政略結婚が、恋になるまで

43.過去と今と


「お前、今の生活が不満なら、逃がしてやるよ。」
 私の元婚約者がそう言った。

 ……。何を言っているの。
 仮に逃がしてもらったとして、子爵家に利益が入らなくなれば、お姉様と妹の結婚がどうなるか心配しかないし。だいたいその後、私にどう生活しろというの。
 そもそも私は、今の生活に不満はないのだから。

 そんな私の表情を見たからか、元婚約者がまた舌打ちした。
「不満、ねえのかよ。」
 そうね。ここははっきり言っておかなくてはね。
「不満はありません。なので、逃がしていただく必要もありません。」

 それを聞いた元婚約者は苦虫を噛み潰し、無理矢理呑み込んだかのような顔になった。
「くそっ、やっぱ言わなきゃなんねえのか。………………悪かったな。」

 あら、そんな言葉が出てくるなんて、すごいわ。あの元婚約者から。で、悪かったとはどれについて?
 私がじっと見返せば、ユースタス様が睨むように見下ろした。
「そんな不信そうに見てんじゃねえよ。」
 信じられないのではなく、どの点について悪かったなのか、気になるだけよ?

「ああ、くそっ、結婚式をすっぽかして悪かった。」
 早口でそっぽを向いて、これがこの人の精一杯なのだということは分かった。
 せっかくそこまで言ってもらったけれど、私には的外れだわ。

 ユースタス様が不審そうな目つきになる。
「お前、怒ってねえのかよ。俺が、結婚式をすっぽかしたこと。」
 当たり前だわ。何を言っているのかしら。あまりにつまらない問いなので軽く答える。
「怒ってなどいません。」
「お前、ずいぶんとお人好しだな。やっぱ、つまんねえ女。」
 それは、あの頃のような私を蔑む台詞、私を見下す視線。出来の悪い私は駄目だと、そんな私には価値がないと言われているようで、苦しかったもの。
 でも、なぜかしら、それはもう、私には怖くない。

「ユースタス様、それは違います。私はあなたに感謝をしているのです。」
 ルーファス様がどれほど策略をめぐらそうと、この人が私と結婚しない道を選ばなければ、私にとって幸運な状況には成りえなかった。
 だから、私が伝えたいことは唯一つ。片足を引き、軽く膝を折る。
「ありがとうございます。」

 あら、不思議ね。あれだけ私に嫌味やらなにやら言っていた人が、ただ戸惑っているだけなんて。
「……ヘンな女。」
 ぼそりとユースタス様がつぶやく。それはお互い様だと思うのだけど。
「私にも、ユースタス様はよく分からない人ですから。」
「へえ、何、ルーファスなら分かるとでもいうわけ?ああ、噂じゃ、仲良し夫婦だって?」
 え、そんなふうに噂されているの?嬉しいかも!でもどうかしら、私はルーファス様のことを分かっているかしら、もっと分かりたいとは思っているけれど。

 ユースタス様が茶化すようにこちらを見てくるので、思わず言っていた。
「分かるというより、ルーファス様の雰囲気が私の好みということです。あなただって、そうでしょう?」
 ユースタス様が言葉に詰まった。あら、やはり図星なの?
「私の雰囲気というか外見、まったく好みじゃないでしょう。ユースタス様の好みは、ヴィオラさんのような方ですね?」
 ユースタス様が図星とばかりにうろたえている。分かりやすすぎるわ。
 まあ、私に好みがあるならば、ユースタス様にも好みがあるのは当然。これも、お互い様ね。

 そんなユースタス様が私を睨む。
「あのなあ、まったく好みじゃなくても、それでも結婚するつもりだったんだよ。」
 ……正直というのかしら。大変失礼な気もするけれど。政略結婚としては、これが当たり前だけど。

 ユースタス様が大げさにため息をつく。
「それがなんで駆け落ちってことになってんだか。」
「……え?」 
「俺のは単なる出奔だ。」
 平たく言えば戻らない家出。ユースタス様がそのつもりだったのなら、確かに駆け落ちはどこにいったの。

「一応、一応、謝っておく。指輪を隠して悪かったな。」
 実に偉そうに、ユースタス様が宣言した。
「指輪、ですか?」
「お前、それはさすがに困っただろうが。式で指輪がなきゃ、ちょっと困るだろ?慌てるだろ?
 まんまと領主の座を手に入れるあいつに、嫌がらせしてやろうと思ったんだよ。」
 
