なぜか私を大切にしてくれる人と、政略結婚することになりました ~恋する妻の幸せな願い~
7.館めぐり
二階のお義父様の私室を出て、ルーファス様と二人歩いている。
私はどういうわけかルーファス様を意識してしまって、黙って半歩下がった隣を歩いている。
そこに、
「旦那様!」
と元気のいい声がかかった。キャシーと同じくらい若い、誰?
ルーファス様が私を振り返る。穏やかなその眼差しに、どきっとする。
「シェリル、僕の従者のアントニーです。」
従者がピシッと背を伸ばした。
「奥様、本当は昨日ご挨拶したかったのですが、旦那様に止められてしまいました。
アントニーです、よろしくお願いします!」
声だけでなく、全身元気がいい。
「こちらこそ、よろしくね。」
「貴族のお嬢様でも親しみやすいって話でしたけど、そのとおりですね。
あの、どうか、旦那様のことよろしくお願いしますって、オレが言うのもヘンですけど。」
あら、昨日のエーメリーやキャシーと同じ。本当に、ルーファス様は慕われているのね。
微笑ましく見ていたら、ルーファス様がアントニーに冷ややかな視線を投げた。
「言いつけた仕事はどうした?」
「旦那様、こんな可愛い奥様で良かったですね!」
あら、こちらの使用人はお世辞も上手なのねと感心していたら、ルーファス様の視線に冷ややかさが増した。アントニーが真面目な顔で再びピシッと背を伸ばし、
「仕事に戻ります!」
と駆けて行く。
ルーファス様がため息をついた。
「シェリル、申し訳ありません。あなたの子爵家では、使用人がこのような態度を取ることなどないでしょう。」
私はやっぱり微笑ましい気分になった。
「確かにないですけれど、私は格式ばったのは苦手なのです。昨日、エーメリーやキャシーにも話しましたけれど。
そういえば二人にも、ルーファス様は良い方、素晴らしい方だと力説されました。ルーファス様は使用人に慕われていらっしゃるのですね。」
その当人は、驚いた顔をしたあと、大きくため息をつき片手で顔を覆ってしまった。照れているような、ちょっと居たたまれないようなそんな仕草。
そこに、
「旦那様。」
と落ち着いた声がかかった、お義父さまより年上で雰囲気も落ち着いた、誰?
「シェリル、家令のバセットです。」
とルーファス様が紹介してくれる。
「バセットでございます。昨日ご挨拶したかったのですが、旦那様に止められまして叶いませんでした。
奥様の体調がお悪いようだとお聞きしていましたが、問題ないご様子、何よりでございます。」
柔和ながらも筋の通った物腰、さすがだわ。この大きな館を任されるだけある。
「よろしくね。いろいろ教えて欲しいわ。」
と答えれば、バセットが物柔らかに微笑んだ。
「旦那様、このご結婚、よろしゅうございましたね。
奥様、どうぞ旦那様をよろしくお願いいたします。」
あら、またお願いされてしまったわ。ルーファス様はまた、大きなため息をついてしまわれたけれど。
「バセット、お前までそれを言うか。」
「もちろんでございます、私は安堵いたしましたので。」
そこに、
「旦那様。」
と歯切れのよい、しかし少々含みのある声がかかった、ルーファス様より年上そうな、誰?
