政略結婚が、恋になるまで

49.もう一件の招待


 その午後、なぜか侯爵令嬢のイヴァンジェリン様から手紙が届いた。わたわたするエーメリーにはルーファス様とお義父様、バセットへの伝言を頼み、開封し一通り読んでみれば。

 丁寧に書かれた手紙の主旨は、三つ。
 淑女向け温泉付きリラックス&リフレッシュプランの噂を聞いたということ。
 四日後、たまたまレイウォルズの近くを通るということ。
 ところで、ドラゴンハンターの噂を聞いたのだけど。

 意訳すればつまり。
 私の趣味を知っているあなたなら、ドラゴンハンターに会いたいという意図を汲んでくれると思うのだけど。ただ噂のドラゴンハンターはあなたの元婚約者のようだから、聞いていいものかどうか迷うわ。よって淑女向け温泉付きリラックス&リフレッシュプランが気になることにして、レイウォルズの近くを通ることにしたから、あなたが良ければ訪問したいのだけど?
 ということではないかと思われる。
 
 けれども現在の状況は。
 まず、ユースタス様もヴィオラさんも、大規模ダンジョンに出発してしまって帰るのはテルムステッドの夜会の直前らしい。四日後、イヴァンジェリン様が来られてもドラゴンハンターはいない。
 淑女向け温泉プランはまだ準備段階。イヴァンジェリン様が来られても十分なおもてなしの準備が整わない。
 けれども。侯爵令嬢が貴族でもない領主を正式訪問するわけにはいかないので、偶然通りかかったという体裁を取らざるを得ない。そんなイヴァンジェリン様が四日後近くを通ることは確定のようだから、かなりの期待をしていらっしゃるということがうかがえるわけで。

 困った私が取れる選択肢は。
 その一。事情を説明し、またの機会にぜひとお願いし、その準備を進める。
 その二。イヴァンジェリン様がこちらに来られる機会は逃さず、何か代わりになるものを提案してみる。例えば……。
 
 思いついたことがある。
 でも、ルーファス様やディアドリーが何と判断するかはわからない。イヴァンジェリン様にがっかりされたら逆効果になるかもしれない。
 でも、提案を受け入れるかどうかはイヴァンジェリン様が決めること。ならば、今できる最善の提案を。
 
 
 
 そして四日後。ドラゴンハンター不在でもよろしければ、午後レイウォルズにてお過ごしいただけますが、いかがでしょうかとお送りした手紙、その提案をイヴァンジェリン様は受けてくださった。
 まず領主館のホールでお義父様とルーファス様そして私で出迎える。さすが侯爵令嬢、今日は控え目な外出用のドレスだけれど、それでも質の高さが一目でわかる。

「急な訪問で申し訳なく思いますわ。馬車の調子が悪くなったものですから、学園の友人を思い出して寄らせていただきましたの。」
と言外に過剰な歓待は無用だとイヴァンジェリン様がほのめかす。
 お義父様が簡潔に、訪問を光栄だと、くつろいで過ごしていただければ幸いだと述べれば、イヴァンジェリン様は好感を持ってくださったようだった。

 それから秋薔薇の咲く一角にお誘いし鑑賞していただいたあとは、ガーデンアフタヌーンティーのテーブルへご案内。
 テーブルには軽食からケーキまで、色鮮やかに淑女好みの盛り付けで種類多く並べられている。これらは領主館の料理人が用意した。私が美味しいと思うからというのもあるけれど、侯爵令嬢にふさわしい料理人は急遽準備できなかったので。イヴァンジェリン様から見れば新鮮な素材を使った素朴な料理になりそうだけど、田園地帯の楽しみということにしてもらおうと思う。