 いえ、特に困った覚えはないし。むしろ私は、新しい指輪をルーファス様からもらえて嬉しいことになっているし。ずいぶんと地味な嫌がらせ。

「それに、お前にも相当ムカついていたからな。」
 ……まあ、そうでしょうね。私にあれだけ嫌味やら無視やらしていたのだもの。もちろん、相当ムカついていたからでしょうとも。そう達観した気分になりそうになったところで、ユースタス様が面倒そうに付け加えた。
「お前、何で俺に、聖属性があることを言わなかった?」
 何が気になるのか、私にはわからないけれど。貴族の子息が就職や箔付けのために魔法士資格をとることはあっても、貴族令嬢が魔法の使い手であることを自慢することはないし。そもそも資格をとることもあまりないし。
「お聞きになられているかもしれませんが、私は魔力が少ないので。」
 ユースタス様が私を睨む。
「そんなことを聞いてんじゃねえよ。ったく、ムカつくな。」
「……使えると、誰かに言えるほどの腕前ではないのです。それにあの頃は、まだ魔法士の資格を取っている最中でしたから。」
 付け加えれば、ユースタス様が怒りをこめて私を睨みつけた。
 
「やっぱ分かってねえな。お前、俺のこと見下していただろ。」
「いえ、そんなことは。」
「聖属性も隠してたのにか?」
「いえ、隠していたわけではなく。」
「誤魔化すな。」
「いいえ、誤魔化してなど。」
「言う必要もないと馬鹿にしてたってことだろ。」
「いいえ、そうではありません。」
 ユースタス様が憎々しげに私を睨む。
「じゃあなぜ、お前の両親が俺を見下す言葉に何も反応しなかった!?それはお前も俺を見下してるのと同じだろうが!妻になる女に見下されて何が嬉しいかよ。」
 
 ……ああ、この人はそんなふうに感じていたの。私は目を伏せる。今、初めて気づいた私は愚かだわ。確かにそう思われても仕方がない状況だった。
 婚約者として月に二回くらい、それでも外出の約束をして迎えに来てくれたユースタス様に、両親が投げつけていた言葉は。マナーがなってないとか、こんなことも知らないのかとか、これだから爵位のない人間はとか。
 プライドばかり高い両親の中身のない言葉など、笑って聞き流して欲しかった。それくらい度量のある婚約者であってほしかった。でもそれは私の勝手な期待。私はユースタス様に対して配慮をすべきだった。

 舌打ちの音が聞こえる。嘲る声が続く。
「これだから貴族のお嬢様は。」

 私は迷う。迷って、それでも言うだけ言っておくことにした。
「一応、説明をします。私が反応できなかったのは、それが当たり前だからです。私もまた。非難され、否定される側だから。
 両親にとって、私は出来の悪い娘でした。嫌味に、嘲り、それはいつものことで、通り過ぎるのを待つしかない。だから、あなたに対してもフォローができなかった。
 今更ですが、申し訳なかったと思います。」

 言い訳をしてみても、あの時の私にフォローができるだけの余裕はなかった。だって、私がフォローしてほしいくらいだもの。貴族の娘なのにこんなこともできないのか、駄目な娘、まったく恥ずかしい、どれこれも失敗してばかりで、親の言うとおりにできない望むとおりにできない価値のない娘、風変わりで可笑しな娘。毎日毎日そんな感じのことを、いろいろと言われて続けていた私には。

 何か言い返されるかと身構える。けれど、ユースタス様から返ってきたのは怪訝な表情だった。
「親が娘を嘲るって?」
「私の両親はプライドが高く、けれどそれに見合うだけの収入がなく、いつも苛立っていました。その苛立ちをぶつける先が、出来の悪い私だったというだけです。」

 ユースタス様はまだ怪訝そう。 
 なるほど、納得した。あの人柄がよく人格者のお義父様が、わざわざ息子を嘲るとは思えない。お義母様もそんな方だったのなら、ユースタス様は恵まれている。でも、恵まれているからこそ、言えないことができるのかもしれない。例えば冒険者になりたい、とか。

「だとしてもだ。何でお前、あの時、来なかった!」
 急にユースタス様が声を上げた。
 ええと、あの時って?思わず瞬きして見返せば、ユースタス様のほうが視線をそらした。
「くそっ、覚えてすらいないのかよ。手紙に書いただろうが、レイウォルズに今すぐ来いって。」
 ええと、そんなに重要な手紙だったのね、あれでも。

 私はまた迷って、もう聞いてみることにした。
「手紙なら覚えていますが、今すぐ行くことができると思われた理由は?」 
「夜会だの茶会だの買い物だの、貴族のお嬢様は暇だろ。」
とユースタス様が嘲る。
「私は王立学園に通っていたのですが。」 
「何言ってんだ、あんなお遊び。」
とユースタス様が馬鹿にする。