「シェリル、僕付きの執事カーライルです。」
小さくため息をついて、ルーファス様が紹介してくれる。
「執事のカーライルでございます。ご挨拶がおくれまして誠に申し訳ございません。」
と執事がルーファス様をじろりと見れば。
「悪かったが、つまり。シェリル、カーライルには急ぎの仕事を頼んでいたんですよ。」
なるほど、ここは家令も執事も頼もしいわ。
「ルーファス様に信頼されているのね、私もこれからよろしくね。」
と答えれば、執事は顔をほころばせた。
「もったいないお言葉でございます。奥様、どうぞ旦那様をよろしくお願いいたします。
しかし、我が主の結婚はまだまだ先かと案じておりましたが。このような良縁を得られて、私は感無量です。」
「大げさすぎだ。」
ルーファス様はまたもや大きくため息をつき、片手で顔を覆ってしまった。
そして私は、またもやルーファス様をお願いされてしまった、なぜかしら。
私は王立学園を卒業したばかりの十八才で。ルーファス様はきっと大学も卒業され、領地の仕事にも関わられている……何才だっけ?あとでこっそり、エーメリーに聞いてみよう。
それなのに、私にルーファス様をよろしくなのね。頼りない私がお願いされるならともかく。
社交辞令?それとも、慣用表現?それとも、本当にお願いされているのかしら、……いったい何を?
「シェリル、一階を案内します。」
ルーファス様が気を取り直したように、私に手を差し出してくれる。これは階段を降りるから紳士的にエスコート、ということ。なのに、ルーファス様の手に触れてどきどきしてしまった。
吹き抜けの空間を階段で降りていく。階下まで敷かれた長いカーペットに高い天井。そんな中をエスコートされれば、物語の主人公になった気分だわ。
一階に降りたところで、ルーファス様が私の手を自分の腕にかけさせた。これもまた紳士的にエスコートということ、なのに。立つ位置が近い、距離が近い。私はまた、どきどきしてしまう。慣れていないのよ、こういうのは本当に。
ルーファス様と一緒にゆっくり歩く。
玄関ホールから大広間。応接室、図書室に、コンサバトリー、晩餐室。重厚な装飾と、幅広の廊下に並ぶ絵画。その一つをルーファス様が指さす。
「これは先代のランドル家当主、僕の祖父です。」
そんな説明を聞きながら一巡りしたあと、玄関ホールから外に連れ出された。そこには庭園が広がる。
圧倒されてしまうわ。
そして考えてしまう。私は夜会とか舞踏会とか、大きくても小さくても催し物は苦手なのよ。参加するのはもちろん、主催する側になるなら余計に。
お義父様の奥様は亡くなられている。ルーファス様のご両親も、挨拶の必要がなかったところをみると、亡くなられているのかも。そうすると必然的に、この館の女主人的な役割は私に回ってくることに……。
「シェリル、疲れましたか?」
ルーファス様が声をかけてくれる。
「いえ、本当に大きくて立派な館だと、内装や調度品も、改めて驚いてしまって。」
ルーファス様の顔に笑みが広がる。
「子爵令嬢のあなたにそう言ってもらえるとは、嬉しいですね。」
ルーファス様はこの館がお好きなのね。歴史も、使用人も全部含めたこの場所が。だって、とても誇らしそうだもの。
「次はこちらに。」
と連れて行かれたのは、館の裏手にある庭園。来客用というよりは、館の住人のための庭。
小道を歩けば、足元には微風に揺れる小さな花、スノーフレーク。いくつもの白い鈴のような花が小道にそって咲いている。何かほっとした。肩の力が抜ける。
「いい天気ですね。」
そう言って見上げれば、ルーファス様が笑い返してくれる。
「ええ、あなたを案内するのがこんな日で良かった。」
その笑顔と言葉に、私はまたどきっとする。
ふと思った。
ルーファス様はどうして、私と結婚しようと思ったのかしら。
そんなの分かり切ったこと。あの状況を解決するため。花婿の過失を挽回し、この領地の利益を損なわないため。そのはずだわ。ルーファス様はそれでも、妻となった私に誠実に対応しようとしている、それだけのはず……。
そこに、
「旦那様、それから奥様も。」
と頭を下げつつ声をかけてきたのは、老齢の庭師だった。
