚な本もあるけれど、最近出版されたような専門書に図鑑、魔法書や小説もあるみたい。
ドアが開いた。立ち尽くしたルーファス様が、戸惑うように私を見ている。
「おはようございます。」
と私はドアに向かい、ルーファス様の前に立つ。
「ここの本をお借りしてもよろしいですか?私もいろいろ読んでみたくなって。」
「……ええ、もちろんです。」
「ではまた、選びに来ます。」
廊下に出る。後ろでドアが閉まった。
良かった。拒絶はされなかった。でも、私の行動にどのくらい意味があるのか、わからなくなってきた。まだ三日目なのに。
ルーファス様から感じるのは、諦めと、迷いと、じっと耐えているような何か。
加えて、やはり疲れていらっしゃるような、そんな雰囲気だった。
結局、午後にもう一度、ルーファス様の書斎に行くことにした。
ノックをすれば、カーライルがドアを開け一礼する。
「これは奥様、旦那様が外出中なのはご存知のことと思いますが。」
ええ、それはご存知よ。ではなくて。
「聞きたいことがあるの、少し良いかしら。」
「何でございましょう?」
「ルーファス様のことなのだけど、いつもより疲れていらっしゃるように見えて。」
カーライルがうなずく。
「実は今、前倒しで仕事を進められており、旦那様はスケジュールに余裕がない状態でございます。」
「何か、お忙しい時期なのね?」
「いえ、旦那様ご自身が忙しくしていらっしゃるだけで、次期は関係ございません。また、この程度なら体力的には大丈夫です。」
カーライルが含みのありそうな笑みを浮かべた。
「ですが、奥様が心配なさっていたと、旦那様にお伝えいたしますので。」
とりあえず私は慌てた。これ以上鬱陶しいと思われるかもしれないのは、避けたいというか。
「その必要は、ないと思うわ?」
反対したのに、カーライルの笑みが深くなる。
「いえいえ、重要なことでございますので。」
……本当に?
その夜、寝衣でベッドに入ってぼんやりと開いた本を眺めていたら、ノックの音がした。
……もしかして、ルーファス様?
慌ててベッドから出て。だから落ちてしまった本を、気持ちを落ち着かせるために拾い。やっぱり急いでガウンを羽織って、ドアを開けた。
「シェリル、少しだけ良いですか?」
ドアの前に立っていたのは、やはり疲れたような雰囲気のルーファス様だった。
「カーライルから聞きました。あなたが心配していると。
ですが、あなたが僕の心配をしなくても良いんです。これは僕の問題ですから。」
確かに、そうかもしれない。私には、どうにもできない問題なのかもしれない。でも。
「フランシスが帰った後、ルーファス様は言ってくださいました。私が楽しそうで良かったと。
私も同じです。だから、ルーファス様が疲れていらっしゃるようなら、気になります。」
ルーファス様が一歩部屋に入る。ドアを閉めるとそれに寄りかかり、淡々とした眼差しが私を見下ろした。
「参りましたね。あなたが心配することはない。僕のは単に、自業自得ですから。」
「それは、」
言いかけた私を、ルーファス様が遮る。
「やはり僕は浅はかでしたね。いえ、分かってはいたんです。覚悟もしていた。
しかし、ここは本来ユースタスが継ぐべき場所、僕ではない。それを策略で奪ってしまったということです。」
……確かにそんな見方もできるけれど。そうではない見方もできるのに。
「お義父様はそれについてご存知なのですか?」
とりあえずそう聞けば、ルーファス様は苦笑した。
「結婚式の前日に話しました。僕がユースタスをそそのかしたことも。
伯父上はそれで良いと。ユースタスに迷いがあるのは気づいていた。式までに来なければ、それがユースタスの選んだ道だと。
だが、伯父上が納得したからと言って、罪悪感がなくなったわけではなかった。それを今、思い知るとは。
それだけの覚悟をしていたつもりでしたが、足りなかった。この程度で揺らいでしまうとは。」
私はもう何も言えなくなってしまった。
ルーファス様がもう一度苦笑する。
「シェリル、妻であるあなたが困るようなことにはしません。
僕は自分の責任を全うします。それがどれほど苦いものであったとしても。
あなたが悲しむようなことではない。これは僕の問題です。」
ルーファス様がそう断言する。
私はうつむく。さみしいと、そう思った。