 近くにはイヴァンジェリン様お付きの侍女が控えている。あとの侍女二人は温泉付きプランのためディアドリーが育てている人材。さすがに領主館の使用人では無理があるので、急遽王都から来てもらった。二人の洗練された動作と気配りはさすがだけど、実のところ実地練習も兼ねている。またディアドリーは学園の授業のため来られなかったので、代わりに指導責任者の侍女長が来て隅に控えている。

 そして、この場に控えている人物はあともう二人いる。その二人を見て、席に着いたイヴァンジェリン様が目をきらめかせた。
「シェリル、教えてくださらない、あちらのお二人は冒険者では?」
 その趣味に対する嗅覚はさすがというべきか。一人は外出用のデイドレスに、もう一人はいつもの事務服ではなくベストにフロックコートという服装なのに。
「イヴァンジェリン様、お二人は引退された元冒険者です。レイウォルズは瘴気も小型の魔獣も発生しますので、念のため護衛を依頼しました。信頼できる方たちです。もちろん他言無用にと。」
 侯爵令嬢がお手本のような笑みを浮かべた。
「ガスター侯爵家のイヴァンジェリンですわ。よろしければ、お話を聞かせてくださらない?こちらの瘴気や魔獣対策について。どうぞ席にお座りになって。」

 ディドレスのセルマさんが珍しく緊張した面持ちで進み出る。
「お招きいただきありがとうございます。」
 もう一人のヘイデンさんはいつも通りだった。
「俺のマナーは気にしないでくれると、ありがたいんだがね。」

 そのあとは、イヴァンジェリン様の社交術というか素晴らしい話術で、二人から今していることだけでなく、昔の冒険譚まであれこれ聞き出していた。セルマさんのドラゴン探索に、ヘイデンさんの滝つぼでの魔獣退治。同席しているだけになっている私も、その話を楽しませてもらった。話のついでに、ヘイデンさんから駆け出し冒険者のサポートができるギルドなんてアイデアも出ていて、驚いたけれど。
 セルマさんは控え目に、ヘイデンさんは豪快に、イヴァンジェリン様は美しいマナーで、軽食とスイーツがなくなっていくのにも、私はほっとした。

 アフタヌーンティーが終了したその後はしばらく馬車にゆられて、メイウッド屋敷へ。この馬車の時間をどうつぶすかが問題だったのだけれど。秘密の趣味を知っているせいか、イヴァンジェリン様は私に気さくに接してくださり、今それは遠慮ないほどになり。元Aランク冒険者のヘイデンさんや、元Bランク現在商会長夫人のセルマさんについて質問攻めにあいながら、あのお二人に今日の件を依頼して正解だったと私はほっと胸をなでおろした。

 メイウッド屋敷に着けば温泉にご案内。王都から来た侍女三人が着替えや入浴をお世話する。私はいつでもお呼びくださいと声をかけ隣室にて一休み。そこに屋敷の老婦人が果実水を持ってきてくれた。老婦人は生き生きとした様子で、私はこちらも良かったと思う。
 
 イヴァンジェリン様が温泉を楽しまれた後は、休憩できるよう整えた居間でくつろいでいただく手筈になっている。飲み物も、果実水、ハーブウォーター、コーディアルなど数種類用意して。
 しばらくたって、隣室からお呼びかかかった。

 イヴァンジェリン様は部屋着でソファーにゆったりと寄りかかり、温泉の余韻に身を任せていらっしゃるご様子。その姿にも品があるのはさすが侯爵令嬢だと思う。それからイヴァンジェリン様は目配せ一つで、お付きの侍女以外を下がらせた。