「前庭も見事だったけれど、こちらも素敵ね。また来てもいいかしら?」
私は思わず二人に向かってそう聞いてしまった。ルーファス様が切ないような笑みを浮かべ答える。
「もちろんですよ。」
庭師がしわ深い顔をくしゃっとさせた。
「急なご結婚とお聞きしておりましたが、坊ちゃま、ようございましたなあ。」
その言葉にルーファス様はまたため息をついている。
「お前まで、そう言うのか。」
庭師はもう一度頭を下げると、作業に戻っていった。
ルーファス様が指さす。
「この先に、四阿があります。」
再び、ルーファス様と歩き始める。これだけ歩けば、エスコートしてもらうのも、私の腕をルーファス様の腕にかけるのも、体の距離の近さも、少しは慣れたかも。ほんの少しは。
四阿に着けば、ベンチに座るよう促された。庭の奥まったところにある、樹々に囲まれた場所。
「秘密の場所みたいですね?」
思わず子供向けの物語ようなことを口に出してしまったけれど、なぜかルーファス様はあきれたりしなかった。
「ええ、だから僕のとっておきの場所です。ですが、少し季節が早い。もっと緑も花も増えますから、その時また来てみてください。」
少し間を開けて、ルーファス様が座った。
花を揺らした微風が四阿にも届く。私の亜麻色の髪が揺れる。ルーファス様の栗色の髪も揺れる。その琥珀のような瞳が私を見る。また、どきっとする。
「シェリル、話したいことがあります。話しておかなければならないことが。」
……何かしら。
「今、楽しそうにしているあなたの顔を曇らせたくはないのですが。
申し訳ありません、専属侍女の手配をしている最中なのです。ユースタスが準備していると話していたはずなのですが、できておらず。あなたにはしばらく不自由をかけてしまうことになります。」
ああ、そうね。私付きの侍女は必要よね。キャシーも、エーメリーもすでに受け持っている仕事があるもの。加えて今は、私の世話という余分なものが入って大変よね。
「こちらの条件に合う人材が見つかり次第、念のため僕が面接の上、あなたに選んでいただけるよう会わせますから。もう少し待ってもらえますか。」
ええ、そうよね。私も面接というか、会わなくちゃね。あまり、したいことではないけれど。
「それから。」
とルーファス様が続ける。
「もう一つ、伝えなければならないことが。」
……何、かしら。
「本来は式の時に、指輪交換をすべきだったのですが。」
ああ、そうね。省略したのだったわね、指輪がなくて。私は呆然としていて気にするどころではなかったけれど。
「その指輪なのですが、ユースタスが用意していると話していたはずなのですが、見つからないのです。」
良かった!!!あ、顔に出すぎてないかしら。
「本当に申し訳ありません。指輪ぐらい当然用意しておくべきものを。」
いらない。
「それくらい、あなたのためにするべきなのに。」
欲しくない。
「そうすれば、式でその指輪を使うこともできたのですが。」
絶対イヤ。
「だから。」
ルーファス様が真剣な表情で私を見ている。
「僕が、あなたに指輪を贈りたい。少し時間がかかりますが、待ってくれますか。」
「……はい。」
嬉しい。とても、嬉しい。
でも、この方はどうしてそこまで、私のために何かしようとするのかしら。どうして。
すぐ商会の手配をするというルーファス様を、私はただ不思議な気分で見返してしまった。
そこに、
「奥様、旦那様~!」
とキャシーが呼びに来た。その隣でエーメリーが頭を下げる。
「昼食の用意が整いましたが、いかがいたしましょう。
今日は日当たりの良いコンサバトリーもおすすめでございますよ。」
「そうしよう。シェリルもいいかな?」
「はい。」
ルーファス様が先に立ち上がり、こちらに手を差し出してくれる。その手に私の手を重ねて立ち上がる。
……少しだけ、慣れたかも。
翌朝、天蓋付きベッドで目が覚めた。体を起こす。侍女はまだ来ない。
なぜか、窓の外が気になった。
寝衣にガウンを羽織り、窓際に行く。カーテンを引き、窓を開けた。
朝の清々しい空気が頬にあたる。
二階のこの部屋からは庭園が見える。小道に庭師の姿、樹々に四阿。
その向こうには、なだらかに続く丘。
私はここで、暮らしていくのね。