氷と花
 質問を質問で返されて、マージュは言葉に詰まった。目の前には、好物のイチヂクで作られた美味しそうなジャムがある。よく考えると、イチヂクの季節はもう過ぎてしまった気がする……。すると、手に入れるのは、かなり高価になるはずだった。
「それは……」
 マージュがそう言いかけた時、食堂の入り口に背の高い影がぬっと現れた。
 黒い上着、黒いベスト、そして紺色のクラヴェットで完璧に身を整えたネイサンが、いつものように暗く陰った瞳でマージュを見すえていた。

「おはよう、マージョリー・バイル」

 先に挨拶してきたのはネイサンだった。さわやかさとは縁遠い響きだったが、それでも無視されたわけではない。マージュは立ち上がって礼儀正しく膝を折った。
「おはようございます、ミスター・ウェンストン。今朝は……」
 当たり障りのない、明るい天気の話題をはじめたかったのに、窓からのぞくウィングレーンの空模様は今日もひどい灰色の曇り空だった。「今朝は、昨日よりもいい天気な気がしますね」
「そうだろうか」
 ネイサンは天候に興味を示さなかった。
 窓にはちらりとも目を向けず、じっとマージュを見つめたまま、食堂の中に入ってくる。マージュの目に間違いがなければ、ネイサンはまばたきさえしなかった。
「座りなさい……わたしのために立つ必要はない」
「は、はい」
 ネイサンほど低い声を持つひとを、マージュは他に知らない。ネイサンはこの声で、何十、もしかしたら何百いるかもしれない従業員や作業員を、工場のために統括しているのだ。中には野蛮な連中もいるはずだった。

 そう考えると、マージュはふと、前の席に座ろうとしている険しい顔をした男性に対して、同情のような気持ちを抱いた。楽な仕事ではないだろう。
 彼が、いつも厳しい表情ばかりしているのも、無理はないのかもしれない。
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