「シェリル、お礼を言います。アフタヌーンティーも、こちらの温泉も。」
 その言葉に込められた確かな感謝に、私はただ嬉しくなった。
「もったいないお言葉です。」
 イヴァンジェリン様がくつろいだ笑みをうかべる。
「あなたと過ごすのは楽しいわ。
 もちろん、あなたにはあなたの意図があるでしょう。それはわたくしにも分かります。
 けれど、あなたは一方的にわたくしを利用しようとは思っていない。だから、わたくしは必要以上に気を張らなくていられるの。」
 そんなものかしら。とりあえず私はこう答える。
「もったいない、お言葉です。」
 イヴァンジェリン様が私に微笑みかける。
「それにあなたは、わたくしの趣味をくだらないと決めつけたりなさらないし。」
 それは単に、私も似たようなものだから。
 冒険譚好きが高じて、実際の冒険者の話を聞くのを趣味にしていらっしゃるイヴァンジェリン様。
 私は私で、貴族の令嬢なのに、魔法士の資格を取り、冒険者の仮登録までして実地経験をした結構な変わり者。

「ところで、」
とイヴァンジェリン様が目をきらめかせた。
「あなた、聖魔法を使った浄化をしているそうね。ぜひ、話を聞かせてちょうだい?」
「いえいえ、私のしていることなど、とてもお聞かせするような話では。」
「あら、そんなことなくてよ。立派な聖魔法の使い手だわ。」
「いえいえ、とんでもございません。」

 そんな押し問答を繰り返して結局、私は押し切られてしまった。
 最初にミルトンで浄化をしたことから、週に二、三回の浄化活動、間抜けにも瘴気に当たった件、最近は作製した高濃度聖水を冒険者ギルドに卸していることなどなど。
 果たして本当に聞きたいほどのことなのかと思いながらも話せば、想像以上にイヴァンジェリン様は真剣で。時々はさまれる質問にもそれは表れて。

 話し終えると、イヴァンジェリン様は再びソファに寄りかかった。
「あなたが、うらやましいわ。」

 ……驚いた、聞き違いかと思うほど。

 イヴァンジェリン様は何でもないことのように私を見る。
「あら、そんなに驚くこと?あなたは気づいてると思ったわ。わたくしが冒険者になりたいことに。」
「いえ、私は。」
 貴族令嬢として出来の悪い私がそれを望むならともかく。侯爵令嬢としてマナーから教養から社交まで申し分のない侯爵令嬢がそれを願うのかと、私をうらやましいと思うほど。それに驚いた。

 侯爵令嬢がくすりと笑う。
「もちろん、分かっていてよ。剣術も何もわたくしは身に付けられなかった。魔力も少なく、属性もただの風のみ。もし一度でも冒険者として依頼を受けることがあれば、わたくしは耐えられなくてすぐ音をあげる。
 それでも、焦がれるの。」

 その声に込められている、狂おしいほどの願い。それは私にも分かる気がした。私の中にも似たものがあるから。
 子爵令嬢ですらあれこれ制約の多い貴族の生活、侯爵令嬢ならばきっと比べものにならないくらいの窮屈さ。私が冒険者に求めていたものが自信と余裕であったなら、イヴァンジェリン様が焦がれてやまないものは、自由。

 私は迷う。迷って、それでも言ってしまった。
「イヴァンジェリン様が求められているものは何でしょう。例えば、自由な心とか。」
 手に取ったグラスをイヴァンジェリン様が揺らす。からからと氷が揺れる。
「ええ、そうかもしれないわね?」
「それなら、冒険者にならなくとも得られるかもしれません。」
 イヴァンジェリン様がグラスを持つ手を止めた。
「そうかしら?」
「はい。きっと。」
 
 イヴァンジェリン様が笑う、今度は楽しそうに。
「もう一つ、うらやましいことがあってよ。理解ある夫というものは良いわね?」
「はい、そうなんです、本当に、いつもルーファス様は、」
と勢い込んで言いかけて、はっと気づいて顔が熱くなった。それを見たイヴァンジェリン様がころころと笑う。
「ねえ、また手紙をくださらない?」
「ええと、はい、近況報告などでよろしければ。」
「また、この近くを通ったら、急に訪問してもよろしいかしら?」
「ええ、ぜひ、お越しくださいませ。」

 グラスの中の氷が涼やかな音を立てた。


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