 ……ちゃんと会話をしたり、相談はしなくとも報告連絡くらいはしておかないと、こうなるわけね。予想はしていたけれど。
「あなたは私の言うことなど信じないでしょうが、学園は遊んでいたら単位が取れません。課題も出ます。手紙が届いてすぐ来いでは、その後の単位取得に差し支えるんです。
 ですが、婚約者からの要望でしたから、通常の授業は知り合いに何とかノートの写しを頼み、特別授業は講師に頼みこんで日にちをずらしてもらいました。」

 ユースタス様が鼻を鳴らす。
「恩着せがましい言い方するんじゃねえよ、結局来なかっただろうが。」
 さすがに私もカチンときて言い返す。
「そもそもレイウォルズに行くためには、何が必要だと思いますか?」
「は?」
 ユースタス様がぽかんとした顔になる。
 なるほど、納得だわ。あの生活をしていたら気づかないかもしれない、大領主のお坊ちゃまでは。お金に困らない暮らしって安心で素晴らしいと、本当に思うもの。
 
「分かりませんか、旅費です。」
 やはりユースタス様はぽかんとした顔のまま。
「お前、貴族のお嬢様だろうが。」

 ……やっぱり、ちゃんと会話をしたり、相談はしなくとも報告連絡くらいはしておかないと、こうなるわけね。本当に今更だけど。
「私自身が自由に使えるお金など、ほぼありません。旅費を得ようと思えば、両親に頼まなくてはならなりません。頼みましたが、出さないと言われました。」
「何でだよ!?」
 そう問いたくなる気持ちは私にもわかる。けれど、あの両親の考えも推測できる。
「あなたを散々見下した両親が、馬鹿にしている領地に行く費用を出すとでも?
 そもそもですが、平たく言えば、うちに余分なお金はありません。」
「だから、お前、貴族のお嬢様だろうが!」
「だから、貴族であることと、潤沢にお金があることとは別なんです。もちろんまったくないわけではありませんが。」
「言い訳にしか聞こえねえ。信じられるか。」

 ……ああ、面倒になってきた。
「私があなたと会う時、いつも同じ外出着だったのは気づいていましたか?」
「は?」
「聞いた私が愚かでした。」
「もったいぶってんじゃねえ、言え。」
「婚約者との外出であれば、毎回同じドレスを着るということは、貴族であればなおさらあり得ません。それができないほど、お金に困っているということです。」
「んなの、気づくわけねえだろうが!」
「だから、聞いた私が愚かだと言ったんです。」

 怒りを抑えるように、ユースタス様がそっぽを向いた。
「くそっ、待ってた俺が馬鹿みてえじゃねえか。」
 信じられない、待っていたの。それなら。
「それについては、大変申し訳なかったと思います。
 ただ、私は会いたいわけでは、なかったので。」

 ……あ。しまった。口に出してしまった。

「それ、どういう意味だよ。」
 ユースタス様が低い声で問いただす。私はため息をつく。
「会えば嫌味を言う相手に、手紙の返事もない方に、積極的に会いたいとでも?」
「手紙?面倒くせえ、わざわざそんなもの書くか。
 俺だってな、婚約者だから義務で誘ってただけだ。誰が、お前のような女に会いたいかよ。
 あれだけ言っても、何も言い返してこねえ。余計にイライラする。」
 吐き捨てるようなユースタス様の言葉。

 ……この人は、私のことをそんなふうに感じていたの。
 それはかなり、私には難しい。相手がそう感じていると推し量ることは。
 私にとって、嫌味も嘲りも、黙って通り過ぎるのを待つもの。あの両親を相手に、私の思っていることも考えていることも、何かを話そうとすることも、とっくの昔に諦めてしまったことだから。
 それに、嫌味を言って言い返されたいと望んでいるなんて、そう推し量ることも難しい。私にはさっぱり分からない。その考えの欠片も分からない。嫌味に言い返して何が楽しいの、面倒なだけよ。ええ、私とコミュニケーションを取りたいなら、もっと別の方法にしてほしいわ。
 
 ユースタス様が低い声でぼそりと言った。
「大型の魔獣が出た。だから、お前に来てほしかったんだよ。」

 ……なぜ?分からない私は首をかしげて、じっと見返す。
 すると、ユースタス様が婚約者であったときの目つきで、私を見返した。
「ああ、それだよ。そのお前の目つきもイライラする。取り澄まして、何もしゃべらねえ。
 どんだけ、こっちを馬鹿にしてんだ。」

