政略結婚が、恋になるまで

39.伝え合うこと


 足音がした。ルーファス様が雨の小道を歩いてくる。
 先ほど私に、一目惚れだといった人が。

 一目惚れって、私にはよく分からない、それなのに。
 何か、もの凄く恥ずかしくなった。いつもどうやってルーファス様と顔を合わせていたのか、わからなくなるくらいに。
  
 四阿に着いたルーファス様が、私の向かいに座る。
「シェリル、あなたとの話の途中に、本当に申し訳ない。」
「いいえ、緊急なら当然かと。」
 答えるため顔を上げたものの、その次にはうつむいてしまう。 

「あなたとの暮らしを守るために、仕事を放り出すわけにもいかない。
 けれど今回の緊急の要件は、あなたより重要なものではありませんでしたよ。」
 私はほっと胸をなでおろす。悪い知らせでなくて良かったと。

 向かいでルーファス様が苦笑したようだった。
「僕の話はずいぶんと、あたなを混乱させてしまったようですね。
 僕を見てはくれませんか。」
 
「いいえ、私は。」
 顔を上げたものの、私はどうしたらいいかわからなくなって、またうつむいてしまった。

 ルーファス様がまた苦笑したようだった。
「あなたは子爵家の令嬢、僕は何も持たない領主の甥。本来なら、僕が妻になど望むべくもなかったひとです。
 それが、レイウォルズと子爵家の利が一致し、跡取りが僕になり、あなたを娶ることができた。
 だから、あなたが僕をどう思っていようとも。
 これは政略結婚です。そもそもあなたの気持ちは考慮されてない。だから、あなたの気持ちに関係なく、僕はあなたを大切にしたいと思った。そう行動しようと決めた。」

 ルーファス様はそこまでの覚悟を持って、あのとき結婚の提案をし、私に求婚してくれたの。
 逆に言えば、覚悟のないユースタス様は式に来なかった。もしかしたら、それはそれで誠実さの表れかもしれない。
 となると、不誠実なのはむしろ私!?覚悟も何もなく、あの人と結婚したくもないのに式に来て。

「あの、私は。そんなにも、ルーファス様が私のことを考えてくださったのに。
 結婚式の、求婚してくださった時、呆然として、何も答えられず。」
 顔を上げて言ったものの、自分でも何を言いたいのかよくわからなくなったのに。

 ルーファス様は小さく笑った。
「違いますよ。
 僕には考えるだけの時間があった。あなたにはなかった。あなたに与えられた決断の時間は一瞬くらいでしょう。
 それでもあなたはここに馴染もうと、僕と一緒に暮らそうとしてくれた。
 これで良かったと、僕とは縁があったと言ってくれた。
 大切にしたいと僕が勝手にしている行動を、あなたは受け入れてくれた。
 僕が夫で幸せだと言ってくれた。
 今はそれで十分です。」

 それで十分なのかしら、本当に?
 こんなにも決意して、覚悟して、結婚に臨んでくださった方に対して。
「私はルーファス様にとって、何か、違ったりはしませんでしたか?
 一目で好意を持ってくださったとしても、その後は?」

 ルーファス様が笑った。
「それについては僕も考えないでもなかった。一目惚れで結婚生活が上手くいくものかと。
 ですが、結婚式の日、僕が渡した水にお礼を言ってくれたでしょう。突然結婚ということになったのは僕も同じだと、言ってくれたでしょう。
 あなたは僕の予想以上でした。あなたの言葉や、仕草や、そんなものすべてが。一目惚れだと思った僕の気持ちは、変わらなかった。いや、もっと魅かれた。

 しかし、僕の気持ちだけでこの関係を続けることは、きっと難しかった。
 あなたはここで暮らそうとしてくれた、貴族ではない暮らしに合わせようとしてくれた、僕の行動を妻として受け入れてくれた、この関係を続けようと努力をしてくれた。あなたが僕にしてくれたことがなければ、今の僕たちの関係は作れなかった。」

 ルーファス様が私を見る、あたたかな眼差しで。
「もちろん、あなたがしてくれた努力はそれだけではない。
 女主人の仕事を、次期領主の妻としての仕事を、得意でないものも含め一つずつ身に付けようとしていることは、知っていますよ。
 浄化や聖水作りという、必要以上のことも提案し行動してくれています。
 あなたがレイウォルズについて考えてくれることは、僕にとって本当に嬉しい。
 あなたは素晴らしいと僕は思う。僕にはあなたの力が必要です。 

