政略結婚が、恋になるまで

47.おとぎ話のように


 目が覚めた。見慣れぬ部屋だと、思った。
 待って、それよりも。
 私の体に腕をまわし、隣に眠る人はもちろん、ルーファス様で。
 そういえば、眼鏡をかけてない顔は少し見慣れなくて。  
 眠っているところは、もちろん初めて見たし、そう初めてで。
 そっとルーファス様の栗色の前髪に触れる。
 
 愛しい。そんな気持ちがあふれて。
 
「シェリル、おはよう。」
 じっと見ていた私と、目を開けたルーファス様と、目が合った。
 ルーファス様が軽く私の頬に口づける。
「もう少し、寝ますか?」
 気だるそうなその声に、私は小さく首を振る。
「では、もう少し、こうしていましょうか。」
 ルーファス様の腕が私を抱き寄せる。

 私はもう、どうしたらいいのかわからないくらい。
 幸せで。ついでに気恥ずかしい。 

 その時、ノックの音がした。私は慌ててベッドにもぐりこむ。
「旦那様、朝食はこちらに?」
 エーメリーの声だった。
 体を起こしたルーファス様が答える、私の髪をなでながら。
「そうしてくれ。もう少し後で。」
「かしこまりました。……本当にようございました、本当に。」
 エーメリーのその声は、安堵と喜びが抑えきれないようで。

 ……待って。それって。つまり。
 私はベッドの中でぎゅっと丸まる。
 私の髪を、ルーファス様が繰り返し優しくなでてくれる。
 けれど。けれど。確かに分かりやすすぎる状況かもしれないけれど。
 どうしてこう、周りに筒抜けになるの!?

  
 それでも一日は始まって。
 ルーファス様と二人でゆっくり朝食をとりながら、今度の休日何をしようか、なんて話をして。
 見ごろの魔石があるから採りに行こうか、なんて話にもなって。
 寒くなったら暖炉でクランペットを焼こう、とルーファス様が言うので。子爵家ではそんなことをしたことがなかった私は、楽しみになって。
 冬至の祝祭の前には、大きなツリーに飾り付けをするそうで。私はそれも楽しみになって。

 朝食の後は、またお茶の時間にと言って、ルーファス様は仕事で外出。
 私はヘレンに手伝ってもらいながら身支度を整え、キャシーの持ってきた郵便物を開封。
 エーメリーと帳簿の確認をし、舞踏会の準備の進み具合について報告を受けた後は、バセットとカーライルに聖水と瘴気の件で質問して。
 そこに、ルーファス様からだとアントニーが小さな花束を持ってやってきた。

 可愛らしい花々とルーファス様の気持ちに、嬉しくなる。
 そしてなぜかしら。朝以外には、私が居たたまれないような気分になることはなかった。
 私が気にし過ぎなのか、それとも。
 使用人の皆の間で、奥様が恥ずかしがるからいつも通りに、なんて通達がいったとか……。それはそれで、恥ずかしすぎるけれど。

 そしてもう一つ、気になることが。
 私は、今夜、自主的に寝室に行ったほうが良いのかしら。それとも、お誘いがあってからのほうが良いのかしら。どっち?
 …………………………………………………………………………、本当に、どっち?

「あ、奥様、その花束にカードが付いてますから。」
 アントニーに言われて、二つ折りの小さなカードを開いてみれば、そのメッセージは。
 “シェリル、今夜も寝室に来てください。できれば今後はずっと。”
 迷う必要がなくなってしまった……。


 
 秋の舞踏会の準備は少しずつ進んでいる。
 そんな中、私の部屋に本棚がやってきた。デスクの横に置ける明るい色合いの小ぶりな本棚。見るたび嬉しくて、本の並べ方をいろいろ試してしまった。

 来年の夏至の祝祭で踊るダンスの練習は続いている。まだぎこちないけれど、間違ったり、ぶつかりそうになったりするけれど、ようやく基本の動きを覚えられた。来年が楽しみになる。

 お姉様から、貝殻の形をした特殊魔石をいくつかゆずってもらうことができないかと、相談の手紙が来た。婚約者の姉君とそのご友人方のお茶会に招かれたので実物を見せて話題に出したところ、ちょうど魔石が不思議な音色と共に消え、願いが叶うかもしれないと興味を持ってくださったそうで。

 妹からは、ほかに綺麗な魔石はないかと、相談の手紙が来た。貝殻の魔石と、婚約者の領地でとれる半貴石や珍しい鉱物と組み合わせて、宝石箱に飾って楽しみたいとのこと。ついでに友人の男爵令嬢や子爵令嬢に自慢したいそうで。

 ディアドリーの温泉計画は着々と進んでいるらしい。ルーファス様が進捗状況を話してくれるのだけど、ディアドリーが一度こちらを訪問するというので、メイウッド屋敷で過ごせるよう準備をした。
 行動力のある彼女は到着してすぐ、屋敷内のことはもちろん、屋敷の周りを歩きながらルーファス様から瘴気対策や雇える人材について聞いたり、近隣の街や村、観光スポットになりそうな所もあちこち出かけて行っては確認しているとのこと。
 そんなディアドリーには、なんとか午後に少し時間を作ってもらいガーデンアフタヌーンティーでおもてなしをした。話題はこの領地のこと、それから。変わらず元気そうで良かったと私が言えば、それはこっちの台詞とディアドリーが照れてしまった。あとは学園生のときのように恋愛小説の感想を言い合って。

