氷と花
そもそも数ヶ月前、取引の交渉のためにフレドリックをロンドンへ送ってしまったのは、ネイサンだった……。
事業に精力的な兄と正反対の弟は、伝票よりも詩を、交渉よりも昼の散歩を好む貴族的なお坊ちゃまだった。そんな弟がそれなりに贅沢に暮らせているのは、ネイサンの仕送りがあるからだが、これからマージョリーを妻に迎え一家を構えるからには、多少の仕事をさせなければならないと判断したのだ。
弟のロンドン滞在は一週間ほどの予定だった。
それが、あの脳足らずな青年は、ロンドンという大都会が提供する娯楽に目がくらみ、一週間の予定をひと月に引き伸ばした。もちろん、表向きは交渉が難航しているからとのことだったが、そんな言い訳を鵜呑みにするほどネイサンは無垢ではない。
くそ──それだけなら、まだいい。
二十歳そこそこの弟にとって、大都会の華やかさが抵抗しがたい魅力に感じられるのは、無理のないことだ。しかしフレドリックは禁忌を犯した……。
マージョリーを裏切ったのだ。
ネイサンはふたたびブランデーを飲みたい気分になったが、おのれの自制心がどれほどのものか自信が持てずに、結局両手で顔を覆った。一つ屋根の下にマージョリーがいる今、酒で我を忘れるようなことはしたくない。
長いあいだ信じきっていたフレドリックに裏切られた時のマージョリーの気持ちを考えると、ネイサンは吐き気が込み上がってくるのを止められなかった。
マージョリーはすでに二十歳の年頃で、フレドリックと大っぴらに仲睦まじくするのを許していたのは、ふたりの間に結婚の約束があったからだ。そうでなければ、マージョリーはふしだらな女であるという烙印を押されてしまう。フレドリックはただ、多少の火遊びを楽しむ「年相応に元気な」青年としてのうのうと生きていけるとしても、だ。
なんとも不公平な世の中だが、それが現状だった。
そしてそれは現実になった。
ロンドンから帰ってきたフレドリックは、街角で出会った──これも怪しい限りだ。娼館でと言われても、ネイサンは驚かない──三つ年上の女と結婚すると言いだした。マージョリーは捨てられ、他の男達からは使い古しと判断された上に、女達からは蔑まれた。
そんなマージョリーに残された道は少なかった。
誰かの愛人になるか。家庭教師やお針子などに身を落とすか。ネイサンと結婚するか。