 ただ、あなたが仕事や提案をしなかったとしても、僕は構わなかった。」

 私はその言葉に驚く。瞬きして見返せば、ルーファス様がまた笑った。

「もしも、あなたから聖魔法の力がなくなったとしても、僕は構わない。
 万が一病気や怪我で女主人としての仕事ができなくなったとしても、僕は構わない。
 あなたがここで安心して、くつろいでくれるなら、笑って僕の隣にいてくれるなら、それで良い。あなたが庭で楽しそうなら、ここでの暮らしを楽しんでくれるなら、それだけで僕は良かったと思う。 
 だから指輪を渡したとき言いたくなったんですよ、僕は幸せだと。」

 私は、ただ驚いてしまった。驚いて、ただルーファス様を見つめ返してしまった。
 
「だからシェリル、僕には恋人など必要ない。僕が望むのは、あなただけです。
 たとえ今、あなたがどんな気持ちでも。僕と共にここで暮らしてくれれば、今は十分ですから。」

 ……ん?
 ようやく気付いた。何か、ずれている。噛み合っていない。
 私が大好きと言ったあの言葉は、欠片も伝わってなかった気がしてきた。

「あの、私。」
 言いかけて、どう伝えればいいのかと迷えば、ルーファス様が穏やかな眼差しで私を見ていた。
 その眼差しに、私もきちんと伝えなければと心がはやる。

「私、ルーファス様のこと、好きですから。」
 ……言っちゃった。かっと頬が熱くなって恥ずかしくなった。

 ルーファス様がいつものように穏やかにうなずいた。
「ええ、わかっていますよ。
 あなたが僕に好意を持ってくれていることは、さすがに分かりますからね。」

 ……好意。
「あの、ええと、私、この前も言いましたけれど、大好きなんです、ルーファス様のことが。」
 言っちゃった。さらに恥ずかしくなった。
 
 ルーファス様がいつものように穏やかにうなずいた。
「ええ、わかっていますよ。僕に、他の誰よりも大きな好意を持ってくれているのは、あなたを見ていればわかります。あなたは僕を頼ってくれますし、僕には気を許してくれているようですから。」

 ……なぜ、そうなるのかしら。
 確かに頼っているし、気を抜いてしまうけれど。
「あの、ええと、その、私は、だから、恋愛感情的な意味で、ルーファス様のことが大好きなんです。」
 はっきりと言っちゃった。どうしよう、すごく恥ずかしい。それなのに。

 ルーファス様がいつものように穏やかにうなずいた。
「シェリル、無理をしなくてもいいんです。この結婚はあなたが望んだものとは違う。無理に僕に合わせる必要はありませんから。」 

 ……なぜ、そうなるのかしら。
 確かに私が望んだわけではないけれど。最初はそうだったけれど。
 
 ルーファス様が穏やかに、しかし困ったように口を開く。
「僕は、つまりは一目惚れです。あなたが僕に単なる好意以上の感情を持ってくれたらと、思わないわけではありません。ですが、僕に対する愛情を強制したいわけではないんです。
 本当は指輪を渡したときに、僕の気持ちを伝えようと思っていた。いや、それまでも何度か伝えようと思ったことはあった。けれど、あなたはそれ受け入れられるようには見えなかった。
 だから、本当にまだ言うつもりはなかったんですよ。
 そもそも、あなたがこういったことに慣れてないのは、見ていればわかりますから。」

 ……なぜ、そうなるのかしら。
 私に配慮してくださっているのはわかる。でも、そうじゃなくて。
 私、けっこうはっきりと言ったはずなのだけど。
 私、そんなに分かりにくいことを言っている?
 これ以上、何をどう言ったらいいの!?
 ええと、ええと、ええと。
 
「そろそろ戻りましょう。」
 ルーファス様が立ち上がる。私に手を差し出す。
 ためらいながら、その手に私の手を重ねる。立ち上がれば、ルーファス様の手がすっと離れた。
「今日はよく降る。あなたの傘も持ってきましたから。シェリル?」
 
 そうね。雨が降っている。ずっと降り続いている。
 降って。流れる。流れていく。
 一緒に流れていく気がする。私の不安も、わだかまりも、怖れも。
 伝えたいと思った。今まで話せなかったこととか、全部。