 ディアドリーが三日で王都に戻ると、今度はユースタス様がヴィオラさんと共に領主館にやってきた。私はもちろん、ルーファス様も席を外したので、詳しいことはわからない。けれど、お義父様が本当に嬉しそうだったので良かったと思う。
 その後は、予告の必要などない、見たいヤツは見に来るだろと、ユースタス様はミルトンの街はずれに行くと、いきなりドラゴンを呼び寄せた。

 ゆったりと空から舞い降りる、その姿。それは驚くほど静かにそこに降り立った。
「ほう、立派なものだな。」
と、ユースタス様を誇らしそうに見るお義父様。
「絵で見るのとはまた、違いますね。」
と感嘆をにじませるルーファス様。

 背には翼、夕焼け色の鱗を持つ、馬よりもっともっと大きなドラゴンは、ユースタス様のそばで寝そべりながらも、どこか面白がるようにこちらを見ている。そう、その理知的な瞳は面白がっている。
 ヴィオラさんがそばに行くと、その存在を認めているかのように、首を傾けその手が撫でるのにまかせた。あら、ドラゴンも撫でられるのは好きなのね。

 少し離れたところでじっとドラゴンを見つめていた私に、ユースタス様の声がかかった。元婚約者が余裕の表情で言うことには。
「お前、ドラゴンハンターの妻になれなくて残念だろ?」
 私は両手を握り締め答える。
「いえ、まったく。ただ、ドラゴンという存在に称賛を送りたいと。」
 ユースタス様が舌打ちすると、今度は意地悪そうな顔になった。
「じゃ、これ、やってみるか?この魔石、嗜好品っつうか、ドラゴンのおやつだ。」

 私は両手をぎゅっと握る。
「私でも良いのでしたら、喜んで。」
 ルーファス様からためらう気配がした。危険ではないかと案じてくれているのだと思う。でも私は。

 ゆっくりドラゴンの前に歩いて行けば、ドラゴンが首を持ち上げた。その目ははっきりと私を一人のヒトとして認識している、そう感じさせるもので。
 私は自然と、片足を引き膝を曲げていた。
「シェリルと申します。お名前はなんとおっしゃるの?」
「“炎”と呼んでる。」
 答えたユースタス様から魔石の欠片を受け取ると、手のひらに乗せて差し出した。
「よろしかったら、食べてくださる?」
 “炎”が顔を近づける。興味深そうに私をのぞき込む漆黒の目。それは夜空のような。深淵のような。そこにどこまでも落ちてしまうような、錯覚。
 次の瞬間、ぱくっと手のひらから魔石がさらわれた。

「お前、本当に興味あったんだな。」
とユースタスのあきれた声。何を言ってるのと私は思う。当たり前でしょ。
 周りには、街の人たちや冒険者らしい姿や、冒険者ギルドの職員まで集まり始めていた。連れてきた護衛達が、近づきすぎないよう声をかけている。ドラゴンはそれなりに当然、危険だものね。

 私は今のうちにと聞いてみることにした。
「ユースタス様、乗って飛べますか?」
「注文の多いヤツだな。まあいい、見てな。」
 ユースタス様がひらりとその背に飛び乗ると、ドラゴンはまったくとでも言いたげに首を伸ばし、優雅に舞い上がった。

 ドラゴンがゆったりと空を舞う。晴れた空に夕焼け色が翻る。
 ヒトを乗せていてなお自由な、どこまでも誇り高いその姿。それを私はじっと見上げる。

 三週ほど旋回して降りてきたドラゴンに、わっと歓声が上がった。もうかなりの人だかりができている。
 ドラゴンの背から降りたユースタス様が、なぜか呆れた声で言った。
「お前、惜しいな。素質として冒険者に向いてるよ。」
 私は苦笑して答える。
「褒め言葉をありがとうございます。ですが、私はあまり向かないでしょう。」
 魔力が少ないという以前に、お嬢様暮らしが身についている私には、何より体力がない。もちろんお嬢様暮らしも、まともに頑張るとけっこう大変なのだけれど。

 その後は、お義父様とルーファス様は街の人たちやら誰やらに次々と話しかけられ。ユースタス様が子どもならとドラゴンに近寄る許可を出したのでその列ができ。私は少し外れた所でその様子を見ながら立っていた。

「逃げた坊ちゃんが戻って来たって?」
「ドラゴンと嫁さんを連れてるってさ。」
「そりゃまた、たいしたもんだな!」
「しかし、ドラゴンってのはでかいなあ。」

 そんな声が聞こえてくる。
 ドラゴンと一緒に上手く子どもたちの相手をしているユースタス様。その様子からは地に足の着いた自信が感じられる。そんなユースタス様の隣に寄り添うように立つヴィオラさん。ルーファス様はお義父様と共に街の人たちに囲まれている。
 ああ良かったと、そう思った。
 そして、そう思える自分にほっとした。今、私の胸は温かなもので満ちているから。

 その時、
「こちらにいらっしゃいましたか。」
と声をかけてきたのはセルマさんだった。
「懐かしいですね。この辺りにはいませんから。」
とドラゴンを見て目を細める。
「ところで奥様、ドラゴングッズも試作中ですが、街の子供向けにドラゴンのぬいぐるみを作製しようかと。」
「それはいいですね!あの、私もぜひ欲しいのですが。」
「では、奥様が予約一番目ということで。」
 セルマさんがにこりと笑った。

 その時、
「シェリル!」
とルーファス様の呼ぶ声がした。
「ではセルマさん、また後日。」
「ええ、奥様また。」
 そんな挨拶をし合って、私は歩いていく。ルーファス様の隣に並ぶために。

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