ガラスドーム  ~婚約破棄は雪原の上で~

「奥様、お嬢様。アルファース王子が来られました」

 侍女がそう言うと、お母様は大慌ててドレスを私に渡してきた。

「あら、早いわね! カレン。この姿を殿下にも見てもらいましょうよ! 早くこれを着なさい。着替えている間に私が話をしておきますからね」
「お母様ったら」

 リングスフェールドの雪国に似合わない春の日差しを感じるような茶色の髪。
 青い海を連想させる澄んだ瞳に、笑うと見える愛らしい笑窪。
 彼がこの国の王になったら、この国に降り注ぐ雪は全て溶け、永遠の春がやってくるだろう。
 春の化身を思わせる爽やかなアルファース王子。
 そんな彼のお側にいられるなんて。
 私はなんて幸運の持ち主だろう。

「カレン」

 殿下が部屋に入ってくる。私はくるりと振り返って笑顔を見せた。

「殿下。お母様がすみません。花嫁衣装なんてまだお早いのに」
「いやいや。よく似合っているよ」
「嬉しいお言葉。ありがとうございます」

 私はお辞儀をして、彼の澄んだ瞳を見た。
 
 あぁ、まだだ。
 彼の瞳の奥にはまだ、あの公爵令嬢がいる。
 
 お母様ははしゃいだ様子で侍女にお茶を出すように言う。

「殿下! お茶でも飲んでゆっくりしてくださいませ」
「いや、今日はカレンを見にきただけだから」
「カレン! ほら、殿下に他のドレスもお見せしたらどう? 殿下はどの衣装がお好きですか?」

 彼はどんな衣装だって似合うと言うに決まっている。

「殿下も忙しいのですよ。殿下、私は変わらず元気ですのでご公務にお戻りください」
「君は昔から元気だね。すまない、少ししたら城に戻るとしよう。おや、この人形」

 王子は私の棚の上に飾っている微笑む陶器でできた人形を見た。
 人形が埃を被らないように、ガラスドームの中にそれは入っている。
 彼は小さく呟いた。

「似ているな。彼女に」

 私は聞こえていないふりをして、殿下に声をかけた。

「殿下?」
「あぁ、すまない」

 彼は柔らかく微笑んでいるが、影った表情は一年前と変わらない。
 私は少しだけ殿下と話をした後、彼を見送った。
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