「ルーファス様、覚えていらっしゃいますか。夜中に、ユースタス様について話してくださったときのこと。
 私がこの館から追い出されるようなことはないと。女主人の役割を奪われることもない、次期領主夫人の座を追われることもないと、話してくださいました。
 ルーファス様が私を安心させようと、そう言ってくださったのは分かります。
 でも、本当はどちらでもいいんです。ルーファス様が私の夫でいてくださるなら、それだけで。

 この結婚は私が望んだものではありません。いえ、そもそも私は結婚ができるとも思ってなかった。お姉様と妹の結婚の支度をしたら、私までする余裕はない。そうしているうち私は結婚の適齢期を外れる。だから、聖魔法を活用できる道がないか、もしくは家庭教師になることを考えていました。貴族の娘が一人で暮らしていけるような仕事は、ほとんどありませんから。それに、自分が結婚生活に向くとも思えなかったので。ですが。

 募集のあった家庭教師の面接は、つまり、三回とも頼りなさそうと断られ。魔力が少なく、聖魔法を使っての自活もできそうになく。具体的な方法の目途がたたず焦っているとき、ユースタス様との婚約が決まったんです。本来なら、お姉様と妹の結婚資金はどうにかなるはずだった。あのプライドの高い両親が、その、お金はあれど貴族ではない領主とか商人に嫁がせるとも予想してなかった。けれど父が投資に失敗してしまい、私は子爵家に利益をもたらすため、どうしてもユースタス様と結婚しなくてはならなくなった。

 ただ、それは私にもメリットがあることでした。ユースタス様と結婚することで生活が保障されますから。私はそれで十分だと思っていました。私が子爵家に残って父が亡くなった場合、その後の生活がどうなるか分からないので。
 うちの子爵家には息子がいません。跡を継ぐのは父と仲の悪い叔父になります。だから路頭に迷うより、娼館の戸を叩くより、よほど良い状況だと。婚約者がどんな人でも、嫁ぎ先がどんな所であったとしても、持参金がないことを非難されても。
 だから自分がこんな気持ちになるなんて、思ってなかった……。
 
 私は、あなたが好きです。
 
 ルーファス様が私を大切にしてくださること、嬉しいです。私が、その、恋をしている方だから、だからこそ嬉しいんです。
 この指輪もとても嬉しい、つながりが感じられて。

 ルーファス様は、私のわからないことや、できないことを、いろいろしてくださるから、頼りにしていますし、頼もしいといつも思っています。
 それから、お仕事をされている時の感じは素敵だし、一見そうは見えないのにお強いところとかも素敵で。あの、私はそう思っていて。

 何より私は、ルーファス様の雰囲気が好きなんです。教会で会ったときから、それは感じていて。今はもっとそう思っています。私も穏やかな気分になれるんです。ルーファス様には分かりにくいことかもしれませんけれど、実家で落ち着いた気分になれなかった私には必要なんです、失いたくないほど。
 それに。」 
 言いかけて、続けようか迷って、私はぎゅっと両手を組む。視線は少しそらして。

「私は、あなたと一緒にいると、どきどきします。
 だいぶ慣れましたけど、エスコートしてくださるときとか。
 あの、抱き上げられたら、もうどうしようかというほどですし。
 私、こういうことには本当に慣れてなくて。
 だから、あなたの手が私に触れたら。
 時にはあなたが私を見ている、それだけで……。」

 どうしよう、結局こんなことまで話してしまった。
 けれど、ルーファス様は黙ったまま。
 どうしよう、これ以上何を言えばいいの。何と言ったらよかったの?

 顔を上げれば、ルーファス様が私を見ていた。
 それはいつもの穏やかさとは違う、強い眼差し、初めて見る表情。
 
 ルーファス様が私に手を伸ばす。その手が頬に触れる。
 どきっとする。逃げたいような、もっと触れてほしいような。動けなくなった私は、そのままじっとしている。

 ルーファス様が身をかがめる。私はとっさに首をすくめてしまった。けれど。
 
 私の耳元で、ルーファス様のかすれた声が囁く。
「あなたに、口づけをしても良いということですか。」
 ルーファス様の指が私の唇に触れる、なぞるように。
「例えばここ、あなたのここに口づけても?」
 その声も、指も、ルーファス様の近さも、どきどきして、体中が鼓動になったかのようで。
 ただ私は小さくうなずく。

「シェリル、愛しています。」

 ついと顎を持ち上げられたかと思うと、私の唇に触れるもの。
 あたたかな、そっと重ねるだけの口づけ。

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