 ……いやいやいやいや、まったくそんなつもりはないのに。なぜそんなことに。
 それでも、ユースタス様にはそうとしか見えないことは分かったけれど。
 小さく息をつけば、ユースタス様に見咎められた。
「そういうのが、見下してるっていうんだよ。」
 ……本当に、私にどうしろというの。

 ユースタス様が呟くように口走る。
「ああ、くそっ、大型の魔獣を駆除するところでも見せれば、見直すかと。」
 ……なぜ?
 分からない私は首をかしげて見返そうとして、視線をそらすことにした。いえ待って、視線をそらしたら、それはそれで侮っているのかと言い返されるんじゃない?

 ダンと、ユースタス様が机に拳を振り下ろした。
「ああ、くそっ。お前、初めっから俺のこと、つまんないヤツと思っただろ。」
「いいえ、そんなことは。」
「んなわけねえだろうが。」
「いいえ、普通の方だと。」
「それが、大した事ねえ、つまんないヤツってことだよ!」
 
 わからない。決してそんな意味ではなかった。けれど、何かすごいことができる人だとは、確かに思わなかった。
 ……もしかして、それなの!?

 半年、この人の婚約者をやった。
 嫌味を言われるのは嬉しくなどないし、蔑まれるのは嫌な気分。増えるほどに蝕まれていくような気がする。自分はデキが悪いと思っているから、余計にダメージが大きい。一方的に嘲られるのも、無視という方法でも。 
 同時にずっと思っていた。この人のことがわからない。
 何がそんなに不満なのか。私を蔑んで、結局いったい何がしたいのか。私に何を望んでいるのか、何を願っているのか。

 それが今、ようやくわかったのかもしれない。
 私は、ユースタス様を普通の人だと思った。
 私は、ユースタス様を何かすごいことができる人だとは思わなかった。
 けれど、ユースタス様はできる男だと思って欲しかった、そういう目で見てほしかった。そういう男として扱って欲しかった。
 つまり。この人は。 

 私に叱咤激励して欲しかったとでも?
 領主になるなら、ふらふらしてないで責任を果たせと。あなたにはそれだけの力があるのだから!
 と、そんなふうに?

 ……無理だわ。私には無理。
 いつも嫌味や嘲りの言葉をかけられている私に、そんな行動を望まれても難易度が高すぎる。
 いえ、それだけじゃない。どれだけ必死にユースタス様がそれを求めていたのだとしても。
 自信のない私には無理。それは揺るぎない自信がある人でなければ、かけられない言葉だから。
 
 私は自分に自信がなく、貴族の娘としてもデキが悪く。
 同時に貴族の娘としていくらデキが悪くても、ずっと貴族社会で暮らしてきた私は、結婚でそこから出ることは、貴族でない嫁ぎ先は不安だった。婚約者は嫌味ばかり、とても妻になる私の味方などしてくれそうにない。私の中にあるのは言い様のない不安で。自分の不安を何とかするのに精一杯で。 だから自信を持って、などという台詞は私がもらいたいくらいだもの。
 例えば、レイウォルズに嫁いでも夫である自分がいるから大丈夫、心配しなくていい、サポートするから。そんなふうに。
 そうね。私にそんな行動をしてくれたのは、ルーファス様だった。

 つまりは、私たちはお互い、互いが必要とする人にはなれなかった。必要とする人が違っていた、そういうことなのかもしれない。

「ユースタス様、あなたは私に、あなたの望みを叶えてほしかったのですか?
 例えば、こんな言葉をかけて欲しかったということですか?
 領主になるのだから責任を果たせと、あなたにはそれだけの力があるのだからと。

 では、あなたは私の望みを叶えようと思いましたか?
 私にも望みがあると、思いませんでしたか?
 貴族のお嬢様の望みなど、くだらないと決めつけましたか?
 叶える必要もないと、考えましたか?」
「偉そうに言ってんじゃねえ!」
 ユースタス様が腹立たしそうに怒鳴り返す。
 ええ、分かっている、これでは平行線なだけ。

 私が先にユースタス様の望みを叶えれば、ユースタス様も私の望みを叶えようという気になったかもしれない。
 逆にユースタス様が私の望みを叶えてくれれば、私もユースタス様の欲しいものに気づいてあげられたのかもしれない。
 どちらかが先に行動すれば、良い関係を築けたのかもしれない。
 けれど、それは私たちにはできなかった。
 その結果たどりついたのは、自信のない者同士のいびつな関係。 

