政略結婚が、恋になるまで

33.予定は未定


 領主館に戻るまで、ルーファス様は何も言われなかった。
 でも、ルーファス様の内面の何かが落ち着いたようだった。


 翌朝、ヘレンに手伝ってもらい朝の身支度をしている最中、キャシーが伝えに来た。
「旦那様は護衛の方たちと訓練されるとのことで、今日も朝食は先にお一人ですませて欲しいとのことでした。それから午後のお茶を一緒にと。」
 私は何だかほっとして、くたっと椅子の背に寄りかかってしまった。
「良かったです。もう、仲直りされたんですね。」
と何でもないことのように言って、キャシーが部屋を出ていく。鏡に映ったヘレンは微笑を浮かべていた。
 ……。この皆に筒抜けの生活、どうしようもなく恥ずかしいのだけど。



 三日後、ルーファス様からお誘いがあった。今日の午後は私の予定も入っていないから、一緒に過ごしたいということだった。
 私は嬉しくなって、同時に少し戸惑った。あれからルーファス様は以前と同じように、私に穏やかな雰囲気を見せてくれる。でも、以前とは少し違う感じもする。何が違うのか言葉にはしにくいのだけど。
 でもやっぱり嬉しいので、お気に入りの室内着で午前中の日課をこなしつつ、午後を待てば。

「僕から誘っておいて申し訳ない。急な仕事が入りました。お茶の時間までには戻りますから。その後は、良ければ四阿で魔石の話をさせてください。」
 などとルーファス様が直接謝りに来てしまった。
 残念だけど、とても残念だけど、しょうがない。これはたぶん、お茶の時間までには戻れないんじゃないかと思う。次に会えるのは明日かもしれない。もしかしたら明後日かもしれない。

 とりあえず、私が仕事をしないのも怠けているような気になったので、
「分かりました。ちょうど出さなければならないお礼の手紙があったので、それを書きながら待っていますね。」
 そう答えれば、ルーファス様から穏やかかつ真剣に説得された。
「僕のはどうしても片付ける必要がありますが、あなたは休んでください。急な浄化が入り予定が狂うことも多いのだから、今日はあなたのしたいことに時間を使ってください。」
「でも、ルーファス様もお仕事になりましたし。私も何かしようかと。」
 そう答えれば、ルーファス様が困った顔になった。
「シェリル、僕があなたを馬車馬のように働かせたいとでも思っているんですか?」
 ……最近の馬車は、新しい魔導具のおかげで馬の負担が減ったと聞いているけれど、そういう意味ではないのでしょうね。
「僕は、あなたが朝から晩まで働き詰めでいるようなことは望んでいません。
 あなたにはできれば幸せに、ここで過ごして欲しい。」

 ルーファス様が私の手を取る。その指先に軽く口づけが落とされた。


 自室でひとり刺繍をしている。窓から風が吹き込んできた。針を持つ手を止める。風が心地よい。
 心地よいと思ったら、落ち着かなくなった。やっぱり今仕事をしていないのは、落ち着かない気がしてしまう。ルーファス様にあれほど言ってもらったにもかかわらず。

 そしてルーファス様のことを考えれば、思い出してしまった、指先への口づけを。
 ルーファス様に触れられるのは、恥ずかしいけれど嬉しい。指先への口づけも、あの馬車の中で私を支えるように背中に回された腕も、額への口づけも。

 でも。
 私、欲張りかしら。触れられればとても嬉しいのに、額への口づけだけでは、ちょっと物足りない気がするなんて。
 私、欲張りかしら。大切にされているのは分かるの。それが嬉しいのに、それだけでは物足りない気がするなんて。

 指輪をもらったとき、ルーファス様は私のことが好きなのではないかと、考えてみた。
 政略で結婚した私を少しずつ好きになってくださったのだとしたら、どんなにいいだろうと思った。
 そうすれば、私の気持ちを認めてもいいかもしれないと思った。伝えてもいいかもしれないと思った。
 結局、違っていたけれど。ルーファス様にあるのは政略結婚の妻を大切にする、それだけだった。

 それだけでも、私は十分に配慮してもらっているし。それだけでも、私は十分なことをしてもらっているし。それだけでも、私は十分幸せを感じているし。それだけでも、私は満足しているし。それだけで、十分満足しなければならないのに。
 それなのに。

 あの時、思わずルーファス様に、大好きって言っちゃった。
 私は好き。ルーファス様のことが好き、とても好き。 
 でも。
 この気持ちを、政略結婚の夫に押し付けるのは、果たして良いことなのか。

 ルーファス様が私に好意を持ってくださっているのは分かる。
 祝祭の噴水を私と見ることができて嬉しいとか、私が妻で幸せだとか、そう伝えてくださるのだから、少なくとも好意はあると思う。
 でもそれは、恋愛感情ではない。恋愛感情ではなかった。
 そんな夫に、私の好きという感情を押し付けるのは、応えられない感情を押し付けるのは、良いとは思えない。
 
 いいえ、私は不満なわけではないのよ。もちろん不幸でもない。
 今までしてくださったことが全部、なくなるわけでも、嘘というわけでもない。
 例えば、昨日からのことを思い返してみてもわかるもの。

 昨日はルーファス様と一緒の朝食だった。私がいつのも部屋に入ると、ルーファス様は笑みを浮かべて、おはようと言ってくれて。どのジャムが好きかなんて話をしながら朝食をいただき、その後は仕事で急ぐからとルーファス様が先に席を立った。私には食後の紅茶までゆっくりしてほしいと言って、私の指先に軽くキスをして。

 夕方は、戻られたルーファス様に散歩に誘われた。短い時間だったけど、歩きながら庭に咲いている花やお互い読んだ本の話をした。ルーファス様の穏やかな雰囲気に包まれているような、ひと時だった。

 晩餐の後は、やはり短い時間だったけど、魔石のコレクションを見せてもらった。ルーファス様はコレクションというほどのものではないと言いつつも、楽しそうに説明してくれて。

 今朝は訓練をされるということで、朝食は一緒ではなかった。その代わりに花が届けられた、メッセージカードと共に。鮮やかな夏の花を合わせた小さな花束、カードには“シェリルに”とだけ簡潔に記されて。

 私、これで何が問題なのかしら。
 私、やっぱり幸せだわ。すごく幸せだわ。
 でも、ルーファス様にとって幸せかしら。

 “あなたにはできれば幸せに、ここで過ごして欲しい。”         

 そう言ってくれたルーファス様なら、私がこんなに幸せって思っていたら、良かったと思うかしら。 
 とても幸せって伝えたら、ルーファス様もとても良かったと思うかしら。


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