 それは私から見れば、婚約者に蔑ろにされる不憫な令嬢の話で。
 それはユースタス様から見れば。次期領主として結婚しなくてはならなくなったものの、婚約者は自分を見下す令嬢で。領地を継ぎたい気持ちと冒険者をあきらめらきれない葛藤、こんな話になるのかもしれない。
      
 この部屋に入った時、ヴィオラさんがユースタス様の隣に立った。あれほど自信と余裕を持つ人が、ただ寄り添うように。
 私は、そんなことはできなかった。今も、できるとは思えない。そもそも、したいとも思わない。
 そうね。ユースタス様の望むことを私は叶えられなかった。それを叶えたのは、きっとヴィオラさんで。
 ユースタス様もまた、私の望みを叶えられなかった。私の望みを叶えてくれたのは、ルーファス様だった。

 少し気分が落ち着いたらしいユースタス様が口を開く。
「怒鳴って悪かった。
 俺が結婚式の数日前に考えたのは何だか分かるか?
 いっそお前が、駆け落ちでもしてくれねーかなってな。
 やっぱ、ムカつくな。お前が今幸せそうなのは、その顔を見れば俺でもわかる。
 お前をそんな顔にしたのは、ルーファス、あいつだな。」

 意外な話の展開に驚けば、ユースタス様が苦笑していた。それはルーファス様によく似て。

「これでも一度は本気で結婚するつもりだったんだ。
 お前を幸せにしたいと思わなかったわけじゃねえんだよ。
 お前、本当に、ムカつくヤツだな、そこまで予想外って顔をするんじゃねえよ。」

 ……フツウすると思いますけれども。
 それとも、幸せな顔にしたかったにもかかわらず、私がただ困惑して黙っていたからムカついたとでも?いえ、まさか。それに。

「では、お互い様ということでしょうか。
 私はこれでも、ずっと考えていたんです。あなたは何がそんなに不満なのだろうかと。結局のところ何をされたいのだろうかと。

 ですが、それはもう終わったことですね。
 今あなたが幸せにしたい人は、私ではないでしょう?
 今あなたが幸せな顔にしている人は、ちゃんといらっしゃるでしょう?」

 ユースタス様がふいとそっぽを向いた。まあ、まさか照れているの?
 
 そこで、ようやく気付いた。
 そうなのね。だからヴィオラさんはユースタス様を私に会わせた。馬車であれこれ話もしたうえで。
 過去に捕らわれたままでは、前に進めないから。進もうとしても、ためらうから。どこかで引っかかってしまうから。
 私が、もしかしたら恨みや憎しみに捕らわれていたかもしれないように。

 そうならないために、過去を受け入れて、ユースタス様にこれで良かったのだと納得させるために。ヴィオラさんは私を脅してまで連れてきた。
 ええ、ユースタス様は、わざわざ私と話したがらないでしょうし。私もまた、ユースタス様から話を聞いていれば婚約者を見下す令嬢にしか見えない。私たちを会わせるには、無理矢理かつ不意打ちにするしかなかった。
 それでも、私たちが話し合うかどうかは賭けだったでしょうに。それでも、ヴィオラさんはそれに賭けた、ユースタス様のために。
 ヴィオラさんの行動はすべて未来に進むユースタス様のために。
 
 ずいぶんと、ユースタス様は愛されているみたいね。
 私にはできない。そんなふうにユースタス様を愛することは。
 もしそんなふうに愛したい人がいるとすれば、私にとってそれはルーファス様だから。

 部屋に沈黙が落ちる。それはギスギスしたものではなく、どことなく温かみのあるのもので。
 だから私は心からこう言った。

「ユースタス様、お祝いを申し上げます。ドラゴンハントに成功されたとお聞きしました。
 私は詳しくありませんが、それでも素晴らしい成果だと思いますので。」
 ユースタス様がなぜか驚いたように私を見た。
「お前から、そんな台詞が聞けるとはな。
 まあ、俺一人でやったわけじゃねえ、仲間の力がデカいんだよ。腕、磨かねえとな。
 それよりお前、残念だとか、もったいなかったとか、思わねえのかよ。」

 ……何の話?
 ユースタス様が優越感を漂わせてもう一度言った。
「ドラゴンハンターの妻になりそこなったとか、思わねえの?」

 ……。
 確かに、ドラゴンハンターというのはすごいことだと思うわ。そんな人に妻にと望まれれば、自分が価値のある存在だと、自分はこんなに素晴らしいと思えるかもしれないけれど。
 けれどもね。

 その時。
「ずいぶんと、くだらない真似をしてくれたな。」
 ドアの開く音と共に、ルーファス様の低い声がした。


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